エピローグ

 直は良蔵の家の玄関を見下ろし、靴の多いのに気付いた。


 数えなくとも誰がいるのかは明白だ。


 彼は何も言わず、少し急いで靴を脱ぎ、居間の戸を開いた。


「直君!」


 間近で志乃が出迎えた。


 直は踏み出しかけた足を、たたらを踏むようにして止める。


「あ、志乃ちゃん……」


「……あ」


 明るかった志乃の表情が、すぐに曇る。


「……」


「……」


 気まずい沈黙。


 しかし、すぐに志乃が言った。


「……ごめんね。今までだましてて」


 謝罪に、直は面食らい、しかしすぐに呆れたように笑った。


「もう謝ったでしょ。いいよ、そんなの」


「で、でも、怪我……」


 志乃が直の左脚に目を落とした。


 ズボンに隠れてはいるが、根に喰われてできた傷はどれもまだ塞がり切ってはいない。


 しかし動く事に支障はなく、何より、彼は志乃に負い目を感じさせたくはなかった。


「ん?ああ、平気平気。こんなのすぐに治るよ。だって僕、ハウルだもん」


 志乃はきょとんと目を丸くした。


 直は当たり前の事を言ったつもりで彼女を見る。


 やがて、彼女はぷっ、と息を漏らした。


「……なんか、生意気」


「なんで!?」


「だって、直君だよ?あたしのおっぱいうっかり触って、半泣きで何度も謝ってた人が……」


「ちょ、志乃ちゃん!?」


 プフゥーンッ


 志乃の背後で、堪え切れない笑いが噴きあがった。


 すくみ上った直が志乃の後ろを覗くと、身を折って口を押さえるあずさの姿があった。


「んっふ、ふふ……あー駄目笑う」


「あずさ!?」


 直が顔を上げると、居間には長瀬と良蔵の姿もあった。


 机を挟んで座ったままでこちらを見上げており、良蔵はにやにや笑っており、長瀬はもの言いたげな様子で口元を歪ませていた。


 身内からの含みのある目に、直はしどろもどろになる。


「あ、あの、その……」


 取り繕う言葉を探す直の視界に、あずさがずいと身を乗り出す。


「いやーなっち、……分かるよ」


「違うよ!?事故なんだってば!手元見ないでポテチ探してたらたまたまそうなっただけで……」


「もうその話がすでにできてる二人の惚気だよ。友達って言い張るのは無理っしょ」


「む、無理って……」


 直は助けを求めるつもりで志乃を見た。


 彼の知る志乃なら「ははは」と笑って話を流すくらいはするはずだ。


 しかし、彼の予想は大きく外れた。


「……」


 直と目を合わせない。黙ったまま、しかし彼から離れようともしない。


 彼女の雰囲気に当てられて、次第に直も恥ずかしさを覚え始める。


「あ、あの、志乃ちゃん……?」


「……直君」


 志乃がか細い声で言って、直の右の袖を摘まんだ。


「……いいのに」


「何が!?」


 戸惑う彼をよそに、志乃がすっと彼に寄りそう。


 あずさがこれに、むっとした顔になって直の左腕を抱えた。


「なっちー、そういうの良くないよー」


「いや、あずさも!何で抱きつくの!?」


「そうだよ城戸ちゃん。あたしのだから」


「志乃ちゃん!?」


「隊長、抜け駆けはなしですぜ、へっへっへ」


 あずさは離れず、志乃も譲らない。


 直は両側から押さえられる格好となり、一歩も動けず、座る事もできない。身もだえすれば何と言われるか分からない。


 困り果てる直だったが、やがて争っているはずの二人に険がないのに気付いた。


「あ、分かった!これからかわれてる!」


 悲鳴のように叫ぶ彼に、二人はくっついたまま、「バレたか」と言わんばかりに顔を見合わせて笑った。




「気楽なものですね……」


 直達三人には聞こえないよう、長瀬が呆れたように良蔵にこぼした。


「バーミッシュのリーダー格とも言えるドラゴンバーミッシュが倒れた今、奴等の活動は間違いなく以前よりは小規模なものになります。少女もあの根に喰われたとあれば、バーミッシュのような人類に敵対するストレンジャーも、減る事こそあれど増える事はなくなったでしょう。……ですが、ゼロとは言えません。終わっていないんです。まだ、何も」


 そこまで言うと、彼女は自分の茶に少し口をつけた。


視線を落とし、思索を巡らせながら言う。


「……少女によって数多くのストレンジャーがこの世界に来ました。今も世界中で、バーミッシュのようなストレンジャーやその子孫が起こす事件が後を絶ちません。未だ確認されていないストレンジャーもいるでしょう。それに、少女がお母様と呼んだあの根が、またこの世界に来るために何かを仕掛けてくる。そんな危惧があるんです」


 良蔵は黙って長瀬の話を聞いていた。


 彼女の言う事は、紛れもない事実だ。


 彼等彼女等の戦いは、まだ終わっていない。


 良蔵は座布団の上で座り直すと、彼女に微笑んでみせた。


「大丈夫じゃないかい?」


 長瀬が真剣な顔のまま、怪訝そうに良蔵を見る。


 良蔵は穏やかな口調で話し始めた。


「今回の戦いは俺が今まで見た事がないくらい派手だった。それこそ、たくさんの人達が目にする程ね。あの戦いで起こった被害や悲劇に対して、俺達には何もできない。……それでも、できる事はある」


 良蔵はポケットからスマートフォンを取り出し、長瀬に画面を見せた。


 何事かと画面を覗き見た長瀬が、見えたものに目を疑い、思わずスマートフォンを取り上げた。


 まじまじと見る画面の中には、ハウルが写っていた。


 ネットニュースの記事だった。


 上空から撮ったらしい写真は、根に食い荒らされた地表の上で、静かにたたずむハウルの姿があった。


 破壊の跡で薄くけぶる写真の中で、空色の体躯が映えている。


 夜とは思えない、強くライトアップされた写真だ。


 狙って撮らねば、こうは写らない。


 長瀬は見た瞬間、全てを察した。


「……まさか」


「そう、瀬川君だ」


 言った瞬間、良蔵の携帯が震え画面が切り替わった。


 着信画面に映った名前を見て、長瀬がうんざりした顔で電話に出る。


「はい」


『セガール!コール、ミー、セガール!本名なんて恥ずかしいでしょ、んもう!』


 心外だと言わんばかりの彼の剣幕だったが、長瀬にとっては知った事ではなかった。


「聞きつけたようなタイミングで電話しないでください。それと、何のつもりですか」


『何がって空撮?そらアレよ、高いドローン買ったの』


「撮り方を聞いてるんじゃありません。なぜ、こんな写真を衆目に晒すような真似をしたんです」


 長瀬の声は静かだが、怒気の籠ったものだった。


 答え次第では今後の関係も考える。そう、無言で訴えるものだ。


 電話の主はこれを受け、答えを返した。


『……いつまでも人に隠れて活動する事なんてできないよ。いつだって、人は隠されたものを暴きたがる。暴いたものにショックを受ける。そして感情のまま過剰に騒いで、パニックを呼ぶ。そうなればたくさんの人達が敵意をぶつける相手を求めて、じきに君達に石を投げるよ。隠れて人を守ってきた、君達にね。……僕はそれが怖いんだ』


 思いの他真面目な回答に、長瀬が息を呑む。


『ならば、いっそ見せればいい。もちろん、人に見られても平気な部分をね。幸い、彼の姿は誰から見ても怖くないものにできたし。見えた部分だけで納得して黙る人も多い。そうなれば騒がれずに時間も稼ぐ事ができる。人に隠れて人を守るものがいるんだって、分かってもらうための時間がね。これが理由の半分かな』


 彼らしからぬ静かな語りぶりだったが、それが本心からのものであると長瀬は知っていた。


 もはや怒る気は失せていたが、それでも気になる部分があり尋ねる。


「……もう半分は?」


『趣味です。セガール(挨拶)!』


 ぶつん、と電話は唐突に切られた。


 長瀬はスマートフォンから耳を離し、渋面で通話の切れた画面を睨む。


「……あの人は、もう……」


 良蔵にスマートフォンを返し、額を押さえうな垂れる長瀬。


 彼のやりたい事はとうに理解しているし、今更否定する気もない。


 彼はヒーローを作ろうとしているのだ。


 未知の存在と戦い、不安を覚える人々に安心を与えるもの。


 人に隠れて怪物と戦うものを呼ぶなら、確かにそう呼ぶ他ない。


 しかしそれは、彼等自身が未知であっては成し得られないものだ。


 ヒーローとして認知されるであろう姿をさらし、いっそ有名になるべきだ、と言わんばかりの彼の理屈は理に適っているのだが……


「……良蔵さん」


 長瀬はスマートフォンに目を落とす良蔵に声をかけた。


「何だい?」


 長瀬は顔を上げられなかった。


「……私はあなた達を見世物にしたいんじゃないんです。ましてや、直さん達を物笑いの的になんかしたくない。直さんをあんな姿にした事も、写真を衆目に晒すような事も、私の本意ではないんです。せ、……セガールさんがした事が癇に障るのでしたら、返す言葉もありません。その……」


「俺はいいと思うよ」


 あっけらかんとした声。


 長瀬は耳を疑った。


「俺が現役の頃に人目についた時にゃ、化け物呼ばわりされて猟銃向けられた事もあったよ。その度に「何やってんだ俺は」って思ったもんさ。この直君ならそんな事は起こらないだろうさ。せが……、えー、セガール、君のした事は間違っちゃあいないんだ」


 思いの他好意的で、穏やかな返答だった。


 長瀬は救われた心地で顔を上げる。


 良蔵はスマートフォンに映っている孫の姿をじっと見て、目じりを下げていた。


 好々爺といった面持ちになっており、それまで口にしていた不満や不安は微塵も浮かんでいない。


 気もそぞろ、といった反応にも見える良蔵の様子に長瀬はかえって不安となり、彼女はちらりと直を見た。


「直さん」


 未だに志乃とあずさにくっつかれて困っていた直が、気付いて長瀬を見る。


 志乃とあずさも彼女を見た。


「……これからあなたに求められるものは大きな意味を持つ事になります。あなたの将来はあなたの望むものではないかもしれません。こちらから持ち込んだ話ではありますが、……続けられますか?」


 長瀬の問いかけに、志乃とあずさも黙って直を見上げた。


 沈黙が降りる。


 返答次第で直のこれからが決まる、大事な質問だ。


 これに直は長瀬をじっと見て、静かに首肯した。


「はい」


 長瀬の唇が硬く結ばれた。


「……本気ですか?」


「今更ですよ。もう決めたんです。僕にしかできない事があって僕が求められているのなら、僕はやります。じゃなきゃ、僕が後悔します。これはもう、僕のわがままなんです」


 直はじっと長瀬を見つめ、そう言った。


 言い終わった後に縮こまる様子も、目を逸らす様子もない。


 言った言葉に怯みも、嘘もない事の表れだ。


 事ある毎に縮こまってしょぼくれていた、少し前までの直の顔ではなかった。


 対峙する長瀬の肩から、力が抜けた。


「……私はハウルを、自分の血を誇りに思います。あなたが甥で、本当に良かった」


 長瀬は胸がすっと軽くなるのが分かった。


 本心から喜びを口にしたのは、何年ぶりだろうか。ふと彼女はそう思った。


 直も面映ゆさから表情を緩めた。


 志乃も安堵し、直の肩に軽く頭を寄せた。


 あずさも彼の腕を抱える手に、きゅっと力を込めた。


 この場にいる皆が互いを家族だと思えるような、そんな安らぎがあった。


 やがてふ、と長瀬の唇から息が漏れる。


「……お給料は出ませんよ」


 直の顔が、やにわにしょぼくれた。


 そんな彼に、誰もが笑いをこぼすのだった。


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