恋人はミヤモト・ムサシ

冷門 風之助 

第壱話

 暇だ。

 欠伸が出る。

 

 今日はたかだか半日だけで、もう欠伸あくびが何回出たことだろう。


 電話は沈黙を続けている。

 『乾宗十郎探偵事務所』

 などと、御大層に掲げられた看板プレートの貼りつけてあるドアも、約二カ月近くの間、ノックされたことも、呼び鈴が鳴らされたこともない。


 いくら『新型何とかウィルス』蔓延中だといったって、これじゃ一匹狼の探偵の顎は干上がってしまう。


 もっとも昨年中、面倒な仕事が立て続けにあったので、それなりに実入りはあったから、当面現実的な意味で困る事はまずない。


しかし暇すぎるのは精神衛生上良くないな。


 かの英国の好色諜報部員スパイ氏だって”退屈は最大の敵”だなんてのたまっていた。

 今の俺が正にそれである。


 馴染みの弁護士の所に電話を掛けたって、このご時世だ。

 探偵に依頼をしにくる酔狂な人間などいない。


 日頃俺は”昔話なんか爺さんになってからでも出来る”なんて豪語していたが、しかし、止むをえまい。


”退屈という最大の敵”と戦うためには、その昔話でも引っ張り出して暇をつぶしてみるのも悪くはなかろう。


 あれは・・・・そう、今からちょうど二年前の事だった。


 ブロンドの髪を首の後ろでポニーテイルにし、紺色のジャケットに白いブラウス。黒のタイトスカートから覗けたほっそりした脚は、同じく黒のストッキングが包んでいる。


 化粧らしい化粧といえば、わずかに薄いパールピンクの口紅だけ。


 きりっと引き締まった眼差しは、その辺の男なんか寄せ付けないという鋭さが感じられる。


 彼女の名は、

”学校法人T学園付属鷹見ヶ丘高等学校教師、マーガレット・ハリソン。

 年齢は・・・・まあ、これは言わずにおこう。

 女性の歳を公にするのはエチケットに反するからな。


 その名と容姿の通り、彼女は日本人ではない。

 生まれは英国のグラスゴーだが、父親の仕事の関係で、2歳の時に来日してからというもの、殆どの時間を日本で暮らしている。


 故国に帰るのは、夏休みや冬休みなどほんの僅かの限られた時だけ。

 従って日本語は並の日本人なんぞより遥かに流暢。学校で教えているのも古文と漢文と来ているから本格的だ。


 それだけじゃない。


 彼女をもっとも日本に惹きつけたもの、それは武道。別けても『講道館柔道』は、彼女にとって今やなくてはならない存在、人生の一部になった。


 来日してからずっと習っており、今では講道館から『参段』を允許されている。

(近々四段位にも挑戦するそうだ)

 

 実は彼女と顔を合わせるのは初めてじゃない。


 これで二度目だ。

(*詳しくは『HEY JUDO!』を参照頂きたい)


 彼女は日本の大学を卒業し、教員免許を取得、その後ずっと同学園で教師をしている。

 それだけじゃない。

 彼女は柔道部の顧問でもあるのだ。


『で?』

 俺がそう促しても、

 事務所オフィスのソファに向かい合って座った彼女は、頬をピンク色に染めて、言うべきか、言わざるべきか、逡巡しゅんじゅんしている様子である。


 時間ばかりが過ぎて行く。

 たまりかねて俺は続けた。

『そういつまでも無言の行をされたんじゃかなわないな。』


『ごめんなさい』ハリソン先生は、俺が淹れてやったコーヒーのカップを取ると、一口だけ啜り、それから口を切った。


『実は、ある男性について調べて欲しいんです。』

 俺は苦笑して、


『前の依頼の時に話さなかったっけかな?俺は法律で禁じられている以外、結婚、離婚または恋愛に関する依頼は原則として受け付けないと・・・・』


『恋愛に関するという点では間違いはありません。でも何も素行調査をして欲しいと言うんじゃないんです。そこから先は私がします。でも”彼”については、名前、それも本名かどうか分からない、仮名だけしか分からないものですから』


 俺はまた苦笑した。

『まあよかろう。話だけは聞いてやるよ。それで興味が湧いたら引き受ける。で、誰なんだね。君のような”青い目の女三四郎”を射止めた勇者は?』


『”ミヤモト・ムサシ”です』


 彼女ははっきりした口調でそう答えた。




 


 


 


 



 

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