第8話 その1
広めの会議室に作られた控室の中には、女性芸人が数組集められ、それぞれの楽屋がパーテーションで仕切られていた。
大規模フェスでは個室の楽屋を与えられているのはトップクラスの芸人だけで、他の中堅や若手の芸人はこうして集められているのが普通だった。
「ホワイトブレンド」の二人は最も若手ということもあり、入り口にいちばん近いところを割り当てられていた。
控室に入った悦司はパイプ椅子に座っていた「ホワイトブレンド」の二人の前に立った。
「おつかれさま。まだ衣装なんだな」
悦司の方から先に美穂に話しかけた。
「おつかれさまです。なんかこのあともね、ちょいちょい幕間のコーナーに出演する予定があるみたいなんだ」
「大変だな」
「でも最後までいる必要はなくて、夕方には帰れるんだよ」
「それは良かったな。最後までいたら夜中になっちゃうもんな」
フェスが終わるのは22時の予定となっている。今から10時間近く待たされるのは売れっ子の二人にとっては時間の無駄に他ならない。
「それよりも悦司、見に来てくれたんだ」
「ああ。初めて生で見たけど、やっぱりすごいなお前らは」
悦司のその言葉に、美穂の隣でずっと黙って座っていた聖愛が、急に立ち上がった。
「は、はじめまして、中谷聖愛です!」
「クラスメイトで「ゆーめいドリーム」の椎名悦司です」
悦司は突然の自己紹介に戸惑ったが、丁寧に自己紹介を返した。
――これが悦司と聖愛が初めて交わした会話だった。
「聖愛ちゃん、急に立ち上がったら悦司もびっくりするよ」
「ごめんなさい」
「いいっていいって。そしてこっちでひと言もしゃべっていないのが、同じクラスでオレの相方の鮎川真幌」
「……はじめまして」
さっきまでウキウキだった真幌は、本人たちを前にして緊張しているのか、ひとことも喋らずキョロキョロしていた。
美穂と聖愛は少しだけ複雑な表情をして「はじめまして」と頭を下げた。
そこから一瞬だけ、沈黙が流れた。
すると美穂が急に立ち上がり、真幌の手を掴んだ。
「鮎川さん、ちょっと飲み物でも買いに行こっか!」
「え、あ、うん」
美穂は気を利かせたのか、真幌と話したいことがあるのか、珍しい組み合わせで楽屋を出ていった。
楽屋に残された悦司と聖愛が、改めて向き合った。
「まさか来るとは思っていなかったので……」
そう話す聖愛の顔を見ながら、悦司は「近くで見るとより小動物感が増している」と考えていた。
一瞬意識が飛んでいた悦司は、頭を振って意識を取り戻した。
「えっと……中谷さんと話したいことがいっぱいあってさ」
「そうなんですか」
聖愛は恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。
「まず言わせて欲しいんだけど……オレは中谷さんのことを、心から尊敬しているんだ」
「えっ……あ、ありがとうございます。私もあなたのことを尊敬しています」
「いやいや、オレは中谷さんに尊敬されるところなんてなにもないよ」
「そんなことないです!!あと、それと……」
「それと?」
「聖愛……でいいです」
「えっと……初対面でそれはかなり恥ずかしいんだけど……」
「大丈夫です。私はその方がいいです」
聖愛は顔をさらに真っ赤にして下を向いてしまった。
その様子を見て自分も照れくさくなってしまった悦司は、話題を変えるために質問を続けた。
「それじゃ……ま、聖愛。いくつか質問していいか?」
「はい、次のコーナーの出演までは時間があるので大丈夫です」
「えっと……」
悦司はコホンとひとつ咳払いをして質問を始めた。
「まず聞きたかったのはネタに関してだ。あのネタも演出も全部、聖愛が考えているんだよな」
「そうです」
聞き取れないぐらい小さい声で聖愛が答えた。
「コンセプトもそうなのか?」
「はい、コンビ名の由来になっている曲のタイトルと歌詞からから思いつきました」
「そうなのか……あとで歌詞でも検索してみるよ」
「それは恥ずかしいです」
「まぁ気が向いたときにしてみるよ。それで、なんなんだあのネタの完成度は。何か参考にしたのか?」
「はい。たくさんの芸人さんの動画を配信サイトで見て、ネタと観客のリアクションを全て書き起こして、尺や間を測りながら読み直すことを繰り替えしてきました」
「それ、オレと同じじゃないか!!」
「そうなんですか!?」
急に聖愛の顔がパァッと明るくなった。
「まさか私が椎名さんと同じことをしていたなんて!」
「悦司でいいよ」
「は、はい……悦司さん!」
「聖愛はそのやり方を自分で考えたのか?」
「そうです。小学生の頃に始めて、それからずっとです」
「小学生の頃からずっと?」
「最初は「しいな&ポケッツ」が本当に大好きで、そのネタを書き起こすところからはじめました。それからいろいろな芸人さんのネタも書き起こすようになって、気付いたら毎日やっていました」
「すごいな、毎日毎日5年間も続けていたのか?そりゃあの完成度になるよな」
「すごく励みになります。ありがとうございます」
「ありがとうって……オレ、ぜんぜん上から言ってるつもりとかないよ。逆にすっげえ勉強させてもらってるんだぜ」
「そんなことないです。下北のライブも見ましたが、本当にすごいと思いました」
「あぁ、見に来てくれてたのか。なんか恥ずかしいな……」
真幌と受けた2回目のオーディションで合格した悦司たち「ゆーめいドリーム」は、先日、下北沢のライブハウスで開催されたイベントに出演していた。
「恥ずかしいなんて言わないでください。20組以上出演した中で1組だけ別格でした。桁違いに面白かったです」
確かにそのイベントで「ゆーめいドリーム」は爆笑をさらっていた。
「でもあれはぜんぜん納得できていないネタなんだ。ベタすぎて新しさが無かった。手堅く小さな笑いを取りにいきすぎた」
「ベタなネタで笑いが取れるということは、ベースがしっかりできているということではないですか?」
「いや、オレたちはそんなところはとっくに通過点にしておかないといけないんだ。そこで止まっていてはダメなんだ」
「そうですか。では私からも質問しますが、悦司さんはなぜそんなに急いでいるんですか?」
「……オレ、急いでいるか?」
「はい、私にはそう見えます。でもそれって、もしかして……」
「もしかして?」
「私たちのせいですか?」
「……」
悦司は本当に心の底から「ホワイトブレンド」のことは意識していなかった。
しかし、なぜ急いでいるのかという問いに対しては、すぐに答えることができなかった。
そこへ美穂と真幌が戻ってきた。それぞれ両手に飲み物を持っていた。
美穂は聖愛に、真幌は悦司に飲み物を渡した。
「聖愛と何話していたの?」
美穂が笑いながら悦司に聞いた。
「ネタについていろいろとな」
「ふーん、そうなんだ」
「お前たちは何話してたんだ?二人は初対面だろ」
「そんなことはっきり聞くなんて、悦司はデリカシーないなぁ」
「えっ?そうなのか?真幌、オレってデリカシーないのか?」
「まぁ、初対面の女子にもグイグイくるし、デリカシーはないかな」
「お前まで!真幌のことは信じていたのに!」
「へぇー、鮎川さんのこと「は」信じてるんだ」
美穂が悦司のことを睨んだ。
と、そこへイベントのスタッフさんが「ホワイトブレンド」の二人を呼びに来た。
どうやら幕間のコーナーへの出演が早まったようだった。
「それじゃ、オレたちは行くよ。がんばれよ」
「うん。また遊びに来てね」
美穂は手を振りながら笑って二人を送り出した。
悦司はもっと聖愛とお笑い論を語り合いたかったが、いまはそのタイミングではないと諦めた。
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