第183話 毛利軍出陣!え?なんでアレがこんな所いるの?
衣川城を出陣した我が毛利軍は、
なお補給馬車には独立懸架方式の懸架装置が、大型、小型の兵員輸送馬車には独立懸架方式の懸架装置に加え南方航路で手に入れたインドゴムノキから作ったゴムタイヤが装着されているので乗り心地はかなり快適である。
「「「「なんだこれは・・・なんだこれは・・・」」」」
兵員輸送馬車に乗った朽木貞綱くんとその供回りたちが、虚ろな目で兵員輸送馬車に追随している騎馬を見ながら呟いている。毛利氏が実戦に投入している馬は交配の結果、畿内の馬と比べて体高だけでも1.5倍ほど大きい馬だから戸惑うのは仕方ない。戸惑っているというよりは恐ろしすぎて現実逃避している気もするけどたぶん気のせいだ。
「頭領。西から友軍です」
部隊の先頭にいたはずの百地正蔵さんが馬を駆ってやって来て報告をしてくる。視線を西の方角に向けると、確かに馬影と共に毛利氏の一文字に三つ星の家紋が描かれている旗指を掲げた一団が接近しているのが見える。こちらも騎馬と補給馬車、大型、小型の兵員輸送馬車によって編成された高機動部隊である。
「お、指揮官は三郎くんか」
部隊を率いている指揮官が誰かを解りやすくするために導入した茄子の張子に棒を刺した馬印は、最近三郎を名乗るようになった尼子詮久くんのものだ。
「尼子三郎、北陸防衛隊より兵3,000を引き抜いて参陣いたしました」
合流の挨拶にやってきた尼子詮久くんが、満面の笑みで報告する。ちなみに北陸防衛隊というのは越前(岐阜北西部を含む福井嶺北)の
このうち尼子氏、大内氏、大友氏(実は戸次鑑近くんの戸次氏が大友氏の一族に連なっている)と俺の畝方氏との間には婚姻関係があるので、彼らにとって俺は旧宗主の一門という扱いになっていて、それなりの忠誠心を示してくれている。これは非常にありがたい話である。
「ご苦労さん。朝倉に動きはあった?」
「いえ、
俺の問いに尼子詮久くんは苦笑いを浮かべて応える。
「畿内の名門の腰、簡単に河岸を変えられるほど軽くないか」
「「当然のことかと」」
馬を並走させていた島津忠近くんと戸次鑑近くんが声をハモらせて苦笑いする。さて尼子詮久くんと合流した俺たちは、北の長法寺という山岳寺院を目指す。長法寺の更に北には敦賀へと続く峠道があって、朝倉氏がその道を使って攻めて来た時に備え抑える必要があるのだ。まあ、あと数日もすれば敦賀の沖には毛利氏の軍艦5隻が停泊するから、そうなったら朝倉氏は無理に南下できないだろう。
「頭領。先行していた斥候より緊急の報告があります。長法寺の麓に三つ盛木瓜の旗が、朝倉の旗差しが翻っています。その数およそ300」
再び部隊の先頭にいた百地正蔵さんが馬を駆ってやって来て報告をしてくる。さっきまったく同じ光景を見たような・・・いや、報告の仕方に変なバリエーションとか要らないから良いんだけどね。
「300?後続がくる様子は」
「ありません。あと朝倉の陣に白い鯉の吹き流しが何本か立っています」
百地正蔵さんの報告に周りにいた島津忠近くんや戸次鑑近くん。尼子詮久くんから「あぁ」という声が上がる。この白い鯉の吹き流し、俺の養女である朝顔を朝倉景紀さんに嫁がせたときに朝顔に伝えた、毛利氏と戦う意思がないことを遠目に伝える方法だと教えていたもので、当然のことながら毛利軍では誰もが知ることである。
なお単なる白い旗指にしなかったのは、東国では源氏に所縁のある軍旗に見られる可能性があるからだ。
そうそう。鯉幟というのは、平安の頃からあった武士が端午の節句で家に幟や旗指を飾ったという風習を、江戸時代中期にとある町人が、幟の竿頭にある招代という小旗のかわりに鯉を模った吹き流しを掲げるようになったのが始まりらしい。(諸説あります)
なので、白い鯉の幟が何匹も掲げてあるからといっておかしな光景ではない。ただ朝倉軍の人たちがどう思っているのかは判らないけどね。
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