第36話 乱戦

 ドラゴンは地に伏すタイガーを見下ろし、むき出しの牙の並ぶ顎を開いた。


 喉の奥に、ちりちりと火が灯る。


 下あごに蓄えられた無数の目玉が、いくつもタイガーに虚ろな視線を投げかけていた。


 タイガーは起き上がろうと両肘で身体を起こすが、ダメージからの訴えでそれ以上の行動は叶わない。


「じゃあな、虎ちゃん。手前の面は忘れてやるよ!」


 ドラゴンの激昂の後、喉の奥の炎が勢いを増して一気に放たれる。


 そう思われた、直前だった。


「おおおおぉぉぉっ!」


 雄たけびが、ドラゴンの左側から上がった。


 ドラゴンがその声に炎を留め、鼻先をそちらに向ける。タイガーもまた、そちらを見た。


 自動車の蹴散らされて拓けた道路を、青いものが低く駆けてくる。


 遠方に見えたそれは瞬く間に二体へと距離を詰め、手近な自動車のボンネットを踏みつけて高く跳んだ。


 更にビルの壁面を跳ね、ドラゴンへと肉薄したそれは、身をひるがえし足先からドラゴンへと飛び込んだ。


「ウオラァッ!」


 ドラゴンの頬骨に、青いものの蹴りが刺さった。


 ドラゴンの首が傾ぎ、声も上げず、もつれるように全身のバランスを崩した。


 鱗に覆われた巨体が落下して滑り、植え込みや道路標識、転がった自動車が押し出され辺りが均された。


 青いものは倒れたままのタイガーの元で膝を付いて着地し、その全身を空の眼窩の前に晒した。


 青くぬめるような全身、いたるところに生えた牙、狼の顎から覗く鏡面のような顔。


「ハウル……!」


 タイガーがその名を口にする。


 ハウルはタイガーを見ると、膝を付いたままその手を差し出した。


「逃げる理由は?」


 気遣いとも、挑発とも取れる言葉。


 それに、タイガーはふっ、と息を漏らした。


「ないな」


 ガッ、と。


 タイガーの毛むくじゃらな手がハウルの滑らかな手を握った。


 立ち上がったタイガーがハウルの隣に立つ。


 そのハウルの足元に、空中から白い髪の赤鬼が降り立った。


「やー、もう、なっち速い」


「走力じゃあ僕が上だね」


「まあ、仰る」


 気楽なやり取りの後、赤鬼ヴィオキンがタイガーをちらりと見た。しかしすぐに興味をドラゴンに移す。


 ドラゴンは身体の割に細く短い前足を道路に叩きつけ、ゆっくりとうな垂れた首を持ち上げようとしていた。


 翼や尾の先が空を掻いて、その苛立ちを露わにしている。


 ようやく持ち上げられた首の先、巨大な竜の頭蓋骨が三人を睥睨すると、ドラゴンは耳障りな声で一際大きく吠えた。


 辺りがばりばりと震え、地が揺れる。


 さらに二度、三度と、もはや言葉では感情を表すのには追い付かず、その声量と回数とで煮えたぎる怒りを吐き出した。


 声に全身を震わされながらも、三人は一歩も引かなかった。


 ハウルがタイガーを見やり問いかける。


「あの男がああなった理由は?」


「見解の相違だ。奴はこの世界の支配者となるつもりで、私はそれを認めなかった」


 そこでヴィオキンが身を乗り出してタイガーに尋ねる。


「へえ。じゃあ、共通の敵って訳?」


「気安いぞ。私はお前たちの仲間ではない」


「それでもいい。僕等もあいつを倒したい」


 ハウルの言葉に、今度はタイガーが問うた。


「理由は?」


「ここは僕等の世界だ。自分の居場所を守るのは当然だろ」


 ハウルはドラゴンを見上げ、腰を落とし、体を開くように構えた。


 ヴィオキンもまた、踵を軽く上げ両肩を回し、ふうぅ、と息を吐いた。


 両者とも、戦うための構えだ。


「……そうか」


 二人の様子を見て、タイガーがぽつりと呟いた。


「野暮な事を聞いた」


 タイガーは手にした独鈷杵を構えドラゴンを見上げた。


 並び立つ、三者三葉の異形。


 共に同じ敵を見据え、息を整えた。


 ドラゴンが三人を見下ろし、大きく翼を開いて再び空を叩く。


 風が舞い上がり、ドラゴンの巨体が浮きあがった。


 高度を増したドラゴンが、首をよじりながら声を上げる。


「手前等、ぜぇぇんいぃぃん……」


 のけぞり後ろに向けられた頭蓋骨の眼窩や牙の隙間から、赤い光が差す。


 三人がわずかに踵を上げ、重心を傾けた。


「焼け死ねぇぇ!」


 弾けたように首が前へ向き、開いた顎から炎が放たれた。


 三人は真っ向から飛んできたそれに、同時に、異なる方向へ跳んだ。


 タイガーは左に、ヴィオキンは右に。


 そしてハウルは、右斜め上へ。


 火柱はハウルを追った。


 火柱を跳び越えたハウルは、自分を追って迫る火柱に対し、ビルの壁面を蹴って自らの軌道を変えて回避した。


 火柱はガラス張りのビルに刺さりビルの内部を真っ赤に照らしてすべての窓から炎を噴かせた。


 噴きあがる炎を背に受け、ハウルはなおもドラゴンへと向かって跳ぶ。


「おおおぉぉっ!」


 ハウルは吠え、空中の制動のため走るように何度も足を伸ばした。


 ドラゴンの頭蓋骨までへの飛距離を稼いで口から伸びる火柱を飛び越えようと躍起になり、ついにその踵がドラゴンの鼻先へ乗る。


 踵に感じた抵抗を利用し、反対側の足を高く掲げる。


「っしゃあ!」


 眉間へ一発、振り上げられていた足を叩きつけた。


 図らずも、以前タイガーが入れたヒビに重なる場所だ。


 ドラゴンが苦悶の声を上げ、炎を吐くのを止める。


 頭上を飛び越そうとするハウルを追って、ドラゴンは顎をのけぞらせた。


「こっちこっちぃ!」


 声を上げたのはヴィオキンだ。


 右に跳んでいた、つまり対峙したドラゴンから見て左側にいた彼女が、分厚い仮面を思わせる額に生えた二本の角に手をかけた。


 かきん、と。


 角は容易く彼女の額から外れた。


 彼女は角を持つ手を大きく振りかぶる。


「しっ!」


 一本、そしてもう一本がドラゴンに向かって投げ放たれた。


 回転しながら飛ぶそれ等は、異なる弧を描きながらドラゴンへと迫り、その首筋に命中した。


 いずれも当たったのは顎の下、むき出しの頭蓋骨と鱗に覆われた首の狭間だ。


「ガアッ!?」


 鱗のない、肉のむき出しになったわずかな隙間にヴィオキンの角が引き裂くように、立て続けに強く掻く。


 頭が空でも生物ではあるドラゴンバーミッシュの注意が、怒りと共にヴィオキンに向けられた。


 放った角が弧を描いて戻って来るのを待つヴィオキンに、ドラゴンの咢が大きく開いた。


 無数の死んだ目と、暗闇にちりちり灯る火が彼女に向けられる。


「……!」


 息を呑む彼女だったが、戻って来る角を待つ姿勢に怯えはない。


 彼女の視界の隅には、街灯を蹴ってこちらに跳ぶハウルが見えていたからだ。


「だらあっ!」


 ハウルの不意打ち、ドラゴンの左頬にめがけての飛び蹴りが重い音を立て、ドラゴンの身体を芯から揺らせた。


 空中でよろめいたドラゴンだったが、躍起になったように長い尾をしならせ、二人を薙ぎ払おうと振るわれる。


 その時ハウルは未だ空中。ヴィオキンはようやく戻ってきた角を掴み跳躍に移ろうかという瞬間だった。


「あずさ、下がって!」


 ハウルの指示にヴィオキンは面食らうが、すぐに後方へ跳ぶ。


 ハウルは迫る太い尾を見据え、左腕のハウルフォンを二度叩いた。


『OK. Let’s Shoot! Now!』


 ハウルの足先の底面が厚さを増して硬くなる。


 迫る尾に、ハウルは身を捻って勢いよくその足で真っ向から蹴りつけた。


「シューティングストンプ!」


 強化した蹴りと丸太のような尾が激突し、重い音が上がる。


 押し負けたのは、ハウルだった。


「……ッ!?」


 青い身体が、跳ね飛ばされて回転しながら宙を舞った。


 尾は勢いを失わず、下がって屈んだヴィオキンの頭上すれすれを通り過ぎる。


「なっち!」


 角を額に戻したヴィオキンがハウルを見上げ、その名を呼ぶ。


 跳ね飛ばされたハウルだったが、精神の均衡を失ってはいなかった。


 上下する視界の中で、自分の飛ばされる先に視線を巡らす。


 そこは雑居ビルの壁面にある、漫画喫茶の黄色い看板だった。


 それに激突する直前、ハウルは身を捻ってそこへ足から着地した。


 着地の勢いを殺そうと更に壁面を滑るように二度、三度と跳んで三件ほど隣のビルの壁面を下っていき、路面に着地してかろうじてハウルは静止できた。


 三半規管に残る酔いを振り払おうと、ハウルは何度も頭を振る。


「っ、くうぅっ」


 強い衝撃は尾を蹴りつけた右足の芯に残っていた。


 痺れて棒のように重くなった足に焦り、再び前方のドラゴンを見上げる。


 ドラゴンは更に高く浮き上がり、全身を丸めるようにしてハウルを見下ろしていた。


 のたうつ尾には蹴りを見舞った跡として、青い鱗の剥がれた様子が見て取れた。


 尾の動きは激しく、ドラゴンの感情を如実に表している。


 再び牙の並ぶ咢が開き、喉の奥に火が灯った。


 まずい。


 ハウルがそう思った瞬間、ドラゴンの背後から人影が躍り出た。


 独鈷杵を構えた、タイガーバーミッシュだ。


「おおぉっ!」


 気迫と共に独鈷杵を振りかぶり、固い音を立てて得物の先端がドラゴンの脳天に叩きつけられた。


「ぎっ……!?」


 むき出しの頭蓋骨にダイレクトに響く打撃の余韻に、ドラゴンの挙動が一瞬強張る。


 ハウルはその隙に、無事な左足に強く荷重し一気に右へ逃げた。


 ハウルのいた位置を、狙いのずれた火柱が舐める。


 ドラゴンはすぐに火を噴くのをやめ、未だ頭上に浮いているタイガーへと意識を向けた。


 翼の先を大きく掲げ、ばんと空を叩く。


 急上昇した巨体の長い首が、タイガーの全身を下から叩きつけた。


「……!?」


 タイガーが全身を打つ強い衝撃に意識を手放し、無造作に宙に打ち上げられる。


「タイガー!」


 ハウルがタイガーを危惧してその名を呼ぶ。


 しかしその声はドラゴンの注意を呼んだ。


 ドラゴンが長い首をさらに倒して空中で回る。


 その挙動に虚を突かれたハウルだったが、首と入れ替わるように上から覗いた尾を見て、再び右に逃げた。


 ハウルの上へ、ドラゴンの長い尾が振り下ろされた。


 尾の先がアスファルトを打ち、その表面を叩き割った。


 ハウルは板のように起き上がったアスファルトをかいくぐり、ドラゴンの視界から逃れた。


 その勢いのままビルの間に入り込み、隠れて息を整える。


「はあ、はあ、はあ……。空中にいられちゃ不利だ。どうにかして頭の上を取らないと」


 ハウルは改めて、ビルの影からちらりとドラゴンの様子を覗いた。


 ドラゴンは再び翼で宙に浮き、視界から姿を消した三人を探すようにゆっくりと長い首で辺りを見回していた。


 鼻先がこちらに振れたのを見たハウルは、咄嗟に再びビルの陰に隠れる。


 どう回り込んで接近するべきか。


 ハウルがそう考えた矢先、がきんと大きな音が上がった。


 固いもの同士を乱暴に打ち合わせて上げる、心臓に悪い音だ。


 何事かとハウルがドラゴンを再び見ると、ドラゴンの口が閉じられ、噛み合わされた牙の下から、ぱらぱらと細かいものが降り落ちる様子が見て取れた。


 それが牙の欠片だと気付いた瞬間、ハウルは息を呑んだ。


 彼の予感を肯定するように、ドラゴンの周辺で変化が起こった。


 土に埋もれた種子が発芽し鎌首をもたげるように、赤錆色のものがいくつも身を起こす。


 高さを増して成長していくそれらは、いずれもが人間の骨格を有していた。


 竜牙兵だ。


 道路を埋めようと増えた竜牙兵達は二十や三十ではない。


 百を超える赤錆色の髑髏達は獲物を探すように八方へと歩き始めた。


 ハウルは咄嗟に、ビルの陰から飛び出した。


 一体でも見失えば思わぬ被害が広がるとすぐに考えたからだ。


「そこかぁっ!」


 ドラゴンの声に、竜牙兵達が一斉にハウルへ向かった。


 ハウルは殺到する髑髏の大群を見据え、左腕のハウルフォンを指先で二度叩く。


『OK. Let’s Crash! Now!』


 画面の中で、ハウルの両手が点灯した。


 ハウルが空中で両手を広げ、その十の指先が鋭く弧を描いて伸びる。


 研ぎ澄まされた爪を得た腕を大きく広げ、大群へと走った。


「おおおおおっ!」


 接近し、射程に収めた竜牙兵にハウルの爪先が飛ぶ。


「ワイルドネイルクラァッシュ!」


 振りかぶった腕が、次々と手近な竜牙兵の頭部を砕いた。


 一つ、二つと赤い髑髏が失せ、人数を減らしていく。


 しかし、この局面で人数は大きくものを言った。


 三体目の頭を砕いた矢先、ハウルの背中に一体が抱き着いた。


 それを皮切りに、次々と他の竜牙兵達達がハウルへと殺到し、のしかかっていく。


「しまっ……!」


 た、と言う間もなく、ハウルは髑髏の群れに乗られ、赤錆色の山へと埋められた。


 骨だけとは言え大群に背中から押しつぶされ、ハウルは身動きが取れなくなる。


 ハウルが顔を上げると、ドラゴンの顎が彼に向けて大きく開かれつつあった。


 喉の奥で、ちろりちろりと赤いものが現れ始める。


 火を噴かれる。その予感に、ハウルは躍起になってもがくが、統率の取れた髑髏の大群は彼に行動を許さない。


 ハウルが焦って強くもがけば、竜牙兵達は次々と彼の四肢にしがみついてくる。


 ハウルが目を逸らし、観念したように身を固めた時だった。


 ごう、と車のエンジンが唸る音が上がった。


「直君伏せてぇええ!」


 近づく声が志乃のものだと分かったその時、彼の上で派手な音が上がった。


 水色のミニワゴンが、赤錆色の山へと飛び込んだのだ。


 百キロを超える重量の突進によって次々と骨の砕かれる軽快な音が上がり、ミニワゴンが山を突っ切って飛び出し、ハウルの前に着地する。


 突っ走ってきたその勢いのままに、ミニワゴンはハウルの前から離れ、ぎゅるんとカーブを描いて彼の前を横切った。


 ハウルは全身に絡みついていた力が弱まっているのに気付き、全力でもがいて腕の拘束を振りほどいた。


 人数の減った竜牙兵達が、ハウルの長い爪に掴まれてその頭を次々と砕かれ、乾いた音を立てて霧散していく。


 口に火を蓄えていたドラゴンが、ミニワゴンへと照準を変えて火を噴いた。


 ミニワゴンは後部すれすれを追う火柱から、蛇行しながらも健気に逃げる。


「志乃さん、振り切ってください!」


 走るミニワゴンの開いた窓から長瀬の声が上がる。


「言われなくてもおおぉぉ、もぉお怖いいいぃ!」


 自分達を追いかける多大な光と熱とに、志乃のテンションは恐怖から異常に高まっているようだった。


 ミニワゴンも彼女に同調するように激しい走りで火柱と、それを噴くドラゴンから逃げていく。


 道路際でひっくり返っていた廃車が、火柱に舐められて大胆に跳ね、手近なビルに無造作に激突した。


 ガラスの粉々に砕ける音と建材のぶつかる鈍く響く音とが、さらに志乃の焦燥をあおり、ミニワゴンの走りを乱した。


 ドラゴンがミニワゴンを追い、巨体をゆっくりと旋回させる。


 その背中を見据えたハウルがこれを追おうとする。


 しかし、激突や損傷を免れた他の竜牙兵達が次々とハウルへと殺到した。


「ああ、もう!」


 ハウルは躍起になって迫る竜牙兵達へと爪を振るった。


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