ポストコロナ・世界と日本
北風 嵐
第1話 ポストコロナ・世界と日本
(1)
コロナ戦争、この戦争では健闘を称えられた国はあったが、勝者は存在しない。世界の経済大国の様はどうだったか?
ドナルド・トランプ大統領は「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン!」(アメリカを再び偉大な国にする)と叫んで大統領になったが、アメリカがナンバー1になったのは、感染者の数と死者と失業者の数だった。
また、習近平政権のスローガンは「中国の夢」だが、武漢で起こったのは「中国の悪夢」で、その悪夢を世界に輸出してしまった。一応まだ第3位の位置にある日本では、せっかくダイアモンド・プリンセスが警告船としていち早く来たのに、これを厄介船と処理してしまった。そしてWHOがパンデミック宣言した中でもオリンピックにしがみついた「アベノミクス」は、いまや「アベノマスク」と化してしまった。
中国発アメリカ行き、何故か象徴的ですらある。今回のコロナはそれぞれの国の最も弱いところ突いた。中国はその強権隠蔽国家体制、アメリカは極端な格差社会の脆さ、日本はマスク2枚の政治の貧困。奮闘するドイツであるが、EUも大きな課題と試練が次々と、ギリシャ財政危機、難民移民問題、イギリスのBrexit、そしてEUの理念であったはずなのに、イタリア、スペイン、フランス……と、次々に「国境」を封鎖していった。麗しいEU憲章の精神など、ウイルスの前に雲散霧消してしまったのである。ドイツ一つでは持ちこたえられないEU。分裂か、結集か・・
人口13億のインドは何の策もなくやみくもに全土を封鎖、トルコ・イラン中近東諸国。紛争地域の感染爆発は難民もあって最も悲惨だ。オーストラリア、ニュージランドを除く南半球の感染爆発はこれから。北の先進国諸国は自国が精一杯で援助の余裕もない。グローバルから一転鎖国状態を強いられた世界。1929年以来の大不況は必至である。治療薬、ワクチンが見つかったとしても、感染の終息には時間がかかり、世界経済の立て直しにはどれだけの時間がかかるのだろう。グローバル化した世界、予想されるパンデミック、前と同じでは、次なる戦いは戦えない。果たして、どの様な大胆な「デザイン」を世界は描けるのだろうか。
(2)ポストコロナ・日本
いきなり世界は無理(笑)。日本なら長く住んで来たし、生きて来た。色んな事件も目にし、関心も払ってきた。神戸の震災は体感として感じた。その自分でも東北大震災・原発事故災害には心と身体が震えた。そして今、コロナ惨禍。武漢が、クルー船がと言っている間にコロナは世界を駆け巡った。そのスピードにただただ驚いている。
戦後日本の歩いてきた道を振り返りながら、ポストコロナ・日本を考えてみたい。浅学の自分が論理的に書いても面白くもクソもない。軽薄短小、妄想作家の戯言と読み飛ばして欲しい。
では・・・
バブルで1億総踊り、政治も官僚も銀行も企業も、株屋も、不動産屋も、料亭の女将からボディコンのお姉さんも、みな踊ってしまったのです。東大出たお偉い大蔵官僚や、大銀行の頭取らが真っ先に踊ったのですからそれは仕方がありません。戦後、営々と築いて来た経済大国の礎は、踊り舞台となっただけでした。
祭りの後は、虚脱の10年、流されて10年、気が付けば30年。新型コロナ専門家会議の台詞ではありませんが、「何とか持ちこたえていた」経済が、コロナで破綻。破綻と云えば世界は一時全て破綻したのですが、日本は殊のほか酷かったのです。
水際作戦は習近平さんに配慮して失敗、オリンピックを気にしたのか、クルーズ船の感染者数を外に置いたり、政府はことのほか感染者数に敏感になったのです。その為ではないでしょうが、PCRの検査体制の遅れは、ある医系大学教授が『日本の恥じ』と云ったぐらいで、医療面、経済支援、全てが後手、後手で、動かない政府に国民は苛立ち、怒り、最後は呆れ果てたのです。特に、厚労省にはかくも官僚はダメなのかと、国民は確信してしまったのです。
国が動かないなら、今まで予算欲しさに、国に物申したことのない知事たちが活躍し出したのです。オリンピック延期が決まって、急に都知事であることを思い出した女史、地域政党希望の星大阪府知事、北海道の若き知事。PCR検査で名を上げた老練和歌山知事ら他・・。都ではパホーマンスばかりの女史に呆れて、区長たちが都の医師会と組んで独自のPCR検査体制を作りだしたのです。
国民は、補償泣き(泣きの涙ほどは出たのでこの字)要請でも、俺たちに出来ること、我慢して耐えるしかないと腹を括りました。医療者は、孤立無援な中でも、職業意識と使命感だけで頑張りました。そのお陰かどうか、死者数だけは自慢していい少なさでした。でも世界はこれを評価とせず、『日本の不思議』と称したのでした。
私は国と云うのは政府だけを意味するとは思いません。感染症ベッドが少なかったという欠点はあったのですが、皆保険の医療面を含めてやっぱり国民の民度が高かったからではないかと思うのです。ともすれば医療現場ばかりに目が行きますが、介護現場の頑張りが大きかったと思うのです。イギリス、フランス、イタリアでは高齢施設での死者が全死者の50%を占め、ドイツでも39%だと云います。社会福祉士として施設勤務の経験もある私は少し鼻が高いです。
神戸の震災の時、私の知っている人に韓国の女性がいました。この人が日本のことを良く言ったことはあまり聞いたことはありませんでした。その彼女が「お国が発展した国になられた意味が分かりました」と私に告げたのです。寒い中、コンビニの前に正しく行列を作っている人たちを見て感動したと云うのです。「残念ですが、私の国なら我さきの奪い合いです」と。我が国が朝鮮や、大陸で過去に行ったことを思って、私は面映ゆい思いでしたが、それでも聞いて嬉しかったです。
私は死者数が少なかったことは評価したいと思います。
あのクルーズ船を「厄介船」と見ず、「警告船」と見てさえしてくれていたら、緊急事態宣言など出さずに済んだ数少ない国の一つになれたのではと無念でなりません。
しかし、欧米のように爆発しなかったかわり、日本は梅雨のようにじくじくと長引いたのです。これは経済には致命傷でした。景気浮揚の一つとした頼みのオリンピックも結局出来ずしまい。たくさんのお金を使っただけでした。療養ベッド数不足、自宅待機者が多い中で、出来上がったオリンピック村21棟が虚しく東京の夜空に黒いシルエットを見せて建っておりました
このようにさらりと書いたのですが、書きたくないようなことも多々あったのです。首都圏の自粛要請の中、営業し続けたパチンコ屋、自粛を云う住民と客との暴力沙汰もありました。医療従事者の子供らに「コロナ」と云う、心無い差別的な言葉が投げかけられたりもしました。
日本は画用紙の上に落とした水滴、じわ~と沁み込んで、でも水滴がいくつも続くと最後は浮き出て来て、新聞紙で何回にも分けて吸い取らねばなりません。爆発もしないかわりに減りもしない、減ったかと思えばまた増える。自粛を緩めたかと思うと、クラスターが発生。また自粛。長く続いたのです。長く続けば外国では対立だの暴動だのになるのですが、おとなしい日本人はコッソリ首都圏から逃げ出したのです。
自宅療養待機者の中から急死する人が続出したのです。地方出身の若い人たちが実家帰りを始めたのです。非正規で仕事がない、アルバイトが無くなって学業も困難になった若者がワンルームの家賃を払って東京に居続ける理由はなくなったのです。これに対して地方は「来るな、来ないで」の大合唱。東京駅で、降り立った駅で、彼らは阻止され、いざこざが起きたのです。
こんな時でも、どさくさに紛れて黒川検事の定年延長を図る。大変な反対を受けましたが強硬に法案通過、さらに、ここで政府は大馬鹿な手を打ったのです。強権発動、人の移動を禁止する(いわゆる都市封鎖)法改正を図ったのです。これを察知した首都住民の一部が東京駅の新幹線に並び出したのです。高速道路も車の数が増えました。一番危惧された首都からの集団疎開が始まり出したのです。
国民は賛成に回るかと思ったのでしょうか?官邸はこれを一点突破の武器に変えようと思ったのでしょうか?勿論、強権が必要だとする意見もありました。しかし、国民は以外と冷静でした。とある都の区長の言葉も大きかったです。「彼らが悪いのではない、その様な東京にしたのは私たちだ、首都防衛に全力を尽くします」と、都民の多くも賛同し、国民はこんな無能な政府に今強権を渡したらどうなることかと考えたのです。
政府もさすがにこれは撤回しましたが、威信は低下、大都市と地方の対立が垣間見えたのです。神戸の震災、東北の大災害の時は、人々は応援に駆け付け、土地の人達は歓迎して迎え入れました。コロナの最も厄介で嫌な面でした。
(3)東北大震災・福島原発災害のこと
危機がチャンスでもあるとしたら、失われた20年、30年の中で、たった一つ日本が変われるチャンスがあったのです。東北大震災・福島原発災害の時でした。時の政権は民主党。日本の本当の意味での政権交代でありました。「コンクリートから人へ」いいキャッチフレーズでした。連日、八ッ場ダムのコンクリートがTV画面に映し出されました。国民は政権交代に期待しました。八ッ場ダムは結局中止されず工事は継続(ダムは2020年3月に完成)されたのです。最も汚れた象徴、原発建屋のコンクリートが爆発で砕け散ったのに、政権は脱原発を宣言できませんでした。
脱原発を決めたのは、事故を起こした日本ではなく、ドイツでした。今や自然再生エネルギーでは最先端の国になっています。日本の自然再生エネルギーコストはドイツの2倍という現状です。いいイノベーションが出来たのにと残念です。石油ショックのとき、「ガソリン価格が2倍になるなら、走る距離を2倍にすればいい」と、日本の自動車がアメリカを侵攻し、世界に羽ばたいたのです。「省エネ日本」は一時世界のブランドとなったのです。その知恵は、この原発の時は生かされませんでした。
私事すが、私の父は田舎から大阪の商店街に出て、小さな商売を始めたのですが、都会の競争は厳しく、何回か商売替えをしました。ダメと思ったらすぐやめるのです。1か月も、2か月も、店が閉まっています。小学校高学年でしたか生意気に、「僕なら次のことを考えてからやめるけど」と云ったのです。父の答えはこうでした。「細々とでも食って行けてる。そんな時に考えてもロクなものではない。やめたら、必死になって考える。必死の答えが答えなのだ」
原発のとき私は父の言葉がすぐ浮かびました。「今がその時だと」。
時の首相、菅直人が原発事故現場にヘリコプターで降り立ち、危機管理能力を問われました。そのあと、財務省の入れ知恵か、ギリシャ危機を語り、日本の財務を語ります。後を受けた野田首相は脱原発ではなく、何と、財政再建の消費税アップを出してきたのです。脱原発を決めきれなかったのは支持団体連合の電気労連の反対があったからだとされています。私はこの時、この政党はダメだと失望し、確信しました。
政権を受けて色々失敗はあったとしても、「10年後には全てをやめる」と一言あれば政権はまだ持ったのです。あの時、国民は脱原発で纏まった筈です。それだけの熱気がありました。国民が団結する機会を逃した政権は惨めなものです。結局、党は分裂、国民に見放され、耐用期限が過ぎていたゾンビ自民党の復活を許したのです。それも一度失敗した安倍内閣という最悪の形だったのです。自民党にも人が枯渇していることをなにより証明したようなものでした。異例の長期政権はこうして出来ただけのものでした。
こうした政権に、この様な未曾有の事態に対応できる能力などある筈もありません。忖度官僚にはかつて政治が動かなければ、俺たちが動くという気概のかけらもありませんでした。2世、3世のおんぶに抱っこの浮世の議員たちは、祖父、親父たちの能力の爪の垢でもあればと思わせただけでした。
(4)政治改革
中央の機能不全がこれほど明白になったことはありませんでした。コロナが日本に突き付けたのは、正にこれでした。国民は「政治不信なんて言って居れない、何とかしないと」と思うようになりました。2世3世議員が4割も、5割も占める国は他にはありません。選んだのは俺たちだと思うようになったのです。
政治の話をすれば、彼女に嫌われると勘違いしていた若者男子たちは、自分たちの行く末を真剣に考えるようになりました。堅い話より気の利いた面白い話がいいと思っていた若者女子たちも、政治に一定の見解を持たない男子たちを相手にしなくなったのです。
世の現役亭主族は、自分の家族を守るためには会社だけをやっていてはダメだ。コロナ渦中の中、通う電車の中で、国の行く末を真剣に考えるようになったのです。
世の妻たちは、男ばっかりに任せていてはダメだと思ったのです。コロナで頑張った数少ない国のリーダーは皆女性ではなかったか。尊敬するメルケルさん、台湾の蔡総統、それからニュージランドのなんとか首相、北欧諸国の女性リーダー達。私たちが頑張らなければと真剣に考えるようになりました。国会、地方議会、にクォータ制を要求したのです。
青春時代を学園闘争、ベトナム反戦、デモにも参加、安田講堂陥落を見て卒業した全共闘世代、卒業してからは「24時間働けますか」の猛烈社員。1時間半、往復3時間の満員電車、やっと手に入れたマイホーム。ローンに縛られ、辞表を叩きつけたいときでもじっと我慢。無事定年退職、何とか獲得した年金と時間でやりたかった趣味の世界、やっとと思った矢先でした。
「休業補償もっとせよ、それ家賃補助、もっと出せないのか、政府はケチだ」と憤慨・・ふと気がつけば、この負債、まず年金にしわ寄せ来るなと気がついた。歳ゆえに死ぬ覚悟一度はしたが、せっかくコロナ戦争生き延びたのだから、あと10年は長生きしたい。この国を何とかしなければと全老連・年金党で起ちあがったのです。
リーマンショックの時の非正規村、一番弱いところに全てはしわ寄せされる。アメリカの感染爆発と死者数はまさにそうでした。1929年以来の世界的不況だから、リーマンショック以上の非正規村が現出したのは仕方がないことでした。二度まで経験した非正規社員は、「人間の存在は何たるや」と考えざるを得なかったのです。この非正規村には前回と違ったのは、アルバイトが無くなって学業を続けられなくなった若者がたくさんいたことでした。辛うじて大学に残れた連中でも、学生ローンの重荷を背負わされ、卒業しても思うような仕事に就けるやら、・・政治に目覚めた学生たちが動き出したのです。これは日本だけでなかったのです。最も過激に反応したのはアメリカの学生たちでした。「サンダースに頼ってなんだーす」、自ら行動を開始したのです。全米学生連合、略して全米連。
いち早く立ち直った中国、韓国、台湾に日本の市場を取られると日本の財界も危機感を募らせました。中国に頼ったサプライチェーン。マスク一つが長く自給できなかった。自動車会社がマスクを作る。社会貢献とはいえ、これはなんぞいやと、経営トップは思ったのです。日本を何とか組み直す。特に自動車のトヨタ、ホンダ、スズキを抱える中京・東海地区の企業経営者は危機感を共有したのです。
長々と、何を言いたかったかというと、上から下まで人々はこれではいかんと本気に思ったのです。考えても見て下さい。ピカピカの小学1年生は入学式もなく、長々と続く休校措置、やっといけたら2日に一回とか、入学年度を9月からにせよとか、1年半を1年生するのかい?いきなり考えねばならないとしたら、自分に照らせばどんなにショックでしょう。コロナショックは小学生にまでショックを与えたのです。キット逞しい大人に成長することでしょう。
色んな意見、立場が表明されました。ただ一つ共通していたのは、あんな無能な政府に強権を渡したらどうなるか、折角、要請に応じて自粛、自粛で頑張り通してきたのだから最後まで!あのような事態の中でも否定されたことです。「日本人が民主主義を主張した」と、安保闘争の時の生き残りの老哲学者は拍手したのです。
感染第2波が襲って来た中の、秋の臨時国会、荒れました。連立与党だった公明と、大阪で名を上げた維新、それに自民党の若手一部が首相不信任動議を出す気配を見せたのです。半ば死に体の安倍首相は、座して死を待たず、解散に打って出たのです。
選挙ではいろんな党が結成され、団体推薦や無所属の個人も女性も立候補、右は超右翼から革命を云う政党までオンパレード。自民党も分裂選挙。小党分立、どこも全国的な一党勢力を築けず、地域に結集した政党作りをしたのです。維新は大阪から近畿ブロックに広げ、小池都知事新党は東京を中心とした首都圏。名古屋、東海は自動車産業の労使が後押しする東海新党が、東北は脱原発を掲げる東北連合が名乗りを上げたのです。この党首が何と小泉進次郎。次の次ではなく自民を出たのです。これはパパ純一郎と岩手のドン小沢が手を組んだ仕掛けでした。二人とも自分の余命を知り、最後の仕事としたのです。パパ純一郎は念願の脱原発、小沢は最後の政界再編成を地域政党から目論んだのです。
このような流れの中で九州では道州制を最大公約にした九州独立党が結成され、沖縄でも独立党、こちらは反米、反基地を掲げる半ば本気モードの独立を意味したのです。北海道では現職知事が「北の大地」なる新党を。地域新党が注目の的となったのです。
選挙結果は、地域政党がそれぞれ躍進、既成中央政党は軒並みダウン。共産党だけが少し伸長。その他に環境をいう緑の党、令和新党、無所属議員、女性議員も多く当選したのです。選挙後の国会ではいろんなことが議論されましたが、纏まる筈もありません。結局一つのことを決めて再選挙となったのです。一つのこととは「道州制の採用、地方7、中央3の地方主権」が決められ、参議院はドイツに倣った改革が決議されたのです。国民は「おらが国(州のこと)さの首相はおら達が選ぶ」民主主義を歓迎したのです。もともと道州制、東京一極集中はセットものとして、いろいろ議論され、財界でも賛成する人も多かったのです。
コロナ惨禍の中、首都圏、関西広域の対応が切実に感じ取られたのです。道州制はすんなり決まりました。九州は九ではなく、一州になったのです。中央は臨時的に選挙管理内閣が野田聖子女史を臨時首相としたのです。臨時だから一度女性をこの際首相にしておこうと、別段深い意味はなかったのです。野田聖子臨時首相は諮問会議の意見を踏まえて道州制の道州区分を決めて発表したのです。
それは九州、中国四国は一つ8県、近畿(三重は除き、福井を入れる)、中部東海(岐阜、三重、愛知、静岡、長野、石川、富山)、関東は南(神奈川、埼玉、千葉、山梨)と北関東(茨城、栃木、群馬、新潟)に2分。東北、北海道の8州。東京と沖縄は特別州となったのです。GDPを基準としながらも従来の地域性も考慮したものでした。州で問題になったのは中国・四国を別けるか、一つにするかでした。せっかく橋を作ったのだから、瀬戸内で向き合った感を大事にするということで一つ案が採用されたのです。どこに属するかで問題になったのは新潟県だけでしたが、これもこの案で県民に受け入れられました。
改革参議院はドイツの例に倣ったものでした。州人口別に議員数が割り当てられます。3~8を範囲にします。議員は選挙ではなく、州政府から主だった人が出席します。地方主権はこれによって国会でも担保されます。詳細は末尾注釈を参考にして下さい。
地域を代表する政党や中央政党、その他無所属議員が集まって中央政府の新議会が開かれました。定員は、衆院は前の三分の一程の150人、参院は60人になりました。まさに一新、革命議会の感がありました。中央政府の首相には区分け案を問題なく作った野田聖子女史が評価され選ばれました。憲政史上初めての正式女性首相が誕生したのです。各党、州の割合で中央内閣が決められましたが、官邸、防衛省、外務省ぐらいが中央権力みたいなもので、あとの省庁は州政府間の調整役みたいな権限も、規模も大幅に縮小された小さなものでした。
厚労省は保健衛生省、社会福祉省、雇用労働省に3分割されました。動かなかった一つにどだい組織が大きすぎました。社会福祉、雇用労働業務の多くは州政府が担いますが、保健衛生省は中央省庁として強い権限を持ちます。パンデミックに備えたものです。
この議会で一番問題になったのは首都圏の一極集中の是正でした。余りにも人が集まり過ぎています。コロナ感染者の半分は首都圏でした。コロナ危機はまさに首都圏危機だったと言っても過言ではありません。首都圏が崩壊したら、日本列島はたちまちコロナ列島と化す。まさにその寸前までいったのです。中国やアメリカとは違うのです。
これはコロナが収束して落ち着いた時期ですが、更に議会は遷都を決定したのです。何と、石川、富山、新潟を首都州として天皇は金沢、中央政府と議会は富山、新潟は国立系の研究機関が集合、日本のシンクタンクとしたのです。初めて日本海側に都を制定したのです。これによって中部東海州は(三重、岐阜、愛知、長野、静岡の5県)、関東は東京特別州を除けた一つに再編7県にされました。
富山―新潟―秋田に新幹線、金沢―秋田間は日本海新幹線で結ばれます。敦賀―大阪間の新幹線延伸は急ピッチで進められます。富山―大阪は2時間10分、富山―東京と同じ時間になります。富山は東京―大阪の裏中間地点になるのです。今までの幹線鉄道網はすべて東京ストローでしたが、それらが見直されます。中国・四国州では松江―広島―松山―高知の横断幹線が必要とされるでしょう。
これによって、霞が関は解体。皇居跡と霞が関の一等地は外国企業に開放され、世界に向けたニュー東京が発信されます。大手企業は東京本社より、州支社の重要性が増します。銀行は特にそうなるでしょうが、地方銀行の活躍躍進の機会になるでしょう。金融も分権です。州では経済市と州都とに分けられます。例えば九州では博多が経済市、州都は熊本と言うようにです。
霞が関官僚は有能者だけが残されます。一部は中央に、志のある者たちはそれぞれ希望する地方州に散っていきます。地方州には県職員経験者が沢山応募します。州官僚の数は自ずから制限され、競争は激烈なものになるでしょう。
(5)終わりに
グロバルスタンダードの時代はまた、中央集権国家ではなく、分権化された小国家的な存在が適応するのかもしれません。北欧、台湾、ニュージランド、何れもコロナで健闘した国家群です。覇権を争うのだけが国家ではないのです。中国発アメリカ行きのコロナ惨禍はそれを示していると思うのです。
グローバルと地方分権は矛盾しあうものではないのです。「Think global, Act local」という言葉があります。つまり、「地球規模で考え、地域的に行動しよう」というものです。
私はこれによって、地方という言葉は消滅し、各州の特色が生かされた形でGDPも必ずアップすると思います。オランダと九州を比較してみます。
2000年GDP 九州4200憶ドル オランダ3860憶ドル
2011年GDP 九州5021憶ドル オランダ8368億ドル
この差を例えば空港を例に取ってみます。
九州7県には、実は大小合わせると22の空港が存在します。ところが、国際的なハブ機能を備えた空港はないのです。九州最大の福岡空港の年間乗降客数は約1700万人で国内3位ですが、滑走路は2800メートル1本だけですでに飽和状態、大型貨物便の運行に不可欠な4千メートル級滑走路を備えた空港はないのです。にもかかわらず、各空港は九州内で顧客の奪い合いに血眼になっています。九州司令塔がなかったのです。
東北大震災の時に感じたのですが、小さな市町村は住民の命に懸命に向き合いました。その様な単位は絶対必要なものに思われました。それに対して県という単位は何と中途半端な単位かと思ったものでした。原発についても、復興についても、被災地域の住民の意思をくみ上げて、国に物申すより、国の代理機関のようにしか思われませんでした。
廃藩置県、明治4年、実に150年。府県制は終わったのです。ただ府県が統合して広域な区割りになっただけを意味しません。現憲法を維持したままの大改革、州首相は州住民が直接選びます。中央政府は議院内閣制、議会が首相を選出します。州で実績挙げた人が評価され選ばれるでしょう。人々の近い側で民主主義が行われることを意味します。
コロナ惨禍の中で国民が自ら決めた新しい意思なのです。
資料:ドイツ連邦制と参議院
連邦制
連邦制をとっていて16の自治権を持つ州によって構成されています。その自治権限は強い。各州はそれぞれの財源を持ち、日本とは格段に違い、行政分野においても各州は広範な権限を有します。
参議院(総票決数69)
この自治権を担保するのが、ドイツの参議院です。非常に特徴的です。16州ある各州政府の意思を連邦政府の政策に反映させる議会と考えて下さい。議員は選挙で選ばれません。各州政府が人口に応じて決められた票決数(4~6)の代表者(普通州首相や大臣)を送ります。州に関連する連邦法案の審議に限定されますが、国政に参加できるのです。そのような法案には参院の同意が要るのです。「州に関連する法案」とされるものの比率は過去事例では平均40%ほどです。連邦で与党であっても、16州の多くが野党に握られていたら、国政がスムーズに進みません。州の議会選挙の重要度が日本とは格段に違うのです。このようなユニークな参議院制度は、統一前のドイツが領邦国家で各領邦の議会という歴史的背景が考えられます。日本では地方政治の首長選では無所属が圧倒的ですが、ドイツでは政党政治が貫徹されています。
*途中下手な予測や、拙い物語を入れましたが、作者の伝えたいことだけを吟味されたら幸いです。
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