第270話 甲斐の現状

- 1542年(天文11年)10月 -


 ディエゴ・デ・フレイタスが率いるポルトガル貿易船は、かなりの銀貨を台湾にもたらした。特に赤絵付けの白磁が大人気だった。焼成方法とかからボーンチャイナと名付けておいた。

 そして史実通りというか、ディエゴ・デ・フレイタスは火縄銃を買わないか?と三丁ほど献上してきたので、「その程度の武器なら既にあります」と毛利氏が保有するライフル銃を見せて鼻で笑っておいた。

 ディエゴ・デ・フレイタスが銃の性能を疑ったので試し撃ちをさせたら、是非売ってくれと迫られたけど、それは丁重にお断りしておいたよ。

 ただそういうこともあってか、彼らは俺たちを侵略すべき相手ではなく、まずは貿易をするに値する勢力であるという認識になったようで、船の修理を終えた後、俺たちが気に入るであろう商品を持ってまたくると言って台湾を去っていった。これで暫く欧州からの接触は避けられるだろう。

 ただ彼らは、貿易から始めてやがて自分たちの宗教の布教を乞い、支配者を自分たちの宗教に帰依させた後、宗教家にいろいろと貢がせ、やがて住民や土地さえ寄付という形で侵略してくるので、つけ込まれないように注意するに越した事はない。

 まあ、現状で神や仏の権威を盾にして死後の世界を質に取り、今世の宗教指導者の欲望をゴリ押しする宗教が日本に広まるかと言うとかなり疑問だ。今の日本って、生きていくことに絶望し、死後の世界に一縷の望みを抱くなんて世じゃないからね。


「若殿、畝方殿。そろそろ江戸の港です。上陸舟に向かってくだせい」


 戦艦「安芸」で一番高い場所にある観測所にいた俺たちに伝声管から声が掛かる。


「了解だ」


 返事を返し、毛利義元くんとともに甲板へと降りて行く。江戸湾にある港だけど、大きくも水深も深くなく、毛利氏の新型戦艦「安芸」では接岸することが出来ないので、備え付けの小舟に乗り換えて上陸するのだ。


「畝方殿ご無沙汰しております」


 港で俺たちを待っていたのは、武田晴信くんだった。どうやら武田氏で模擬戦を観戦する者と共に川中島まで同行してくれるらしい。


「江戸城で一泊して、そこから我らがお館さまたちと共に甲斐(山梨)を経由して信濃(長野及び岐阜中津川の一部)に向います」


「承知しました」


 武田晴信くんの言葉に頭を下げた。


- 甲斐 -


 久しぶりに来た甲斐は大きく変っていた。風土病である泥かぶり対策のため、発生域とされる川はコンクリートで護岸され、川の周辺部にあった湿地帯やススキ原は綺麗に整備され、中間宿主であるミヤイリガイ撲滅のために、広範囲で鴨が飼育されていた。恐らく蛍の類いも放流されているだろう。


「畝方殿の提言を実行してからは、泥かぶりの被害報告も減ってきています」


 俺の目線が堤防に向いているのに気付いたのか、武田晴信くんが説明してくれる。そして栽培するものも水稲から陸稲や麦、蕎麦、果実といったものに変更したようだ。

 これは、武田氏が関東圏を支配した時点で、甲斐で無理に米を作る必要がなくなったからだろう。

 なお、この開発事業は俺が甲斐住血吸虫と命名した寄生虫の撲滅活動の一環として、畝方堤と呼ばれているという。あと史実上名高い信玄堤も同じ時期に着工したからか、同じく畝方堤という名称で呼ばれているらしい。まあ、毛利氏が行った淡海琵琶湖近辺の河川工事のノウハウをお安く提供しているから、そのお礼の意味もあるのだと思う。今現在、毛利氏と武田氏の関係が友好的な理由でもある。

 あ、武田氏の分家である安芸(広島)武田氏と若狹(福井南部から敦賀市を除いた部分)武田氏の二つの家が毛利氏に臣従しているのも大きいかな?そもそも俺が甲斐に関わった原因でもあるんだよね・・・


 そして十日という時間をかけ、甲斐を横断した俺たちは信濃の川中島に到着するのであった。

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