第263話 越後平定

- 1540年(天文9年)4月 -

- 陸奥(福島、宮城、岩手、青森、秋田北東部) -


 武田氏・南部氏連合軍が伊達氏の居城である桑折西山城を包囲してからしばらくして、伊達稙宗が二本松城から脱出したという報告が武田軍にもたらされた。もっとも、伊達稙宗自身には助けられたときの記憶がなく、気がつけば桑折西山城近くの寺の境内に放置されていたという。そこから武田氏・南部氏連合軍の包囲網を突破して無事に桑折西山城に帰還したのだという。もっとも、包囲網といっても十重二十重に隙間なく囲っているわけではないので、少人数で夜陰に紛れて行動されると発見するのって難しいよね。



- 越後(新潟本州部分) 春日山城 -


「我ら越後の国人衆、毛利に従属いたします」


 長尾為景さんを代表者とし、主だった越後の国人衆が、毛利北陸方面軍の指揮官である北畠晴具さんに向かって恭しく頭を下げる。


「従属の件、確かに承った。今後は毛利のために尽くせ。あと長尾殿にはもう一苦労をかけるが、これより観音寺城へと出向き、御館様に謁見するように」


 北畠晴具さんが厳かに告げる。


「ははっ」


 頭を下げたまま、長尾為景さんが返事をする。それでこの話は終了である。なお、長尾為景さんと一緒に長尾為景さんの嫡子である長尾晴景さんと他の国人衆の子弟十数人も観音寺城へと向い、元就さまにお目通り。その後は大坂城で色々と研修を受けて貰うことになっている。人質と次世代教育を兼ねている訳だ。


 越後を平定したので、越後の開拓に着手する。そもそも越後は、海岸線に沿うように丘陵が連なっており、山から流れてきた水は最短距離では海へと流れず、越後平野に溜まって比較的大きな池や湿地帯を形成している。そのため稲以外の作物を育てることは非常に難しく、稲も耕作時には腰まで泥に浸かって作業というかなり過酷な重労働を強いられていた。

 なのでこの状態を解消するために、ゴーレムを動員して、越後を流れる信濃川に史実でいう大河津分水路、内野新川分水路。同じく阿賀野川に松ヶ崎分水路という海へと最短で繋がる水路を建設する。

 これにより鎧潟、田潟、大潟、福島潟といった湿地帯に流れ込む水の量が減少し、場所によっては2メートルくらい水位が下がって、広大な地面が姿を現すようになった。

 ここに金と食事の力で領民を動員して水田を整備し、さらに唐芋サツマイモ、馬鈴薯などの畑を作る。作る米の半分はコシピッカリである。ただ、ガチャ産の籾種は塩水選で選別しても、どれも実はぎっしりと重く、ほぼ100%発芽し苗の育成も素晴らしかったので、育成データとしてはあまりモノにならないというのはご愛嬌。性質が受け継がれるかどうか来年以降に持ち越しだ。


 次に日本一の産出量を確保できるであろう油田の開発。現代の感覚だと質が悪いとか産出量が少くないとか言われているけど、この時代なら十分な質と量である。

 同時に石油の精製プラントも建設する。石油の精製の原理は酒の蒸留方法と同じなので、施設の建設そのものは苦労はしないと思う。それでも当分は原油の状態で備蓄に励む事になるだろうけどね。


「頭領。台湾の先代から報告書が届いています」


 気配を感じさせることなく姿を表した世鬼煙蔵くんが、一通の書状を差し出してくる。


「ふむ」


 差し出された手紙にざっと目を通す。どうやら東シナ海沖に欧州から来たと思われる帆船が頻繁に姿を現しているらしい。これはインド洋の制海権を確保しホルムズやマラッカを押さえ、東に進出してきたポルトガルの交易船だ。目撃回数が増えたということは、ポルトガルが東洋での貿易に本腰を入れてきたということだ。


「建造中の装甲艦を台湾に廻すことも視野に・・・あと、台湾に出張するべきでしょうか?」


「出張は無理だと思います」


 世鬼煙蔵くんが淡々と指摘する。ですよねー。

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