滅びうたう呪竜は監獄になく

羽鳥(眞城白歌)

第一章 出逢い、あるいは再会

[0]プロローグ


 昨日より暖かくなった風が頬をなで、庭に干された洗濯物を揺らしている。庭木に背中を預けてうとうとしていたヴィヴィリアは、名前を呼ばれた気がしてぼうっと目を開けた。


 快晴の空に、刷毛はけで描いたような薄雲が広がっている。今日は朝から天気が良くて、母は洗濯を頑張っていた。

 白いシーツと色とりどりの洋服が風にはためく様子は、お祝いの旗飾りみたいで、陽気な曲調の音楽が似合いそうだと眠い頭で考える。


「だぁかーらー、オレさまもう乾いてるって言ってんだろっ! 降ろせよー、ヴィヴィ!」

「…………?」


 ふわふわした夢の中に侵入してきた声は、相棒のものだったようだ。そういえば、いつも隣か膝の上にいるの姿が今日はない。

 なんでだっけ、と首を傾げて少し考えたヴィヴィリアは、早朝の事件を思いだした。


「……ん」


 膝に乗せていた本を丁寧に閉じ、芝生からゆっくり立ちあがる。パタパタとほこりを払ってワンピースを整え、洗濯物のカーテンをくぐり抜けて、声の出どころを探す。

 慌てんぼうの父に朝食の席で熱々のコーヒーをかぶせられた相棒は、母によって丁寧にシミ抜きされ、カラフルな衣服たちと一緒に干されていたのだった。彼が乾くのを待つ間に読みかけの本を読もうとして……陽気に誘われうたた寝してしまったのだろう。


「ヴィヴィ、ここだぜ! こうあちぃと、耳の先から焦げちまわぁ」

「……あ、……んしょ」


 ようやく見つけた相棒ことのフラウリーは、小柄なヴィヴィリアにとっては少し高い場所にあった。つまんだ跡がつかないようにという母の気遣いか、ピンチを使わず物干しロープの上に引っ掛けてある。

 自律するぬいぐるみとはいえ、自分で飛び降りるのは無理だったらしい。

 フラウリーは綿入りの手足をパタパタさせて意思表示しているが、手を伸ばしてみてもギリギリで届かなかった。


「うぇ、もしかしてこれ、作者かあさん帰還まで降りられないコースかよ……」

「……ん、んんーっ」


 色あざやかにはためく布の海は、上から見渡せばどんなに綺麗だろう。てっぺんに陣取るのは楽しそうと思うが、フラウリーが側にいないとヴィヴィリア自身も困ってしまう。

 何とか届かせようと爪先立ちで手を伸ばした、その勢いで、足元のバランスが崩れた。


「……っ!?」

「ヴィヴィ!?」


 あわや洗濯物に突っ込んで大惨事……の直前、背後から伸びた腕がヴィヴィリアの身体を支える。ナイスなフォローに、いつも家に来る幼馴染みを思い浮かべたヴィヴィリアだったが、振り返り見た視界に立っていたのは見知らぬ大人だった。


「!?」

「……誰だオマエ!」


 ヴィヴィリアの代弁とばかりに、ロープの上でフラウリーが吠える。ヴィヴィリアは急いでその手を振り払い、フラウリーの真下に干されたシーツの陰に逃げ込んだ。

 ここは自宅で、父は仕事、母は買い物だ。見知らぬ大人が庭にいる、これは間違いなく警戒すべき緊急事態だった。


「へぇ、ソレ、魔物か何か?」


 怪しい人物は薄灰色ライトグレーの両眼を細め、首を傾げる。さらりと流れた髪は真っ白で、肩につかない程度の長さだった。

 ほっそりしていて背が高く、武器は何も持っていない。うっすら微笑んでいるように見えて、恐怖感が胸を満たしてゆく。


「オレさまが、魔物! だとぅ!? オマエこそ何だ! 人族ヒトじゃねー匂いプンプンさせやがって、……ちょ、こっち来んな!」

「ふぅん……そんなことも解っちゃうのか。じゃあ、君と僕はってことで、お仲間じゃん。そんなに嫌わないでくれる?」

「はァ! フザけたこと言ってんじゃねー、オレさまのほうがヴィヴィの面倒みてんだぞ!」


 ふたりが何か恐ろしげな内容の言い合いをしている間、ヴィヴィリアはフラウリーを救出しようと必死で支柱を揺らしていた。

 こんな得体の知れない不審者のところに相棒を置きざりにして、ひとり逃げるわけにはいかない。引っ掛けてあるだけなのだから、大きく揺らせばロープから外れて落ちてくるに違いないのだ。うまく受け止められなくても、下は芝生だからきっと大丈夫。

 それなのに、強風で倒れないようしっかり固定された支柱は、ヴィヴィリアの非力ではびくともしてくれない。


「オイ! ヴィヴィ、何やってんだよぉ! オレさまが時間を稼いでる間に、逃げろって……」

「駄目だよ、逃げちゃ。僕は、君に用があってきたんだから。……薄藤色ライラックの髪に青紫色ヴァイオレットの目、十一歳、ヴィヴィリア・ロナ。間違いないよね」


 ヴィヴィリアの特徴ステータスを一つ一つ挙げつらねながら、白い髪の人が近づいてくる。恐怖で息が止まりそうになりながらも、彼女はフラウリーを見あげ必死で首を振った。どんなに怖くても、友達を見捨てて逃げるなんて最低なことはしたくない。

 ロープの上でゆらゆらしながら白い相手を罵倒ばとうしていたフラウリーにも、ヴィヴィリアの気持ちは伝わったのだろう。


「クソッ、こうなったら奥の手だ……ヴィヴィ! オレさまが許可する! アレを歌え!」

「……んっ!」


 すぅ、と息を吸い込み、イメージの中に螺旋らせんの音階を描く。

 広がる旋律を美しく奏でて心を酔わせるばかりが呪歌じゅかではないのだ。いぶかしむように眉を寄せた怪しいひとを、威嚇いかくを込めて睨みつける。

 全身を楽器の代わりにして音階を巡らせ、ゆっくり開いたヴィヴィリアの口から、鼓膜をつんざくような高音がほとばしった。


「――っ!? うあっ、ちょ……何この音!」

「ぐあぁぁぁ……頭が、割れちまうっ、ぜぇ……っ」


 呪歌を自作していたときに偶然できてしまった破壊の音階ハウリング・スクリーム。敵味方関係なく効果てきめんなのは困るが、これで味方の大人たちに異変を知らせることができるはずだ。

 当然、相手もその意図に気づいたのだろう。


「ちぇっ、……だから嫌だったんだ!」

「ザマミロー! 苦しめー! キヒヒヒ……」

うるさいよ、こんな程度で僕が苦しむわけないだろ!」


 苦しげに表情を歪めいらついたように叫んだ彼の身体が、唐突に白く発光した。

 驚いて思わず息を飲むヴィヴィリアの目の前で、人の姿をしていた怪しいひとは、白く巨大な幻獣へ変化してゆく。フラウリーが悲鳴をあげた。


「嘘だろ!? オマエ、ドラゴンだってのかよぉ!?」


 すんなり長い首と、白い皮膜の翼、白毛に覆われた太く長い尻尾と。白い巨体の幻獣が、身体に絡まった洗濯物を振り払いながら立ちあがる。

 薄灰色ライトグレーの目がきろりとこちらを睨み据え、細かな牙の生えた口が開かれて、不思議な言語ことばを紡ぎはじめた。魔法よりも歌に近い抑揚よくようだと、ヴィヴィリアはぼんやり考える。


「ヴィヴィ! 逃げろーっ!!」


 逃げなきゃ、そう思うけれど身体がいうことを聞かない。美しくも禍々まがまがしさを感じる旋律にフラウリーの悲痛な叫びが混じり、ヴィヴィリアの心を絡めとっていく。

 助けてと願った心に、幼馴染みである朱翼の少年が浮かんだものの。それもすぐに、白い呪力に溶けてゆき――。


 ヴィヴィリアの意識は無音の闇へと落ちていった。




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