第15話

 そう嘆いていた時、耳鳴りが始まった。突然襲いかかってきた過度なストレスのせいだろうか、とランクトンは考えたが、そうではない。同調チャネルだ。途切れ途切れの信号がでランクトンの脳に訴えかけている。


「カエサレア!」


 ランクトンは瓦礫を剥がすように先端部へ進む。信号の強い方に進んで行くと、自分のバディがあった。


「すみません……」

 右半身が瓦礫の下に沈んでいるが、カエサレアはたしかに無事だった。「今すぐ退けるから待っていろ」とランクトンが言うと、急いで瓦礫を持ち上げて、放り投げた。名の知れぬ機械が雪の中に沈んでゆく。彼女の右半身が損傷し、内部フレームが歪み、抉れてしまっている。


「生命活動の維持に大きな支障はありませんが、戦闘などの激しい運動はできません……。申し訳ありません」


「謝ることはない。君は俺の命の恩人だ。助かったよ」


 しかし、いったい何が起きた? とランクトンは再び墜落前の状況を回想する。アラート、揺れ、衝撃。刺激的すぎる経験は映画のワンカットのようにしか思い出すことができない。


 しかし、荒唐無稽な可能性を排除していけば、あの時、何が起こっていたかを想像することは可能だった。自分たちに危害を加える理由があるのは、世界中探してもたった一つ。アンセムに所属するグループだ。航空機に予め細工を施されていたか、あるいはなんらかの外的接触があったのか、定かでは無いが、アンセムの妨害があった、それだけは確かだった。


「ここに留まるのは危険です」


「ああ、俺もそう思っている」


「だから私を置いていって、ここから南西に進んでください。降雨空気のログとワールドマップを参照した結果、ここから十一キロメートル先に村があります」


「馬鹿野郎、君を置いていけるか。変な気遣いはよせ」


「私は五十キログラムあります。あなたは私を抱えて雪の上を歩けますか?」


 ランクトンは一度カッとなるが、彼女に問いかけられると唸ってしまう。自分の体力を考慮してみれば、彼女を抱えて雪原を歩き回ることは、不可能ではない。しかし、現実的でもない。アンセムが伏せている可能性が高いことも考慮すれば、彼女を置いていかない、という選択はあまりにもリスキーだった。


 彼女を庇いながら、自分は戦えるだろうか。PDWもなしに……? と、ランクトンは葛藤で頭を悩ませる。


 リスクを受け入れてでも彼女を見捨てない、という選択にはいくつかのメリットがあった。

 彼は不安を持っている、この誰もいない雪原で村へ辿り着けるかという不安を。そして、アンドロイドはGPSによって現在位置を捕捉することができる。これは彼にとってあまりにも魅力的だった。


 さらに言えば、「二人いる」というのは「一人しかいない」と比べて様々な恩恵がある。二人分の感覚は強襲に対する対応策となる。二人分の知恵はより正しい判断を選択し、新しいアイディアを生み出せる。


 なによりも「彼女を置いていく」ことは彼にとって申し訳なさでいっぱいだった。バディの喪失を恐れている彼は、ここで彼女と別れると、永久に再会できないような気がした。


 ランクトンの頭の中で、例のディスプレイで不毛な討論を始めるコメンテーターやコメディアンが想起される。彼らは安全地帯からランクトンを詰り、批判し、人格の否定を始める。黙っていてくれ、と言う代わりに彼は一つため息を吐いた。


 吐いた息は白くなって、どこかへと消えてゆく。防寒着を着ているとはいえ、寒さは確実にランクトンの体力を奪っていく。悩んで立ち止まることは、そのまま死へと繋がっていく。


 結局、ランクトンは彼女を見捨てないことに決めた。二人は機内に落ちていた穴の開いた白のベッドシーツを羽織り、雪原に足跡を付け、進んでゆく。


 天候はよく晴れていて、近くに雲は観測できない。


 カエサレアの予測でも、今から十時間の間、天気が崩れる可能性は少ないと言う。彼女の言葉を信頼するならば、近くの村に辿り着くまでは、天気の心配する必要は無い。幸運に恵まれているぞ、とランクトンは天に感謝した。


 太陽が二人を照らす。二人の歩いている場所は、どうやら谷のようだった。視界の端には白い壁がそそり立っているように見えて、ランクトンはすこしだけ恐怖した。しかし、その一方で安心できる要素もあった。森や林の中、というわけではないので、アンセムが隠れることのできるような場所は少ない。また雪の反射も相まって、光学迷彩による、大規模な兵の秘匿も難しいだろう。警戒するべきは狙撃手だろうか。とランクトンは当たりをつける。いや、もし雪原に狙撃手が配置されていたしても、自分たちに狙いを付けることは厳しいだろう。


 カエサレアの顔色が芳しくない。彼女自身が「生命維持には特に問題ない」と断言していたが、ステアエクスの寒冷な気候が彼女の計算を狂わせたのだろうか。ランクトンが心配になって声をかけるものの、「大丈夫ですから」の一点張りだった。


 ランクトンは白い息を吐きながら、雪をかき分けるようにして進んで行く。自分の足をすっぽりと覆う白は、初めはまるで羽根のように軽かったが、それは砂のように足を取り、沼のように重みを増していく。彼の心に芽生えた絶望が、自分の足元に溶けた雪を啜って成長しているようだ。

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