第38話

 爆発の破片が天井まで届いたのだろうか、照明が明滅する。硝煙の匂いがあたりに充満する。ランクトンの悲鳴を聞きつけた構成員の足音が近づくのを感じる。出血をしているのか、それとも眼球が衝撃を受けたのか、彼の視界は白んでいて、まるで霧がかかってしまったかのようだった。


 どこか異国の言語で何かを話しながらこちらへと向かってくる。自分の心音が脳髄で響く。ランクトンは死の恐怖を目の前にしているのを実感していた。


 所有者のバイタルが不安定という状況を認識したPDWは、虎のような鋭敏さで彼のそばへと駆け寄るものの、当のランクトンの方は未だに状況を把握できていない。頭を抱えている。右目にはドローンの破片が刺さり、そこからさらりとした血液が滴り落ちている。彼が口を開けば流れ込んでしまいそうだ。


 何も見えない。音すらも聞こえない。彼はまるで深い朝霧の中に一人放り出されてしまったような気分に陥る。脅威は己の目の前に忍び寄っているというのに、自分はその影すらも知ることが叶わない。アンセムの下品な言語が聞こえて来る。(途端に彼は自分以外のすべてが汚らわしく思えてきた)


 視覚も聴覚も役立たずになってしまった彼は、差し迫る死の恐怖に対して光を追い求めた。

 クソが。何も見えないし、何も聞こえない。自分がどれだけ傷ついてしまっているのかもわからない——俺はどうすればいい?


 床の滑らかな感覚とは別に何やら水のようなものが彼の手元に広がっていた。これは血なのか、それとも別の体液なのだろうか。彼には判別がつかない。


 声は反響し、広がっていく。何処までボリュームは大きくなるのだろうか。それは無限に拡散していくようにも感じた。笑っているようにも怒っているようにも聞こえた。存在しているように見えて、存在していないかもしれない——ただ確かなのは、それが憎むべき言語であり、憎むべき人種であり、虐殺するべき音であるということ。


 憎い。


 憎いのだ——どうして俺はこんなシンプルなことをすっかり忘却してしまったのだろう?

 その感情はランクトンにとって戦場に居る時にきまって見えるまやかしだった。自分をあざ笑う声が彼の脳髄を貫通する。そちらの方に視線を向ければ、幽鬼のような靄の塊が口を開けて笑っていた。


「ハハ。この野郎、何を笑っていやがる」


 ランクトンは目を閉じたまま、脇のホルスターからテーザーガンを引き抜く。火花を散らしたそれは、軽やかに頭を撃ち抜いた。頭から血を流しながらランクトンはのそりと立ち上がる。機能しないはずの同調チャネルから相手の思考が流れ込んでくる。恐怖の感情。彼は知っていた、戦場では決まって自分が恐れられていることを。その記憶が平時では無意識レベルまで下げられてしまうことも。チャネルを通して脳髄に、もう一人アンセムの思考が流れ込む。見えない何かが動いている、そこに銃弾を打ち込めば、霧が晴れることをランクトンは知っていた。


「PDW、戻れ!」


 彼は咆哮するようにそう叫びながら、靄の方へと突進する。激しい憎悪と興奮で、自身の体に恐ろしいほどの熱が篭っている。そしてその熱を、まるで蒸気機関のように運動させる。無い視界、暗闇の中に伸ばした手は、間違いなく敵の頭部を掴んだ。


 彼は唸り声とともに、その頭を壁へと打つけた。何かが砕けるような音が壁に響いた。手元に戻ったPDWをアンセムの頭に突きつけ、引き金を引き抜いた。それはまるで家畜を屠殺する職人のような手つきで、冷徹さすら感じ得ない。ランクトンは自分がまるで悪魔のように思えた。そして、そのような思考を快感に感じる自分がいる。


 銃身が熱を持ち、頭部の皮膚を焦付く臭いに思わず噎せ返り、引き金から手を離した。カラン、と音を立てて薬莢が転がる。喧騒としていた廊下が一気に静かになった。


 大きく息を吐き、視界を確保しようと顔の血を拭う。幸いにも左目は無事だった。ただ右目は開くことができない。その代わりに、同調チャネルによって彼は第三の視界を得ていた。下の方から多くの思考が流れ込んでいる。銃声と爆発を聞きつけ、野次馬がタワーの下へと駆け付けたのだ。それに伴う影響を考える気にはなれない。彼は重い足をひきづり、エレベーターへと乗り込む。

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