フィクション

松風 陽氷

フィクション

 白くてただ広いだけの寂しい部屋が、今の僕にはとても重要なんだと言われた。とても寂しくて、軽やかな白だった。僕と机を挟んで座る「先生」が、僕の言葉を聞いてこう言った。

「それじゃあまるで道化じゃないの」

 僕のことだ。道化と言われて、随分大袈裟な言い方だと思った。しかし、若しかするとそれが周囲の感じ方なのかもしれないと思うと、完全な否定は出来ない気がした。僕は自分の掌をさり気なく眺めた。何だか手袋が嵌められている気になった。それから、赤のスニーカーの爪先がどんどんとんがっていって、安物の黒のパーカーが奇抜で可笑しな服になっていった。そこまで見えて、先生と目を合わせた。何だか自分の世界が仮面越しのものな気がしてきた。仮面の下は何だか息苦しかった。

 僕は誤魔化す。嘘に嘘を重ねて、それを我が物顔で厚かましくとも生き続けている。先生が言った、誰かを信じるんだと。でも、自分さえ信じていないんだ、他人なんて信じられるわけが無い。「君を信じている人だっているんだ」と言ったが、いや、寧ろ信じて欲しくなんてない。僕の事を、どうか信じないでくれ。お願いだから、こんな嘘吐きの言うことを信じないでくれ。頼む、お願いだ。誰かから信じられていることが、恐ろしくて堪らないんだ。ダウト! そう言い続けて欲しいんだ。疑い続けて欲しいんだ。僕みたいな人間の言うことなんか信じないでくれ。どうせ全部嘘なんだから。どうせ全部法螺話なんだから。その場凌ぎの継ぎ接ぎなんだから。先生は僕に「苦しいでしょう」と言ったが、僕にとっては嘘は呼吸と同じなのだから、苦しくとも何ともない。寧ろそうし続けないと生きてさえいけないのだ。あぁ、だからかな、生きることが苦しくて仕方ない。でも、それも仕方の無いことだ。「生きていればこそ」だ。生きているから苦しいんだ。


 寂しいよ。誰も本当の僕を知らないんだから。僕自身さえも。僕の本当の心を知らない。知ることが出来ない。僕は自分にも嘘を吐き過ぎたのだ。嫌いな物を好きだと、好きな物を嫌いだと、言い過ぎてしまった。これは僕の因果だ。僕だけが悪かったんだ。僕以外の人は何一つ悪くない。僕だけが悪かったんだ。


 嘘吐きの僕はきっと、穢れ切っているんだろうな。夜の星が輝くサイゼリアで一人、安酒を飲みながらそう思った。二百円のデカンタが「デカダン」に見えて、虚しくなった。きっと、いつもよりちょっと、飲み過ぎたみたいだ。ワイン容器からグラスに入れるまで、一滴たりとも零さない様に容器を振るった。きっと、一滴も零さないという努力を恥じる気持ちがアルコールと共に揮発したのだろう。卑しいこと、この上ない。僕は注いだワインを飲み干して、もう一度、二百五十ミリの安酒を頼んだ。もう恥じらいなんか無いやい。三度目のワイン。虚しいこと、この上ない。一杯を呷って帰ろうと思った。途端、レジが恥ずかしくなった。酔っ払いであることがバレるのが、恥ずかしくなった。少し時間を置いて、酔いが覚めてから行こうと思った。「アスパラガスのアーリオ・オーリオ」香りと味わいひろがる「ペコリーノ・ロマーノ」はっ、知らねぇよそんなの。目の前に広がるメニューを見て毒付いた。美味しそうな名前しやがって。そんなもん買う金なんて俺にはねぇんだよ。生憎酒手しかねぇんだよ。食事なんてクソ喰らえだ。アルコールしか信じらんねぇや。そう思って、残っていた白ワインを又呷る。そうすると、脳味噌が崩れ落ちていく気がする。思考が駄目になる。眠ってしまいたくて仕方ない。行動に理性が追い付かなくなってくる。駄目だ、駄目だ!  不都合な言葉なんて壊してしまえ、そう頭の中で誰かが呟いた。嗚呼、文字が二重に見えるよ。助けちゃくれないよ、だァれも。ピンポン、ピンポン。ピンポン、ピンポン。ファミレスの音が響く。口の中が酸っぱいや。酒を飲み過ぎたかな。客がどんどん入れ替わるや! 面白いね! 隣の人がサラリーマンから浮浪者風情に入れ替わったや! 流石安酒振る舞うとこだね、色んな人がくらァ。隣の席が片付けられたよ。きっとこの人もバイトで、仕方なくやってんだ。あぁ、面白いやぁ。面白くって仕方ないやぁ。白ワインが酸っぱいやぁ。見た物の理解力が減退しているのがあからさまに解る。酔っ払い。情けない。誰かに救われたいけど、こんな僕、誰も救ってくれなくてもいいと思う自分もいる。ここで目の前のアルコールを呷ったら、きっと、駄目人間に堕ちる気がするこの店に来てから何時間経ったろうか。分からない。分からなくて、取り敢えずミラノ風ドリアを頼むこれも又、虚しい。酷いじゃないか、なんで僕だけこんな思いしなくちゃァいけないんだ。生きているからか。生まれたことが罪だというのか。僕だって、生まれたくて生まれた訳じゃないやい。ひどいや、泣きたいよ。ミラノ風ドリアが届いた。届いたら、また虚しくなる。寂しいよ。寂しいよ。寂しいという思いは、信頼出来る人が出来てから思えるようになった。誰も信じられない時、寂しいのが当然だったのだ。それを知ったのは信頼を知ってからだ。

 信頼なんて知らなきゃァ良かった。寂しいよ。寂しいよぉう。僕はグラス片手に周りを見渡した。皆歪んで見えた。それが何より苦しかったのだ。ここに先生がいたら! なんて言っただろうか。「未成年の酒はいけないよ」なんて言ったのだろうか。やっぱり虚しいことこの上ない。誰も僕の寂しさなんか分かっちゃくれないんだ。分かっちゃいけないんだろう。寂しいよ。寂しいよぉう。だァれも助けてくれァしないんだよ。わかってるよ。だから、寂しいんだろうが。寒いよう、寒いよう。冬は寂しくっていけないよ。悲しいよぅ、悲しいよぅ、だァれも僕のことなんか知らないんだよう。死にたいよう死にたいよう、もう生き恥なんて晒したくないんだよう。助けてよう助けてよう、だァれも僕のことなんか助けちゃくれないんだよう。神様はきっと、酷いやつなんだ。酷いやつだから、僕に苦しみばっか与えるんだ。偶然僕に目を付けて、偶然僕を虐めたんだ! ひどい奴なんだ。大嫌いさ、そんな奴。神様に何て縋るもんか。


 少々酒を飲みすぎたみたいだ。



 ぜーんぶネタ話なんだよ。信じないでね、お願いだから。信じられたら僕、困っちゃう。


 それも又、嘘?


 いやいやいや、ホントだって、信じようぜ? 自分のことなんだからね?


 僕は僕の笑顔がどうも好きになれない。仮面で隠し切って、偽って、欺いて、そんな僕は化け物みたいだ。灰色掛かった紫色の化け物。救い様なんて無いんだろう。呆れてしまえよ。見捨ててしまえよ。こんな僕、捨てちまえよ。要らねぇんだよ。


 白くて軽い静寂の部屋で、僕の前に座った先生は肯く。相槌を打ちながらペンを走らせる。

「又飲んじゃったの」

「……少しだけ」

「そうそう、飲み過ぎは駄目だよ。気をつけてね」

 先生は僕を絶対責めない。先生は全てを受け入れてくれる。まぁ、それが先生の仕事なんだけど。

「……二日酔いはもう懲り懲りだから」

「そうだね、偉い偉い」

 先生は優しく話を聞いてくれる。そういう「先生」なのだ。白くて軽い静かな部屋で、僕は僕の本性を晒し続ける。それが今の僕にとっては大切な事らしい。でも、僕は自分に嘘を吐き過ぎたから、僕の言うことなんかあてにしないで欲しいと思う。自分の嫌いなものさえ分からないんだ。こんな人間になり損なったみたいな僕は、孤独死でもするべきなんだと思う。でも、それでも先生は、僕を受け入れる。潰されてドロドロになってなす術の無くなった蛹みたいな僕のことを、拾い上げてくれる。「先生」はそういうお仕事。主治医が言った。僕には「先生」が必要であると。僕は先生と沢山話すべきなんだと。でも僕には分からない。僕が僕のことについて語る時、僕が噓を吐かない保証なんてどこにも無い。僕は自分の嘘がどこに隠れているのか分かっていないのだ。いつどんな嘘を吐いているのか分からない。そんな簡単なことさえ、分かっていないのだ。なのに何で僕は僕について語らなくちゃならないんだろう。僕が信じているのは日本の通貨と主治医と酒だけだ。だからそれらの前では盲目的になる。思考を放棄する。主治医のことは信頼している。潰されてドロドロになった僕を蝶にさせようとしている。だから、主治医が勧めた「先生」との対話もちゃんと行なっている。でも、やっぱり僕は本当の話が苦手だ。嘘ばっかり吐いている様な気がする。本当は嘘なんて吐きたく無いんだ! 信じてくれ! なんてね。これもきっと嘘なんだろうな。


 まぁ、今回の独白、結構長ったらしくなっちゃったけど、結局言いたかったことはね、道化の僕はどうしようもない嘘付きで、混乱の糸が自分じゃどうにも解けなくなったから、全くもう嫌になっちゃうねってことさ。このこと、信じてみる? はっ、やめときな、やめときな。こんなの信じたもんじゃないってさ! まぁ、ただの堕落した酒飲みの戯言だから。所詮はフィクションなのさ。だからね、信じないでよね。


















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