第265話 大縮地の術
- 1541年(天文10年)1月 -
春の除目が行われ、朝廷から元就さまに正三位右近衛大将と鎮西大将軍に任じるという宣旨が、なぜか太政大臣になったばかりの近衛稙家さんによって通達された。
通常はあり得ない話なんだけど、近衛稙家さんにとって太政大臣として最初で最後のお仕事になるからという本人たっての希望で実現したらしい。というのも太政大臣という職は朝廷では単なる名誉職のひとつであり、慣例通りなら何事もなく一年ほどで職を辞し、その後一年ほど関白に就いて基本的に官職としてのキャリアは終わることになる。なら歴史的に名に残ることをしたいじゃないかと、近衛稙家さんは接待の宴席で清酒を片手にそれはもう饒舌に語っていたよ。
これはあれかな?遠回りに引退後に
ともかく今回の宣旨で、今後は毛利氏に弓引くことは朝敵認定される事になる。これで領内に潜伏して臥薪嘗胆を誓っていた連中は心が折れるし、今だ降伏していない勢力は降伏し・・・いや、東北の国人衆は足利幕府の有力氏族の末裔が多いから、征夷大将軍以外の権力者に大人しく服従するかどうかは、既に毛利氏の軍門に下った斯波氏の一門以外は予想できないか・・・
兎も角、東北に元就さまの鎮西大将軍に就いたという話が伝わるのは春ぐらいになるだろうから、動きがあるとすればそれ以降になるだろう。
- 1541年(天文10年)2月 -
- 越後(新潟本州部分)府中 至徳寺 長松院 -
越後府中にある至徳寺長松院は、越後守護の守護所に付属する迎賓館のようなものらしいが、今は俺の越後での拠点である。
「コンコン」
採光のために特注で設置した嵌め殺しの二重のガラス窓を叩く音がする。外を見ると、そこには高さ1メートルの折り鶴がいた・・・
「これは、興仙殿の式神か?」
これだけ馬鹿げた大きさの式神を操れるのは、毛利義元くんの政軍両方の顧問として台湾に出張している司箭院興仙さんぐらいた。陰陽道の鍛錬をしていたのか操る式神の大きさが半端じゃない。
「少し待ってて下さい」
そう声をかけると、急いで外に出て折り鶴を迎えに行く。
ボフン
俺が近づくと、折り鶴はこっくりと頭を下げ、音と煙を上げて、一枚の紙に変化する。式神は目的を達したので還ったようだ。
「よほど急ぎの連絡なのか?」
地面に落ちた紙を手にとりさっと内容を確認する。なになに・・・新しい仙術を会得した。大縮地法と言い、台湾から京の施薬不動院までの間を一瞬で跳ぶことが出来るようになったと・・・マジか!ついては三月の節句に施薬不動院で会おうと・・・ふむふむ。所々諸々手配して、早速向かうとしよう。
- 1541年(天文10年)3月 -
- 京 山城(京都南部) 施薬不動院 -
「欧仙。久しいな」
逞しく日に焼けた司箭院興仙さんが、にへらと笑いながら、ガチャ箱に頬ずりをしている。司箭院興仙さんのガチャ大好きは今だ衰えていないようだ。
「はい。お久しぶりです」
そう言って頭を下げる。
「早速じゃが、これが大縮地法の会得方法じゃ」
司箭院興仙さんは懐から一冊の平綴じの本を取り出す。巻物じゃないんだ。
「これは先日大陸から、交易品に混じって流れてきた伸縮法のことが記された費長房の書物を儂が知ることと突き合わせて会得するための方法を纏めたものじゃ」
鼻をピスピス広げながら司箭院興仙さんは本をばんばん叩く。最近音沙汰がなかったのは、どうやら書物の翻訳と術の確認作業に忙しかったのが原因のようだ。
「式神と違い、術士自身が観た場所にしか行けないという制限はある。じゃが儂は日を跨ぐことなく台湾と
虚仮の一念というヤツかな?恐るべしである。
「では、大縮地の法と引き換えに、お主が体得するまでガチャを押すことを望むぞ。なに、10日もあればなんとかなるじゃろ」
司箭院興仙さんはカラカラと笑う。いいでしょう。その挑発受けて立ちます!
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