第40話 無情

 高層ビルより高い上空で二人はもつれ合い、肉薄したまま下降を始める。


「邪魔をするなタイガー!」


「奴がおらねば同胞達が帰れん!」


 タイガーが身をよじり、生まれた回転の勢いでハウルへ蹴りを放った。


 ハウルは咄嗟に獣のものとなった足を人型のものに戻し、蹴りを脛で防ぐ。


 踏ん張りの利かない空中でハウルの身体は蹴りの威力のまま後方へ飛ばされ、高層ビルと向き合って立つ別のビルの壁面に叩きつけられた。


「……っ!」


 息を詰まらせるハウルの身体はビルから剥がれ、自由落下を始める。


 タイガーはさらに続けて動いた。


 蹴りの反動で後ろに下がった体を畳むようにしてひねり、迫る高層ビルの壁面を蹴って再びハウルへ迫る。


 接近する気配を察したハウルが顔を上げ、強引に伸ばした足で背後のビルを蹴った。


 再び肉薄する両者。


 独鈷杵で斬りつけにきたタイガーに、ハウルは身体を後ろに回し、振り上げた足でタイガーの伸びきった腕を蹴りつけた。


 ハウルのオーバーヘッドキックを前腕に喰らったタイガーが、独鈷杵をその手からこぼれ落とす。


「しめた!」


 ハウルがハウルフォンに表示した全身のうち、右膝と右肘をタップした。


『OK. Let’s Bite! Now!』


 ハウルの肘の突起と膝の突起が、長く鋭く伸びた。


 ハウルが大きく身を捻り、空中で逆さになった体を強引に戻す。


 間合いは、近い。


「させん!」


 タイガーが上体を大きく旋回させ、無事な左手でハウルの伸びた右膝の牙を掴んだ。


「ぬあぁっ!」


「おあっ!?」


 力任せに引き寄せられたハウルの身体が強引に回転させられ、安定を失う。


 両者の距離は開いていきながら下降を続け、二人の真下には空中を泳ぐように木の根が広がっていた。


 タイガーが根からの回避を選択し、ハウルから目を離し、同時に手の届く所に落下していた独鈷杵を掴まえる。


 ハウルもまた、頭から落下している状態から戻ろうと身を捻り、仰向けの状態になった。


 木の根の皺に潜む無数の口がわずかに開閉する様が見えるほどにまでハウルが落ちる。


「喰いたい喰いたい喰いたい喰いたい喰いたい喰いたい」


「もっともっともっともっともっともっともっともっと」


 ハウルは咄嗟に右肘を引き、そこから木の根に落下した。


 牙を利用したエルボードロップだ。


 太く鋭い牙が葉の並ぶ口の一つに滑り込み、その切っ先が口の奥まで潜り込む。


「喰いた、おごっ……!」


 口が牙に歯を突き立てるよりも早く、牙が一気に根元まで入り込む。


 空中を泳ぐ木の根がわずかに沈む。


 牙の先が、根を破って現れた。


「っ、刺さっ……!」


 ハウルにとって、肘の牙が喰われずに刺さるかどうかは賭けだった。


 しかし賭けに勝って得た喜びは一瞬で、落下する身体を制止させる事は叶わなかった。


 突き立てられた牙を中心にハウルの身体が回り、牙が抜け更に落下する。


「あわわ、わあっ!」


 回転が加わったせいでハウルの身体がが大きく横に流れ、携帯ショップのポールサインの上空すれすれを通る。


「わわっ!」


 咄嗟に分厚い看板の縁を掴み、彼はついに墜落から解放された。


 足をもがくようにして上げ、看板の上に身を乗り出し、立ち上がる。


「はあ、はあ、はあ……!」


 落下の緊張と浮遊感から解放され、彼は荒い呼吸を鎮めようと何度も呼吸を繰り返す。


 一方、タイガーも空中を泳ぐ木の根の上へと墜落していた。


 こちらは独鈷杵を両手で握り、その先端を木の根の皺に潜む口に深く、深く突き立てる。


 重量と加速の乗った打撃で、木の根が大きくしなった。


「喰いたい喰い、ごぉふっ……!」


 独鈷を打ち込まれた口から苦悶の声が上がる。


 しかしそれはすぐに消えた。


「……喰いたい喰いたい喰いたい喰いたい喰いたい喰いたい」


「もっともっともっともっともっともっともっともっと」


 ゴリゴリと木の根の皺に潜む白い歯が、独鈷杵の銛を噛み砕き始めた。


 離す気はないとばかりに咀嚼の勢いが増す。


「……!」


 タイガーが得物を持つ手を強くひねった。


 ばきん、と独鈷杵がその手元で折れる。


 噛み砕かれる銛の先を置き去りに、タイガーは自由落下を再開した。


 すぐ下に見えるガソリンスタンドの屋根の上に、膝を付いて着地する。


 ハウルとタイガーのいる辺りに、未だ木の根の大河は届いていない。


 しかし、そこまでなだれ込んでくるのは時間の問題だろう。


 ハウルはタイガーを見下ろし、タイガーも立ち上がってハウルを見上げた。


 タイガーは片側の折れた独鈷杵を軽く放り、逆手に持ち替える。


 流れる風は、強く冷たい。


 木の根が食いつくした一帯から流れる風だ。


 ハウルは風の質に気付き、身を震わせた。


 同じ風が更に強く大きくなる事を危惧し、タイガーを見る目を険しくする。


 タイガーの空の眼窩に感情の色は見えない。


 しかし自分とこのまま長く戦う気はないだろうとは、おぼろげに察せられた。


 お互いに、残された時間は少ない。


 遠くで、声が聞こえた。


「……ぉぉぉおおおおおお!」


 澱んだ、金切り声にも似た耳障りな声だ。


 重い足音がけたたましく、しかし何かをガシャガシャと細かく固いものを無数に砕く音をまき散らせながら大河の川上から上がる。


 二人が音のする方向を見やると、四つ足の巨体が彼等に近づいて来るのが見えた。


 ドラゴンバーミッシュだ。


 せわしなく木の根を踏みつける足元は、根に喰われていない。


 根に喰われずに、根の上を歩いているのだ。


 目を疑うハウルがよく見ると、その理由が理解できた。


 ドラゴンのむき出しの牙の列からいくつも赤黒いものがぱらぱらと砂を撒くように零れ、大きく膨れながら木の根の上に転がり落ちていく。


 根の上に落ちた赤黒いものはドラゴンの進む先で広がるが、その端からパキパキと音を立ててドラゴンに踏みつぶされていく。


 そして、ドラゴンに潰された端から根に喰われて消えていった。


 ドラゴンの牙からこぼれるものを、ハウルは知っている。


 ドラゴンは木の根の上を歩いているのではない。


 自分でまき散らした、竜牙兵達を踏み越えているのだ。


 ついにドラゴンが木の根の流れの先に踊り出し、ハウルやタイガーに目もくれずに彼等の元を通り過ぎ、高層ビルの前へ滑り込んだ。


 長い首を持ち上げ、ビルの頂を見上げる。


 そこには、少女がいた。


「やめさせろクソガキ!あの根を止めろ!」


 その怒号に、余裕の色は微塵もなかった。命からがら窮地を脱した後からか、息も明らかに切れていた。


 ごひゅう、ごひゅうという荒れた呼吸が咢から洩れている。


 ドラゴンの見上げる先、ビルの縁に腰かけていた少女が、見下した笑みを浮かべて見下ろした。


「無理よ。ああなったら、もうお母様は止まらない」


 その言葉を証明するように、木の根の大河が一層勢いよく地を呑みながらドラゴンへ殺到した。


 ハウルのいるポールサインとタイガーのいるガソリンスタンドにまでその根は伸びていた。


 迫る根に危惧を抱くハウルは辺りを見回すが、手近に飛び移って乗れるものはない。


 タイガーもまた屋根の上で周りに目を向けるが、窮地を脱す手立てはないようだった。


「それに……」


 少女の声に、ハウルとタイガー、そして返事を待つドラゴンが彼女を見上げる。


「子供の言う事聞く親なんかいないでしょ」


 少女は見下ろす全てを馬鹿にしたように笑った。


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