第1話 伝統への応援コメント
最近になり「常識」と呼ばれる古くからの固定観念が「害悪」とYouTuberの間で、風評されていますね。
常識もまた、受け継がれていく伝統や習慣と同じく過去の流れから来ているものです。
伝統にも異民族の割礼による感染症などの実害はあります。
どれが良くて、どれが悪いと一概に言えるものではなく、良いものは受け継ぎ、悪いものは拒む、といった個々人の判断が求められているのでしょう。
(時代がそれを容認しないというケースも多いにあるでしょう。そこは変えるためのきっかけが必要不可欠でしょうね)
フィリーさんの書かれたように、先人の知恵を学ぼうとする姿勢が大切だと感じます。
とかく現代人はツールによりすがって、先史時代よりも思考能力が衰えているくらいだ、とサピエンス全史にはありましたが…。
「変化への適応」というのが、求められる一つの答えなのではないでしょうか?
これに対応できるか?否か?を含めて、時代の流れについて行けず、廃れていく伝統や習慣などが精査されているようにも見受けられます。
例えば、今はもう相撲の土俵縄を作れる職人さんは後継者がいないそうです。
ニーズに合っているか?どうか?
また、その伝統継承者を大切にしているか?
求められるのは個々人のみならず社会の受容する姿勢も必要でしょうね。
話の幅が広がりましたが、ごく平然と使っていた言葉に対して、良き学びの時が与えられました。
執筆に感謝いたします。
作者からの返信
ありがとうございます。
古いものには古いなりの良さがある、と言うのも使い古された印象がある言葉ですが、それだけに重みと味のある言葉であります。
変化のさじ加減と言うのも難しい課題です。しかし、古き良きものが本当の意味で残るには、出来る範囲で変化を受容することも大切ですし、同時に絶対に残さなければならないものも護る必要がある。その狭間で苦労している方もたくさんいるんでしょうね(特に今はこんな世の中ですから)。
貴重なご意見、痛み入ります。
第2話 言を成すへの応援コメント
武士に二言はない、という言葉は本当だからこそ、戦国時代に切腹して責任を取ることが(当時としては)当たり前だったんですね。
特に自分の上司の前では、軽はずみな発言は命取りでした。
私は嘘が全部悪いとは言いませんが、それを当たり前のようについていくのは間違っていると思います。
SNSなどを通じて、自分も含めて余りに言葉が軽く扱われているように感じたり、扱っていると反省したりします。
その点、作者のフィリーさんは言葉に対して誠実であろうとする態度が立派です。
見習いたい、と思う反面、個性として捉えるべきだとも感じております。
人には向き不向きがあるので。
願うなら、嘘をつく人も愛せる器を持ちたいですね。
作者からの返信
涌井さま、ありがとうございます。
確かにそうですね。私もこの考え方を周囲に強制するまでは考えていませんし、またしてはならないと思います。また、これが行き過ぎると統制や恐怖政治にもつながってしまうので、何事もやり過ぎは良くないということですね。
貴重なご意見、感謝いたします。