第35話 開戦
ハンドルを握る長瀬の足が、更にアクセルを踏み込む。
水色のミニワゴンが、さらにエンジンを唸らせ車道を軽快に走った。
後部座席に座る直が、隣の車線の長い渋滞を横目で見ながら、向かう先に見える煙越しのドラゴンに静かに唾を飲む。
「怖いの、なっち?」
彼の隣に座るあずさが尋ねる。
「そりゃ怖いよ。でも、怖いのは逃げる理由にならないから」
「なっち、前と同じような事言ってる」
「え、そうだっけ?」
二人のやり取りを運転席と助手席で聞いていた長瀬と志乃が顔を見合わせ、すぐに志乃が二人に振り返った。
「ずいぶん仲いいね、二人とも」
「あれ、志乃さん妬いてるー?」
あずさが意地の悪い笑顔を作って志乃に尋ねる。
志乃はむっとした様子であずさからそっぽを向いた。
「べっつにー。直君とは付き合い長いしー。今更誰と何してたってどうとも思わないもーん」
その言い草が、直には自分に向けられたもののようで、苦笑を返した。
「そんな、志乃ちゃん、拗ねないでよ。彼女じゃないんだからさ……」
そう呟いた直後、志乃とあずさが真顔になって直を見た。
直は二人に見つめられ、最初こそぽかんとしていたが、次第に狼狽し始めた。
「な、何?どうしたの?」
直の疑問は答えられず、あずさがすぐ前の志乃に身を寄せ、二人はぼしょぼしょと小声で話し始めた。
「……志乃隊長、もしや彼は」
「うむ、実は他人の好意に結構ニブチンなのだよ」
「ニブチンですか」
「そうなのだ。もうちょっと、まんざらでもなさそうにしてたら可愛かったのに……」
「隊長、お熱ですなぁ」
「お、妬いたかね?」
「いやいや、妬くとかそんな……」
「ちょっと内緒話長くない?」
ひそひそ話はさらに続きそうで、直は突っ込みを入れた。
二人は黙り、その後静かに距離を取っていった。
背もたれに体を預けたあずさに、直は尋ねる。
「何の話をしてたの?」
「そこ聞いちゃ駄目だよなっちー。モテたかったら察さなきゃ」
「いや、単純に気になっただけで……」
「別に直君の悪口じゃないよ。いや、悪口なのかなこれ」
「どっちなのさ」
「気になるような事するなっちが悪いよ、これは」
「やっぱり悪口じゃないか」
直は眉根に皺を寄せた。
全く迫力のないその表情に、あずさと、ちらりと後ろを見た志乃がくすくすと笑いだした。
ハンドルを握っていた長瀬が、そこでようやく口を開く。
「……ずいぶん、リラックスしてますね」
「あ、すいません……。その、今は、前の時より怖くはないんです」
「と、言うと?」
ミニワゴンが大きなカーブに入り、車体を傾けながら車線をなぞっていく。
慣性に圧された四人が一斉に右に傾ぎ、ようやくカーブを抜けた頃に同時に体軸を直した。
「前まで、僕は一人じゃ何にもできないと思ってたんです。それが嫌で、友達の志乃ちゃんと離れたかった時期もあります。……でも、今は違う」
直は少しだけ息を吸い、小さく息を吐いた。
「今は僕だけじゃないんです。あずさがいて、長瀬さんがいて、志乃ちゃんがいます」
直はそこまで言って、手にしたハウルフォンに目を落とした。
画面は志乃との通話が終了した状態の、パスワードを待つ認証画面のままだった。
「僕のハウルの血が薄いのは、きっとこのためだったんだと思います。この電話で、皆とつながって、だから僕はハウルになれるんです」
ミニワゴンは直線を走り、ついに隣車線に並ぶ車の列の最後尾を通り過ぎた。
無人となった一帯に入り、焼け焦げたアスファルトや炎上する自動車の隙間を抜けて前へ、前へと進んでいく。
「僕はハウルでよかった。今ならそう思えます」
ミニワゴンが小さく弧を描くように滑り、停車した。
止まったミニワゴンから、直とあずさ、志乃と長瀬が降りて前方の空を見上げる。
燃え上がるアスファルトや建物からの炎に照らされた煙の中で、翼を持つ巨体が長い首と尾をしならせ、ゆっくりと宙を回遊しているのが見えた。
その更に上空には、ドラゴン以外に、直達の知らないものがあった。
ヒビの入った空が、あった。
ガラスに描かれた絵のように空は割れ、夜空の裏側からは割れ目をこじ開けるようにねじくれたものが何本も伸びている。
あずさが見たものをそのまま口にした。
「あれって、木の根っこ……?」
長瀬が険しい顔になって小さく唸った。
「あれが、おそらくは少女の言うお母様でしょう。私達は最悪の事態を前にしているのかもしれません」
木の根は見上げる彼等の前で、徐々に、ほんのわずかずつだが、生長を続けていた。
伸びる時間は決して速くはないが、それでも空のヒビが根に圧され、ぱらぱらと割れ目から欠片を落としながら広がっていく様子までが見て取れた。
広がった割れ目からは、徐々に新たな細い根が現れ、根の先をさまよわせるように空中に広がっていく。
直と志乃、あずさは呆然と空を見上げていた。
空を割る木の根に、宙を舞うドラゴン。
さながら悪夢のような光景だった。
「……直さん、城戸さん」
長瀬の呼びかけに、二人が振り返る。
「あのドラゴンはもちろん、お母様というあの木の根もこの世界への脅威です。あなた方に求められる役割は危険で、非常に大きな意味を持っています。……本当なら私が行きたかった。私は今、自分の出来ない事を人に任せるという事が、こんなに無情で無責任なのだと、今更のように気付かされています」
長瀬の言葉は真摯で、直とあずさは黙って聞き入っていた。
志乃もまた、長瀬に同意するように彼女の隣に立ち、二人を見据えていた。
「私にできる事は、あなた方のサポートともう一つ。あなた方に協力を乞う事だけです。……お願いします。人類を、この世界を守ってください」
長瀬は深々と頭を下げた。
志乃もまた、頭を下げた。
直とあずさは二人を見た後、互いに顔を見合わせた。
そして、二人に言う。
「ここまで来たら今更ですよ」
「嫌ならとっとと逃げてるもんね」
長瀬達が顔を上げる。
すでに二人は彼女等に背を向け、ドラゴンと木の根を見上げていた。
長瀬の足元に、赤いものが滑り落ちる。
あずさの襟元を締めていた、制服のリボンだ。
「あの木の根が伸びてくるのには、まだまだ時間がかかるみたいだ」
「んじゃま、先にドラゴン退治かな」
あずさの言葉に直は頷き、手にしたハウルフォンに表示されていたテンキーを押し込んだ。
[0][0][2][3]
『Consent to your fighting. Good luck』
ハウルフォンの電子音声の後、直の隣であずさが両腕を伸ばし、胸の前で交差させた。
「あたしもポーズとか取ってみたりして」
そして、交差させたままの腕を高く掲げ、その後右の腋を締める。
直はあずさに苦笑しながらハウルフォンを持つ手を前へ突き出し、ブレスをはめた左腕の肘を引く。
そして右の肘を引き、左腕を胸の前で据える。
二人の表情が、締まる。
宣言は同時だった。
「「豹転!!」」
あずさが掲げたままだった左腕を引き、同時に右の拳を突き上げる。
直は身体を軸に大きく両腕を回し、ハウルフォンをブレスへと装填した。
二人の肉体が同時に、異なる変化を迎える。
あずさの袖口やスカートから覗いていた素肌がわずかに盛り上がり、赤い鎧に似た外殻に変わる。
短めな頭髪は急速に伸びていき、色も白く変わっていく。
額から目元にかけて、仮面に似た分厚い外殻が現れ、額からは二本の角がせり出す。
直の全身が、衣服を巻き込んでぬめるような質感を得て底冷えするような薄い青へと変わっていく。
濃い色の甲殻が体表面に現れ、鎧のように体の要所を覆っていく。
肩や肘、膝には爪か牙を思わせる鋭いものが生え、胸から下腹部のあたりにかけては、巨大な獣の顔を思わせる意匠が現れる。
首から上が人のものから狼に似たものへと変わり、その顎が大きく開くと、鏡面に似た仮面のような顔がせり出す。
二人の変化が終わった。
並び立つのは白髪の赤鬼と、狼に似た青いヒーロー。
両者は同時に一歩前へ出、未だ夜空の煙の中を揺蕩うドラゴンを見上げた。
「フゥウッ、んじゃま、やっちゃうかぁ!」
姿を変えたあずさが大きく首を回し、両肩を回す。
姿を変えた直もまた、ドラゴンを見据えたまま、ぐるる、と仮面の奥で唸った。
唸る彼の脳裏に、涙が浮かんだ。
ドラゴンである男を恐れて流れた、あずさの恐怖の涙。
バーミッシュに関わるため、直の傍に居続けた志乃の悔恨の涙。
ハウルはバーミッシュの頭目ともいえるドラゴンの姿をその目に映す。
ハウルの、直の胸がかっと熱を持った。
「もう、誰も泣かせない」
静かに、強く彼はそう言った。
ハウルとヴィオキンは同時に目配せし、そしてほぼ同じタイミングで身を沈める。
同時に、二人はドラゴンへと走った。
水面を跳ぶ飛魚のように、焦げたアスファルトやビルの壁面を蹴って、けぶるドラゴンの影へと向かっていく。
二人を見送った長瀬と志乃も、小さくなっていく二人の姿に、意を決してミニワゴンへと向かった。
振り帰り際、あずさのリボンを長瀬が拾う。
「志乃さん、運転を!」
「はい!」
志乃が運転席に、長瀬が後部座席に乗り込む。
志乃が差しっぱなしのエンジンキーを回し、長瀬は後部座席を倒して車体後部に積まれていたアタッシュケースのヒンジを外した。
ミニワゴンが発進した後、長瀬がケースを開く。
緩衝材の詰められたケース内部の中心では、金属製の部品がいくつも規則正しく配置されていた。
すぐさま部品を手に取り、手際よく組み立てていく。
そうして出来上がったのは、両腕で構えて撃つ、スコープを持つライフルだった。
彼女は窓を開け、長い銃口を外に出してストックを二の腕に乗せる。
走るミニワゴンが向かう先は、常にドラゴンを視界の左方向に収めるよう、右へと回る道だ。
長瀬は銃口の先に、煙の中のドラゴンを見据える。
「私達にできる事をやってやりましょう。それが私達の責任です」
「はい!」
志乃は返事を返し、さらにアクセルを踏み込んだ。
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