第184話 どこかで見たような策
ー 北近江(滋賀北半分)長法寺 ー
「義父殿。ご無沙汰しております」
切れ長のつり目に高い鼻。どごぞの歌舞伎役者を連想させるような顔立ちの男が小さく頭を下げる。名を朝倉九郎左衛門尉景紀さん。先日、養父である朝倉宗滴さんの仲介で俺の養女の一人である朝顔と結婚した俺より6歳下の偉丈夫。というか、顔に痣があるけど何があったのだろうか。
「九郎左衛門尉殿も健勝でなにより」
俺もまた朝倉景紀さんに挨拶を返す。
「で、此度の兵300を率いての先触れの無い越境の理由は?」
「はっ。その前にこれを」
朝倉景紀さんは懐から一通の手紙を取り出す。手紙に書かれた「父上へ」という文字の筆跡は朝顔のものである。俺は「ふむ」と頷いてから手紙を開く。
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三人称
遡ること一月前
- 越前(岐阜北西部を含む福井嶺北) 一乗谷朝倉館 -
「殿。孫八郎兄上が北で勝手をしている今、六角殿や細川殿の誘いに乗って毛利と敵対することは自殺行為ではありませんか?」
上座に座る朝倉氏10代の当主である朝倉孝景に向かって朝倉景紀は強い口調で尋ねる。朝倉孝景と朝倉景紀。10歳以上年が離れているが、父も母も同じ兄弟なので顔立ちがよく似ている。
「孫八郎は、本当に困ったものよ」
朝倉孝景は、一つ下の弟である朝倉孫八郎景高が、朝倉氏の食客であった土岐頼武が美濃(岐阜南部)に攻め込んだ際に越前大野郡にある穴間(穴馬)城を攻め落とした事を思い出して顔をしかめる。しかも土岐頼武を支援するために用意した物資の一部を横領していたことも発覚し、二人の関係は急速に悪化していたのだ。
「忌々しい話だが、いまは放置するしかあるまい。こちらの都合で細川殿の計画に支障が出てもつまらん話だからな」
朝倉孝景の隣りに座っていた軍奉行の朝倉宗滴が鼻息も荒く言葉を吐き捨てる。
「ですが、細川殿の計画は本当に上手く行くのでしょうか?」
僅かにため息をつき、朝倉景紀は尋ねる。なお細川晴元が描いた作戦とは、毛利を北近江(滋賀北半分)の勢力の抗争に巻き込んだうえで美濃近くまで引き込み、六角軍で退路を封じた後に包囲殲滅するというものだ。
「作戦は順調に進んでいる。毛利の総大将を引き込むことは無理そうだが、毛利の懐刀である畝方元近は美濃近くまで引き込む目途が立っている。奴を討てば毛利の再起には時間がかかるし、下手をすれば毛利は根本から瓦解するだろう」
力強く断言する朝倉孝景に相槌を打つ朝倉宗滴。
「そう上手くいくでしょうか?」
朝倉景紀が頭を捻るのをみて、朝倉孝景はすっと目を細める。
「お前は儂や殿の見方に間違いがあるというのかっ?」
朝倉宗滴はかっと目を開き、手にしていた鉄扇を投げつける。鉄扇は違わず朝倉景紀の額を捕らえた。
「九郎左衛門尉殿!」
額を押さえてうずくまる朝倉景紀に、病的に痩せた狐目の・・・一乗谷奉行人のひとりである前波景定が近寄る。
「前波藤右衛門尉。九郎左衛門尉は朝倉の当主に反抗した。罰としてこの場で
朝倉孝景は忌々しげに朝倉景紀を見下ろしながら指示を出す。なお、ここでいう
「ごめん」
前波景定が大きく頭を下げたあと、朝倉景紀の背中めがけて1メートル弱の長さがある笞を振り下ろす。部屋中にビシッという鈍い音と朝倉景紀のぐもった叫び声が響き渡る。室内にいた家臣は全員が顔を背けている。
笞は、背中に10回、臀部に10回、左右の太腿に10回打ち据えられて終了。朝倉景紀は同僚の山崎吉家の助けを借りて一乗谷にある自分の屋敷に戻った。
「はぁ・・・策のためには己が身内も利用しますか」
事情を聴いた敦賀の方こと朝顔の顔が能面のようにぬっぺりとしたかと思うと、猛烈な勢いで手紙をしたためて方々に送る。その翌日には彼女が石見(島根西部)から引き連れてきた敦賀神楽団で運用されているという屋根付きの馬車なるものに重傷の朝倉景紀を押し込み敦賀へと引き上げたという。
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朝顔の手紙には、まるで見てきたかのような物語が書き連ねてあった。
それから、郡司を務める敦賀に戻った朝倉景紀さんは、傷が癒えるのも待たず素早く手勢300を集めるとここまでやって来たという。
「大勢の家臣の前で武士の面子を潰されました。毛利の合力をもって
そう言って朝倉景紀さんと彼に同行していた河合五郎兵衛尉くんが深く頭を下げる。
「九郎左衛門尉殿を疑うわけではありませんが、暫くお待ちを」
「は?」
俺の言葉に朝倉景紀さんの眼が点になる。だってそうだろ。経緯を聞く限り三国演義でも屈指のイベント『赤壁の戦い』にある苦肉の計の丸パク・・・アレンジじゃないか。信じて懐に入れて焼き討ちされても困る。
「九郎左衛門尉殿は我が毛利が越前で活動している諜報組織が朝顔の神楽団だけだと思われましたか?」
「あ、いえ・・・」
朝倉景紀さんの点になった眼が泳ぐ。
「そうそう。入れ違いになったようですが、いまごろ敦賀の街は毛利の軍船5隻の襲来を受け大変なことになっています」
朝倉景紀さんの顔色が一瞬のうちに蒼くなる。どうやらでっかい釘が刺さったようだ。
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