第38話 暴食

 空坂市の焼けた夜空をガラスのように割って伸びる木の根は、今や目に見える速さでその太さと長さとを増していき、いくつも枝分かれした先端を地表へ届かせようとしていた。


 手近なビルの屋上に根の先が届くのも、時間の問題だろう。


 その様は、何本もの手がすがるものを求めて伸びているようにも見えた。


 空を見上げるハウル達が、異様な有様に息を呑む。


 ドラゴンと戦う前に見た時よりも根は大きく広がり、彼等の上空をいびつな模様で染めるように覆っていた。


 ハウルは咄嗟に情報を共有しようと、タイガーの方を見る。


「……あれが」


「お母様、だ。あの少女が言うにはな」


 ハウルとヴィオキンが、タイガーの言葉に驚いた。


「知っているの?」


「自慢のように語られた。言っておくが、私にあれを止める気はない」


「ハァ!?何で!?」


 ヴィオキンが息巻いてタイガーに詰め寄る。


「私の望みは同胞の帰還だ。この世界があの木に食われれば、同胞達も諦めがつくというものだ」


「っ、この……!」


「あずさ!」


 ハウルが根へと向き直り、声を張って彼女を呼ぶ。


「元から僕等がやる事だ。……邪魔はしないんだろ?」


 ハウルがハウルフォンのはまった左腕を胸元に置き、その液晶を二度指先で叩いた。


『OK. Let’s Crash! Now!』


 画面に表示されたハウルの両手が点灯し、全ての指先が鋭く伸びた。


 タイガーは興味なさげにふん、と鼻を鳴らした。


「あれがどうにか出来るなら、見てみたいものだな」


 興味なさげな言いぐさに、ヴィオキンがわざとらしく歯を剥いてみせて離れた。


 ヴィオキンは額の角を外し、逆手に持った杭として角を握りしめる。


「……で、どうすんの?」


「切断は難しいとしても、樹皮を剥がせばなんとかなるかも。とにかくダメージを与えよう」


「オッケー」


 その時、ぼおお、ともぎええ、とも取れる咆哮が二人に割って入ってきた。


 木の根の這いまわる空の元、片翼が根元から折れたドラゴンが四つ足を踏みしめて三人を睨んでいた。


 むき出しの頭蓋骨の鼻腔から、強く息の吹き出す音が上がる。


「虎ちゃんよぉお……!」


 ドラゴンの敵意はタイガーに集中していた。


 タイガーはドラゴンの前に踏み出し、足元に転がっていた独鈷杵を拾い上げた。


 タイガーはドラゴンを見据え、その得物を構える。


 ハウルとヴィオキンは両者の戦いを一瞥し、改めて根を見上げた。


「行くよあずさ!」


「おうよ!」


 二人は爪と角とを構え、地を蹴った。


 共に人間離れした脚力で道路を挟むビルの壁を駆けあがり、屋上をも飛び越えると、ハウルが手近な根に鋭く長い爪を振るう。


「ワイルドネイルクラッシュ!」


 右の四つの爪が根に叩きつけられた。


 がいん、という固い手応えが返り、根は微動だにしない。


 岩でも殴ったかのようだ。


 左の爪を振るおうと右の肘を引く。


「……!?」


 否、引けない。


 右の爪先全てが根の樹皮に食い込んで、全く引き抜けないのだ。


 根に両足をかけ、踏ん張ってみるも結果は変わらない。


 ハウルがちらりとヴィオキンを見る。


 別の根に乗った彼女もまた、逆手に持った角の一つを突き立てた状態で引き抜けずに戸惑っていた。


「あ、あれ?抜けない!?」


 彼女の戸惑いに答えを得ようと、彼は爪の先に視線を戻す。


 すると、皺だらけの樹皮に食い込んだ爪先が、わずかに引き寄せられるのを感じた。


 どういう事かと、爪先に顔を近づけ根の様子を見る。


 すると、か細い声が聞こえた。


 女の声だ。


 それは根から聞こえる。


 気付いた瞬間、ハウルの背筋が凍った。


「美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い」


「喰う喰う喰う喰う喰う喰う喰う喰う喰う喰う喰う喰う」


「喰いたい喰いたい喰いたい喰いたい喰いたい喰いたい」


「もっともっともっともっともっともっともっともっと」


 声は全て、樹皮の皺から上がっていた。


 蠢動する皺の隙間から、小さな四角いものが無数に並んでいるのが見えた。


 人の、歯だ。


 それでハウルは、全てを察した。


 無数にある樹皮の皺は、その全てが口なのだ。


 わずかに、しかし強く蠢動しており、食い込んだ爪を少しずつ引き寄せている。


 こり、ぽりと固いものを小さく砕く音がいくつもいくつも重なる。


 爪は食い込んだのではない。


 喰われているのだ。


「ッ!まずい!」


 ハウルは爪を元に戻した。


 ハウルフォンで与えた変化は気を抜くだけで戻せる。


 爪は樹皮から引き抜かれ、勢いよく縮んだ。ハウルは自由になった右手を慌てたように振る。


「あずさ!角を捨てて!喰われてるこれ!」


 言われたヴィオキンは驚いたようにハウルを見て、直後に角から汚いものだと気付いたようにばっと手を離した。


 ヴィオキンの角は樹皮に突き立ったまま、わずかに震えながら徐々に樹皮の皺へと沈み始めた。


 ボリボリゴリゴリと咀嚼する音を上げながら角は沈み、すぐに樹皮の皺に飲み込まれた。


 二人は急いで樹皮を蹴った。


 幸いにして唇の盛り上がりにあたる部分に乗っていたらしい足は喰われる事なく、二人は逃走を許された。


 根から逃げた二人は同じビルの屋上に降り、また根を見上げる。


 根は更に大きく広がり、二人の頭上はおろか、街全体を覆い隠そうとしていた。


「食べられるって、こういう事か!」


「まずいよこれ!近づけないじゃん!」


 ヴィオキンの言う事はまさに正論だった。


 空にひびを入れるようにさらに広がっていく木の根。


 その内の、細い髭のような根の一つが、ハウル達の見ている前でついに手近なビルに触れた。


 そこから先は、速かった。


 細い根の先が何本も枝分かれながら伸びてビルを塗りつぶすように広がり、細い根は一気に太り蛇のようにビルを締め上げる。


 がつがつ、ぼりぼりという音がいくつもけたたましく重なり、瞬く間に根は体積を窄め、握りしめるようにビルを絞りきった。


 まさに、一瞬の出来事だった。


 ビルを喰い虫こぶのような塊になった木の根は、それまでの支えを失いわずかに傾ぐ。


 直後、空いた空間を埋めようとするようにその側面から何本もの根が生え、枝分かれしながらその先端を辺りに泳がせ始めた。


 空のヒビから伸びる根の数々が、辺りの街路樹や自動販売機、横転している車へと伸び、触れた端からあらゆるものに巻き付き、握りつぶすように喰らっていった。


 道路に敷かれたアスファルトや石畳に達した根は、貼りつくや否や、ぼりぼりと音を立てて辺りを塗り潰すようにその密度を高め、さらに広がっていく。


 こぼれたインクのように速く、そして、取り返しのつかない様に変わっていく有様にハウル達は息を呑んだ。


 地表を侵していく根の群れは、二体のバーミッシュの元にも及んだ。


 飛び掛かるタイガーを、ドラゴンの太く長い首が薙ぎ払う。


 両腕で防御したタイガーだったが、その身体は宙に飛ばされ、そばに立つビルの窓に激突してその屋内へと吹っ飛ばされた。


 オフィスの一室であったらしいそこにタイガーの体躯が叩き込まれ、いくつものスチール製の事務机や鍵付きの本棚がなぎ倒され室内が荒れる。


 全身の痛みに構わず、タイガーが急いで立ち上がった時だった。


 細い木の根が、割れた窓の縁に伸びた。


 その一本が窓のサッシに触れた瞬間、何十、何百もの根がずらりと殺到し壁を染めるように室内になだれ込んだ。


 根の一つが倒れた机の上に乗った瞬間、細かい根が生えて机を覆い、小さな虫こぶへと変わる。


「…!?」


 目にした光景に危機を察したタイガーは、根の群れのひしめく窓の中心へと飛び込んだ。


 タイガーが空中に躍り出た直後、飛び出したその隙間を埋めるように他の根がなだれ込む。


 タイガーが道路に着地し振り返ると、先ほどのビルは絡みつく木の根に覆われ、塊に変わってべたんとその高さと太さを失った。


 根の塊は更に無数の細かい根を生やし、両隣や奥へと食うものを求めて再び生長を始める。


「何と……!」


 異様な光景に少なからず驚きを見せるタイガー。


 それに驚いたのは、タイガーだけではなかった。


「何だぁ、こりゃあよぉ!」


 戸惑いの滲んだ怒号を上げたのは、ドラゴンだった。


 長い首で空を見上げ、四つ足でだん、と地を鳴らす。


「ふざけんな!ここは手前の餌場じゃねえ!」


 根を吐き出している空のヒビを見上げると、牙の並ぶ口をかっと開き、喉の奥に炎を蓄える。


 タイガーに加えられた傷の影響などものともせず、火柱がごう、と大気を焼きまっすぐ空のヒビへと放たれた。


 火柱の先がヒビへと迫る。


 木が、これに反応した。


 ヒビとドラゴンとの間へと、木の根が何本も空中を走って割り込む。


 網のように広がったそれは、迫る火柱を真っ向から受けた。


 火柱が、止められた。


「……ッ!?」


 火を噴くドラゴンが、その事態に色めく。


 タイガーはもちろん、ハウルやヴィオキンも目を疑った。


 容赦なくあぶり続ける炎に対し、木の根に焦げる様子はおろか、煙すら昇る様子がない。


 それどころか、先ほどよりも大きな声が木の根から上がっていた。


「熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い」


「美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い」


「もっともっともっともっともっともっともっともっと」


 木の根の皺から、悲鳴や歓声がいくつも上がっているのだ。


 しかも炎が続くにつれ、悲鳴よりも歓声が上回っていく。


「炎まで!?」


 ハウルが思わず声を上げた。


 木の根が、炎を喰っている。


 目にした誰もが、そうとしか考えられなかった。


「え、これ、……まず、くない?」


 ヴィオキンが恐る恐るハウルに問う。


 否定を求めての問いかけだったが、ハウルはこれに答えられず、胸に去来した重圧から押し殺した息を吐いた。


 引き下がれないドラゴンがなおも火を噴き続けるが、木の根は火を喰いながらこれを押しとどめる。


 ドラゴンの四つ足に、地を這う別の木の根が伸びた。


 何人もの飢えた者の手のように、ドラゴンの足へと何本もの木の根が迫る。


「っ……、う、があああああっ!」


 ドラゴンが火を噴きながら地団駄を踏む。


 首をよじらせ、火の線で辺りを薙いだ。


 どの根も火によってわずかに怯むも、焦げ跡すら残らず、進行を押しとどめられる程度にしかならなかった。


 根の群れが押し寄せる先はドラゴンだけではない。


 タイガーもまた、八方から迫る根を避けて駆けていた。


 近づく根を独鈷杵で叩きながら、根の密度の低い場所、つまり空のヒビから遠ざかる方向へと走る。


 それを見たハウルとヴィオキンは彼に倣い、同じ方向へと走った。


 ビルからビルへと飛び移り、空のヒビから離れる二人。


 その様子を、離れた別のビルから見下ろし笑う者がいた。


「無理無理。お母様から逃げられる訳ないのに」


 手すりに腰かけた少女は足を組み、哀れなものを見る目で笑った。


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