第206話 本国寺の変

- 京 山城(京都南部) 本国寺 -


 三人称


 足利幕府の第12代将軍である足利義晴一行が施薬不動院に御成したあと本国寺に入ったのは日が西の空に傾いた頃だった。なにせ足利義晴自身は輿に乗り、お供に兵を20人ほど引き連れての行幸なので仕方がないと言えば仕方ない。


「流石毛利の重鎮といったところでしょうか」


 足利幕府の幕臣のひとり三淵晴員は、畝方元近が献上した一文銭が全て良銭であることに驚きの声を上げる。


「さらに恐ろしいのは、全部が毛利の私鋳銭ということだな」


 足利義晴は苦笑いしながら一文銭に刻まれている一文字に三つ星の紋を指さす。流通した貨幣を型に鋳造したのでは再現できない模様を指さす。


「領内でこれだけ良質の銭が造れる。これが毛利の強さよ」


 足利義晴は僅かにため息をつく。


「しかし、よろしいのでしょうか?たかが地方の田舎大名に勝手に銭を造らせても」


 三淵晴員は尋ねる。


「ここ数百年ほど我が国は大陸から大量の銭を買うておる。毛利領でのみその価値を保証する私鋳銭だと言われたら、こちらは何も言えないだろな」


 足利義晴はさらに深くため息をつく。足利義晴自身、毛利の強さを短期間で大量の物を運ぶ輸送力と精密な模様の銭を鋳造出来る技術力にあると思っている。物々交換では長期保存が出来ない、量がかさばる、価値が低いものだと近々でのやり取りしか出来ないし、双方が価値の面で妥協するのに貴重な時間が浪費される。銭による取り引きだとその時間が大幅に短縮されるのも大きい。

 その取り引きに使われるのが西国の覇者である毛利が発行する毛利の私鋳銭。今さら幕府の命令で毛利の私鋳銭を禁止しようものなら、即座に日本の西半分に敵対されてしまうだろう。


「毛利は畝方殿を通じ摂関家と縁を持つ。下手な陰口は身を滅ぼすぞ」


 足利義晴 はそう言って三淵晴員を窘める。


「毛利より早く畝方を知り毛利より早く誼を結んでいればな・・・」


 足利義晴はありえない「もしも」をつぶやき、また一つ大きなため息をついた。


 

 - 夜半 -


「公方さま・・・」


 夜半、三淵晴員の呼びかける声によって足利義晴は意識を覚醒させる。


「どうした」


「夜襲です」


 足利義晴の問いに三淵晴員が即座に答える。


「夜襲?周囲に我に敵対する勢力なぞ」


 足利義晴は枕元にあった槍を左手に掴み廊下に続く障子を開く。


「数は30。二つ引両の旗差しが見えるとのこと。敵は細川六郎」


「そうか・・・是非もなし」


 三淵晴員の言葉に足利義晴は口角を上げ嗤う。


「毛利への救援要請は如何しましょう?」


「請われんでも騒ぎが起これば畝方殿は私兵を率いて来るだろ。そういう男よ」


 やがて刀をぶつける音と怒声が本国寺を包んでいった。



- 同時刻 施薬不動院 -


 サイド畝方元近


 カンカンと夜中に緊急事態が起こったときに鳴らす施薬不動院の鐘の音によって俺は意識を覚醒させる。


「首領。本国寺周辺で不穏な動きがあります」


 部屋と廊下を隔てている障子越しに今月の御庭当番しんぺんけいごの責任者である百地正蔵さんが報告を上げる。


「昨日本国寺に公方が入られたのは知られている・・・いや公方が宿泊しているから襲撃されたのか」


 足利義晴さん、堅牢な二条城が出来てからは泊まりがけの外出は物凄く減っていたんだよね。


「はっ、敵は細川六郎です。申し訳ありません。服部殿より連絡が来るまで動向が掴めませんでした」


 百地正蔵さんは深く頭を下げる。いまの京で足利義晴を相手に武装蜂起しようとする勢力なんて細川晴元ぐらいなんだよね。そして我が毛利氏の諜報機関である御伽衆がここ数年血眼になって探していた人物でもある。まあ、高野山に仏敵認定されたとはいえ細川京兆家の当主を務めたこともある男だ。何だかんだ過去の柵から彼を匿う勢力がいるだろう。


「蜂起の合図だけ決めて寺に潜んでいたのだろう。ただ・・・」


「はい。細川六郎を支援していた勢力、必ず突き止めてみせます」


 百地正蔵さんの目が燃えている。ただ寺社は守護使不入権という調査拒否権を持っているのでコッソリ調べるしかない。なお毛利領内の寺社で守護使不入権を振りかざしても意味はない。毛利氏は寺社に守護使不入権を与えた権力者じゃないというのが建前だ。この辺は毛利法度目録にもしっかり明記している。

 何度か説明したかと思うけど、宗教者が守護使不入権を盾に前の為政者とかを匿われると新しい為政者にとっては非常に都合が悪いからね。


「公方の襲撃を画策した元管領とその元管領を支援する守護使不入権を乱用した寺社勢力。これを利用しない手はないよな」


「当然ですな」


 俺と百地正蔵さんは声を低くして嗤うのであった。

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