第2話 その3

 教室に入った悦司は、すぐに鮎川の席を見た。そこにはまだ鮎川の姿は無かった。

 鮎川の席は、廊下側の前から三番目。悦司の席からは少し離れていた。

 一緒に教室に入った美穂は、あっという間に友人たちに囲まれていた。

 そんな美穂の様子を見て、悦司は「あれが本当の人気者だよな」とつぶやいた。

 それからホームルームが始まるギリギリまで鮎川が来るのをチェックしていたが、全く登校してくる気配がなかった。

 結局鮎川は、始業のチャイムが鳴ると同時に教室に駆け込んできた。


 悦司はその日の授業中、こっそりと鮎川の様子をうかがっていた。

(鮎川って見た目はそれなりなのに、なんで友達がいないんだ?)

 その理由は、少し見ただけですぐにわかった。

 ――とにかく鮎川は、表情が目まぐるしく変わるのだ。

 ニヤニヤしたり、感極まって泣きそうになったり、ムスッとしたり……。

(もしかして、いろいろ妄想してるのかな?)

 何を妄想しているのかまではわからないが、見ていて愉快だった。

(さすがにアレだと、普通の女子は話しかけづらいかもな……)

 さらに悦司は、なぜ今まで鮎川の存在に気が付かなかったのか不思議に思っていたが、見ているうちにその理由もわかった。

 鮎川は一時間目の授業の途中で、机に突っ伏して寝てしまったのだ。その行動もまた、友人がいないことに拍車をかけていたようだった。

 それならば休み時間に話しかけようと意気込んでいた悦司だったが、そのままお昼休みまで目覚めることはなかった。


 昼休みになると、ようやく鮎川が目を覚ました。お弁当を持ってきていない鮎川は食堂に向かおうとしていた。

 悦司はいつも昼食を共にしている友人たちに断りを入れてから、教室を出て、鮎川を追いかけた。

 食堂に着くと、鮎川は片隅の目立たない席に一人で座って、モソモソと何かを食べていた。

 悦司はいきなり鮎川の向かい合わせの席に座った。

「食事中にごめんね」

「ブハッ!」

 カレーうどんを食べていた鮎川は、口からうどんを何本か吹き出した。そのうどんは見事にカレー汁がたっぷり入ったドンブリの中へ着水した。

「えっ!?何!?何なの?わたしの白いブラウスをカレー色に染めたいの!?」

「あはは。確かに、そーっと食べてたもんな!」

「これ、もう食べられないじゃない!「二度食い」とかムリだし!」

「二度食いってなんだよ!ソースの二度漬けみたいな言い方するな!」

「何なのさっきから!わたしの言うことにすぐつっかかってきて!」

「ツッコミどころ満載なんだよ!お前は!」

「お前はやめて!何度も言わせないで!」

「じゃあ、マホトー……」

「やめて!真幌でいいから、もう!」

「真幌ねぇ。急に距離縮まりすぎじゃないか?」

「あんたがグイグイくるから、すごいスピードで縮まってるの!」

「悪い悪い、お前……じゃなくて真幌」

 真幌は「うっ……」と頬を赤らめた。そんな真幌の表情を悦司は微笑ましく見ていた。

「オレさ、真幌と話してると楽しいんだよね」

「えっ、ちょっと、何言ってるの。わたしは楽しいとかないし」

「でもここまでずっと話に付き合ってくれてるじゃん」

「む、むむ~う」

 真幌は変な音を発して、真っ赤になって黙り込んでしまった。そんな真幌に、悦司は語りかけるように言った。

「なぁ、真幌、よければオレと……」

「な、何こんなとこで、そんなこと言い出してんの!バカじゃないの!」

 真幌は急に立ち上がって、悦司とカレーうどんを残して、走り去ってしまった。

 昼食を食べていなかった悦司は、目の前に残されたカレーうどんを見て、人としてこれを食べて良いものかどうか迷っていた。


 結局悦司は友人たちがいる教室に戻り、家から持ってきたお弁当を食べた。その間、真幌が教室に戻ってくることは無かった。

 やがて午後の授業が始まると同時に真幌が戻ってきた。一瞬だけ悦司を見ると、すぐに眠りについた。

(本当によく寝るやつだな……)

 ずっと寝続ける真幌をよそに、あっという間に最後の授業の時間になった。

(なんか今日はずっと真幌ばっかり見てたな)

 真幌の席を見続けている悦司に気付いたのか、美穂は指で「前を向いて」と合図してくれた。

 前を向くと若い女性の教師が悦司を睨んでいた。

「ちょっと椎名くん、好きな子ばっかり見ないように!」

 教室の中が一気にざわめいた。

『えっ?誰?誰?』

『誰見てんの?』

 悦司は落ち着いた様子で微笑みながら言葉を返した。

「先生……僕には先生しか見えてませんよ」

「うーん、もう!……ほどほどにしてね!」

 女性教師は呆れた顔をしてから授業を再開した。悦司はなんとかその場をしのいだと思っていたが、美穂だけは一人、真顔だった。

 ――そんな騒ぎの間も真幌は眠り続けていた。


 帰りのホームルームが始まると、ようやく真幌が目を覚ました。

 そして放課後になった瞬間、悦司は急いで真幌の席へと駆け寄った。

「なぁ真幌、少しだけ、少しだけでいいから、オレの話を聞いてくれないか?」

「な、なによ?」

 真幌は驚いたのか、急に席から立ち上がった。真幌の席の周りにいた何人かが、戸惑いの顔で二人を見た。美穂も目を見開いて二人を凝視している。

「真幌、さっきの続きだけど、よければオレと……」

「バ、バカ!こんなところじゃダメだよ!」

 真幌は慌てて悦司の手を引き、走って教室を出ていった。

「こ、こ、こういうのってどこで聞くのがいいのかな?……屋上かな?体育館裏かな?」

 真幌は悦司の手を引いたまま、何やらブツブツ言いながら、どこかへ向かって走っている。

「おい!お前、どこまで行く気だよ!」

「あ!また『お前』って言った!」

「今それはどうでもいいだろ!それよりどこまで行くつもりなんだよ!」

「……だって、い、今から……こ、告白するんでしょ、あんた」

「は?」

「わたしに『好き』って言うんでしょ!!」

「違うって!そんなんじゃないって!」

 真幌は急に立ち止まった。

「はぁ?じゃあ何なの、もったいぶった言い方して!」

「オレは最初から、お前に『話を聞いてくれないか』って言ってただろ!」

「お前?」

「真幌に」

「……で、何の話を聞けっていうの?」

「いいか、慌てないでちゃんと話を聞いてくれよ」

「わかったから。慌てないから早く言って」

「なぁ、真幌、オレと……」

「あわわわ!」

「だから!それ!」

「ご、ごめん」

「いいか真幌、今からオレと……夢の話をしないか?」

「えっ?」

 戸惑う真幌に、悦司はゆっくりと自分の夢を語り始めた。

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