第26話
「関西系暴力団白戸組・関東系暴力団銀友会が一夜で謎の壊滅」
康夫と
新聞に、二つの崩壊した組事務所の写真が並んでいる。その建物はまるでミサイルでも打ち込まれたように、無残に瓦解していた。破壊される前の面影を一切残さず、ほぼ土台と瓦礫の山になり、所々から煙が立ち昇っている。記事ではその様子を、まるで軍隊に攻め込まれたようだと説明した。
二つの組織の組長はいずれも行方不明で、生存の可否も不明だった。場所は東京と神戸で離れているが、それぞれ近所の人の話によると、この二つの襲撃時間はほぼ同じである。上空にヘリコプターが飛来していたという情報も、両者に共通していた。
不思議なもので、これだけ派手に攻撃されながら、どちらも死者が確認されていない。目下警察が、被害に遭った組織の組員に事情を聞いているようだ。
まるで現実味がなかった。この離れ業とも言うべき大胆な襲撃が、あの気弱そうに見える康夫の一言で実行されたのが、どうしても信じられなかった。
しかし康夫は、確かに目の前で指示を出した。信じられないし信じたくもなかったが、やはり現実だった。
それまで数々の修羅場をくぐり抜けてきた
会談で、
テレビのワイドショーも、この怪事件を派手に扱った。まるで同一犯人の仕業に思える攻撃が、二つの遠隔地で同時に行われた事実。ヘリコプターを利用した大掛かりな作戦に、政府か警察の関与まで疑う始末だった。
目撃者情報によると、建物上空に飛来したヘリコプターから、複数の人間がビル屋上に降りた。それらは、迷彩服を着ているように見えた。
その後大勢の組員が慌てた様子で建物から屋外へ飛び出し、誰かがヘリコプターに引き上げられた。その直後、ビルの内部で爆発が起こり、建物は自ら崩れ落ちるように瓦礫の山になった。
ビル倒壊の噴煙が辺りを包み込む中で、複数の車がやってきてはすぐにどこかへ走り去った。視界が効くようになると、瓦礫の周りで大勢の組員が右往左往していた。
ヘリコプターの飛来からビルが瓦礫になるまで、ほんの十分程度のことだったようだ。
二つの現場の目撃情報はほぼ一致しており、手口や電光石火とも言える行動内容も同じであることから、犯人は同一組織であり、訓練を積んだ軍隊の仕業にしか思えないと、レポーターが伝えている。
鬼瓦は何度も新聞を読み直し、テレビのワイドショーが始まると、今度はテレビ画面に釘付けになった。
銀友会と白戸組への同時襲撃となれば、それは全てを知った康夫の指示に違いない。どう考えても、猪俣と康夫の作った噂の特殊部隊が、いよいよ出てきたのだ。そしてその働きぶりは、報道で見る限り噂以上だ。
鬼瓦の身体に震えが到来していた。パンドラの箱を開けてしまったという自覚はあるが、頼りとする銀友会や白戸組は既に壊滅している。
それにしても、あの二つの組がこうもあっけなくやられてしまうなど、夢にも思わないことだ。いや、これはきっと夢だ、夢であって欲しいと彼は身悶える。
鬼瓦はふと、自分の身の回りが静か過ぎることに気付いた。銀友会や白戸組がやられたなら、自分の身に何か起こってもおかしくないのである。
実は康夫は、自分の裏切りに気付いていないのだろうか。いや、単に人手が足りず、自分は後回しになっただけかもしれない。楽観的想像と悲観的見通しが鬼瓦を交互に襲い、彼はそれに押しつぶされそうになる。
そこへ突然携帯電話が鳴り、鬼瓦は飛び跳ねそうになった。
恐る恐る画面を見ると、そこに『若旦那』と出ているから、鬼瓦は思わず、「詰んだ」と独りごちる。今、一番連絡をもらいたくない人物だ。そんな彼の心境などお構いなしに、電話の呼び出し音が続く。今この電話に応答しなければ、自分は確実に終わると思う一方、既に終わっているなら、嫌な電話に出る必要がどこにあると強がる自分がいる。
迷いながら震える手を携帯へ伸ばしたとき、呼び出し音がプツリと切れた。
再びテレビ音声が鬼瓦の耳に飛び込んでくる。テレビでは、相変わらず現場の様子や襲撃直後の写真が、繰り返し映し出されていた。
鬼瓦は今度、康夫にコールバックすべきかどうかを悩み始めた。
そこへ再び電話が鳴り出し、鬼瓦の心臓は今度こそ止まりそうになる。相手は番号非通知だ。
鬼瓦は、康夫が番号通知では自分が電話に出ないため、非通知でかけ直してきたと思った。そうなると彼は、ますますその電話に出ることができなくなった。
※※※
「おい、きちんと説明しろ。一体何が起こったんだ」
電話口で怒声が飛んだ。
「わ、私にもさっぱり……」
「馬鹿野郎、何がさっぱりだ。分からないで済むことじゃねえんだよ。すぐに調べて報告しろ。鬼瓦や
「は、はい、できる限り調べて、また報告します」
「必ずだぞ」
そう言って、電話が切れた。相手は極西連合若頭、篠崎組組長の篠崎だった。普段は直接話をすることなど、滅多にない人物だ。おそらく会長の石井が、篠崎に命じて事件を調べさせているのだろう。
酒井の中に、坊主頭でずんぐりとした冷酷な篠崎の顔が浮かぶ。酒井の脳裏に現れた映像には、篠崎の左目脇に縦に走る傷痕と濃い色の入った眼鏡が、明瞭に浮かび上がっていた。
このとき酒井は、既に
酒井は鬼瓦や
万が一を考え、自分の電話番号が一円連合の手に渡らないよう、番号非通知で鬼瓦のダイヤルを押した。しかし呼出音をいくら鳴らしても、鬼瓦は電話に出ない。続いて
そうなると酒井の妄想は膨らみ、それがますます彼を不安の渦に引き込む。
恐らく二人は、一円連合に捕らえられたのだろう。既にこの世の人ではないかもしれない。
そんなことを考えると、次は我が身だと震えが止まらなくなる。なにせ報道で見た襲撃は、業界の常識を遥かに超えていたからだ。そんな連中を貶める計画に関わってしまった自分の愚かさを、酒井は呪っていた。一円連合と極西連合の力にこれほど開きがあるなど、想像すらできないことだったのだ。組長も消えた今、自分は一体どう立ち回ればいいのか、酒井はまるで判断できなくなっている。そして彼は、ひたすら怯えるばかりであった。
それから度々酒井の電話は鳴ったが、彼は布団を被り、一切の電話に出ることを拒否した。
※※※
篠崎は携帯を耳に当て、苛立っていた。元々の凶相が、ますます鬼の形相になっている。もう緊急幹部会が始まるというのに、すぐに調べて報告しろと命じた酒井からは連絡がなく、こちらから何度電話を掛けても通じないのだ。
篠崎は思い余って猪俣にも電話を掛けてみたが、知らない女が出て、「彼は海外へ行っていないわよ」と言われた。
大組織の若頭クラスともなると、敵対関係同士でも裏で会談をしたり調停のような取り引きをすることがあるため、お互いの携帯番号を持っている。
以前東京で若旦那を拉致した際、猪俣は篠崎にきつい嫌味と脅しを入れたため、篠崎は失敗に終った作戦の件に驚いた振りをして、山村組の組長と実行犯の大田に処分を下した。そのときにも、このホットラインが使われた。
篠崎は女に訊いた。
「あんたは誰だ?」
「あんたこそ誰よ。知らない人にプライベートなことは言えないわよ」
「俺は神戸の篠崎ってもんだ。それであんたは?」
「私は猪俣の女よ。久しぶりに会ったと思ったら突然海外に行くって。何か電話が入ったら、取り敢えず聞いておいてくれって、携帯を置いていったのよ。こっちはいい迷惑なんだけど」
「海外って、何処へ行ったんだ?」
「それは知らないわよ。海外なら私も一緒に行きたかったのに」
「いつから行ってんだ?」
「さあね、もう五日くらい経ってるんじゃないかしら」
「で、日本に戻るのはいつになるんだ」
「さあ、それもよく知らないのよ。最近糸の切れた凧みたいに、何処で何をしてんだか全然分かんないわ」
「そうか。猪俣が戻ったら、神戸の篠崎に電話をくれと伝えてくれ」
「神戸の篠崎さんね、分かったわ」
女が嘘を言っているようには思えなかった。
もし猪俣が海外にいるとなれば、昨夜の仕業は一円連合ではないのか。いや、女の話が本当だとしても、一円連合にはあの若旦那と呼ばれる坂田がいる。あれは奴の仕業かもしれない。もしそうなら、一円連合は猪俣が不在でも、組織が十分機能するということだ。篠崎は、頭から冷水を浴びせられたような塞いだ気分になった。
隣の部屋では、執行メンバーを召集し、緊急幹部会議が始まろうとしている。白戸組は組長の越智が行方不明のため、白戸組若頭の沢渡が代理で顔を見せていた。
沢渡は代理でも、その日の会議では主役だった。昨夜何が起こったのかを説明できる、その日の貴重な生き証人だからだ。
会議開始直後から、部屋にはぴりぴりと尖った空気が充満していた。誰もが口を閉ざし、成り行きを伺っている。
会長の石井が、よく通る声で沢渡に言った。
「昨夜一体何が起こったのか、順を追って説明せいや」
沢渡も篠崎に負けず劣らずの悪人顔を持っているが、その日の彼の顔には焦燥感が滲み出ている。
「へい、昨日の夜、七時くらいだったと思います。突然親父から、大至急事務所に兵隊を集めろと指示が出ました。一体何があったのかと訊くと、親父は、今晩奇襲があるから迎え撃つと言ったんです。もちろん私は、それはどこからの情報で、攻めてくるのは誰かと訊きましたが、親父は酒井の情報だと言いました。銀友会が寝返って、今晩攻め込んでくる、人数は三十人足らずということでした。元々気性の荒い連中でしたから、何か行き違いが生じて揉めたのかとそのときは思いました」
石井が沢渡の話を遮った。
「ちょっと待て、その酒井っていうのは誰や?」
篠崎が沢渡の代わりに答えた。
「白戸組フロント企業で社長をやらせている人間です。今回の件では、台湾組織や銀友会、鬼瓦組への工作を担当し、東京での窓口を彼が全て仕切っていました」
「そいつが、銀友会は寝返ったと言ったんだな」
沢渡が続ける。
「はい、私が直接聞いたわけではありませんが、親父がそう言いました。これは事務所に駆け付けたあとにも、親父から直接聞いています」
「しかしそいつは解せねえなあ」と篠崎が口を挟む。「今朝、電話で酒井と話したが、奴はこの事態をさっぱり理解できていないようだったぞ」
「はい。私はただ親父から聞いた話をしているだけで、その話の真偽は分かりかねます」
石井が、「ふむ、それで?」 と言った。
「指示された通り、私は事務所に兵隊を集めました。百は集まったので、奇襲があってもどうにでもなると思いながら、昨夜は親父も一緒に泊まり込みで事務所に待機していたわけです。親父は八階の組長室にいて、私も同じ階の自室で待機していました。それぞれ武器を確認したあと、集まった兵隊は一階から七階に分散し、見張り以外は各自好きにしていたと思います。相手が待てど暮せど来ないので、奇襲は中止か元々ガセネタではないかと思い始めた十時頃、ヘリコプターの音がしました。何人かを屋上へ様子見に行かせたんですが、大きな爆発音が聞こえ建物が震えたあとにその連中が慌てて戻ってきて、ビルに爆弾が仕掛けられている、すぐに表へ逃げろ、と騒ぎました。それがひどい慌てぶりで、私もその言葉を信じました。それで親父の部屋に駆け付けたのですが、親父は部屋にいませんでした。窓が開いていたので顔を出して外を覗くと、親父はヘリコプターに引き上げられて、遥か上空にいました。そこで再び建物内で爆発音が聞こえ、私も外へ避難したのですが、暫くするとビルの随所から一斉に光が漏れ、次の瞬間には事務所が一瞬で崩れ落ちました」
「つまり越智は連れ去られたというわけやな? 武器はどうした? その様子じゃ、回収できていないんだろうな」
「へい、申し訳ありません。武器は瓦礫の下に埋もれています。そのうち消防や警察が見つけ出すと思います」
石井はあからさまに嫌な顔をして、舌打ちした。
「篠崎、酒井ってのは、その後連絡がついたのか?」
「だめです。朝に一度話しをしたきり、そのあとは全く電話に出ません。今、人をやってます」
「銀友会の奇襲というが、その銀友会も同じ時間にやられている。つまりこれは、銀友会以外の仕業やと思うが、沢渡、お前はどない思うんや?」
「白戸組と銀友会が標的とすれば、これは我々の計画を嗅ぎつけた一円連合の仕業と思われます」
ここで一同が項垂れる。どう考えても、一円連合を怒らせた報いなのだ。
「もしそうなら、篠崎、一円から何か連絡はないのか?」
「今のところ、何もありません。猪俣は海外にいるようで、彼に連絡は付きません」
「なに? 猪俣はいないのか? それでどうしてあんなことができるんや」
「一円連合には、坂田という若頭代行がいます。おそらくこ今回の件は、その坂田が指揮を取ったと思われます」
石井はふうむと、唸るような声を出した。
「猪俣みたいなのが二人もいたら、そりゃ五所川原も楽できるわなあ。ほんまに羨ましいこっちゃ。そもそも、あの軍隊のような連中は一体何なんや?」
「あれは一円連合が作ったと言われる、噂の特殊部隊と思われます。以前山村組の大田たちが一瞬でやられた、あの連中と同じではないかと」
「おい、誰や、軍隊ごっこに毛の生えたようなもんやと言ったのは。あれは立派な軍隊やないけ。しかも特殊訓練を受けたスペシャルチームそのものや。そんなものに攻め込まれたら、こっちはひとたまりもあらへんぞ。あんたらの中で、誰かそれに対抗できる奴はおるんかい?」
そう言って、石井はがん首並べる幹部たちを順に見回したが、返事をする者は誰もいない。
「おい、篠崎、うちでもあんな部隊を作れへんのか?」
「極西の財政状況で、それは無理というものです。あれは金がかかり過ぎます」
「なぜ一円にはそれができるんや?」
「五所川原自身が、豊富な軍資金を持っているようです。かつてやっていたビジネスが関係していると言われており、それが財投で今でも増え続けていると噂されていますが、詳しいことは私も知りません」
石井は腕組みをしながら、眉間に皺を寄せてううむと唸った。
「それで一円は、こっちの企みを全て知っとんのか?」
「これだけのことをしてくるということは、おそらくは全てばれているかと」
その言葉に石井が無言になると、幹部のほとんどが顔を伏せる。これはどうにもならないと、最初から諦めているのが有りありと見えるのだ。
それを感じた石井は、ただでさえ勝ち目の低い戦で、これ以上意地を張っても自殺行為に等しいと判断した。
「こっちは越智を取られとる。おそらく銀友会の藤浪会長も捕らえられたとみるべきやろう。一円は二人に自白を強要し、証拠を突き付けてくるはずや。そうなったら俺は、越智の絶縁状を赤字で出す。そのくらいじゃないと、今回ばかりは極西連合を守りきれん。一同、それでいいな。反対者は今のうちに申し出ることや」
破門は復縁の可能性を残す制裁であるが、絶縁はよりを戻す可能性が永遠にない前提だ。しかも赤字で記された場合、それは黒字の回状よりも厳罰に処するという意味を持つ。
回状が届くと、各組織はそこに記された人間と、一切の関わりを持ってはならないというのがこの世界の掟だ。
つまり越智は、極西連合に断りなく勝手に一円連合に対する陰謀を企み、一円連合と極西連合の関係を著しく損なった。よって絶縁という重い罰を与えるので、それで勘弁してくれということである。
このトカゲのしっぽ切りに、もちろん誰も反対しなかった。明日は我が身という一抹の不安はあるが、現状を打開するには他に手立てがない。あとは戦うか最初から全面降伏するか、そのくらいの道しかないのだが、一円連合の底力をまざまざと見せ付けられた今、負け戦でも最後まで根性を見せ、潔く散ろうという性根の座った幹部は誰もいなかった。
となれば、組織を守る責任を果たさなければならない会長として、それが姑息で見え透いだ手段だとしても、石井にはその選択肢しかないのである。
丁度その頃、篠崎の命を受けた篠崎組の下っ端三人が、酒井のマンションに到着した。ロビーから酒井の部屋に連絡はせず、住人が通るのを待ち、オートロックのエントランスをくぐる。部屋で呼び鈴を何度か押すが応答はなく、ドアを触ってみると鍵は掛かっていなかった。
慎重に部屋の中へと踏み込んでみると、酒井はそこにいなかった。
部屋の中を物色すると、携帯や財布など、出掛けるなら必ず持ち出しそうな物が残っている。寝室のベッドは寝起きそのものの乱れたままで、突然誰かに連れ去られた、という印象が残る様子だった。
このことは、直ちに篠崎へ報告された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます