日本はどこへ

秋野大地

第1話 海外から見る日本

 どうやらマレーシアは、雨季に入ったようだ。連日雨が続いている。断続的な、集中豪雨のような雨だ。一旦それが始まると、車の運転席の視界は霧に包まれたかのように悪くなるし、屋内にいれば屋根を叩きつける凄まじい雨の音が聞こえ出す。加えて空気を震わせる雷鳴は、生身で外へ出るのに恐怖を感じるほどの迫力がある。


 これが連日のことになれば、それはまさしくこの地の風物詩なのだ。


 日曜日の今日も、あいにく朝から雨だった。だからと言って、いつまでも布団の中でぐうたらできるわけではない。育ち盛りの子供がいれば朝食だって準備しなければならないし、市場に行って一週間分の食料も買い出ししなければならない。もっともそんな用事がなくても最近は、ゆっくり昼頃起きるなどという芸当はこなせなくなっている。前日十二時前に就寝すれば、早い時には朝五時頃に目が覚めてしまうからだ。寝るにも体力が必要だと言われるけれど、残念ながらその体力が、もはや自分には乏しくなっているのかもしれない。


 それにしても三人の子供を相手にしていると、どうして人間は食べなければいけないのかと、つくづくと思ってしまう。それぞれ食べたいもの、食べたい時間がばらばらで、各自の要求をそのまま聞いていると何かと忙しい。休日は自分が食事係を半分担っているから、朝は早起きする自分に自然と子供たちのご用命が集中する。とにかくみんな食欲旺盛で、市場やスーパーで買った、車から部屋に持ち込むのに一苦労も二苦労もする大量の食料品は、気付くとあっという間に消費されている。成長期の子供はたくさん食べた方が良いという持論の僕は、そのことを喜ばしいことだと思ってはいるが、それにしても細切れによく食うからこっちは忙しいのだ。そして子供が日々成長しているのをふとした拍子に確認するとき、普段買い込む食料品が、子供たちの血肉になっていることを実感する。


 最近フィリピン人の妻は、体重が減らないと嘆く。以前は少し体が重くなると、減量のため体操などでそれなりに効果を上げていたのだが、今は体重を一キロ減らすのにも苦労しているようだ。普段買い込む食料は名実共に彼女の血肉にもなっているということで、若いと思っていた彼女も歳を取り、新陳代謝が衰えてきたのかもしれない。


 こうした家族の食べっぷりを見ていると、歳を取った自分も、まだ気が抜けないとしみじみ思うのだけれど、お金がかかるのは食料品だけではない。今年に入って九歳の娘にパソコンを買い、五歳の息子には携帯を買い、そして十五歳の長女の誕生日にプレゼントは何がいいかと尋ねるとパソコンと言われ、それも先週購入した。パソコン売り場でどんなものを買うか物色している最中、五歳の息子が展示しているパソコンを懸命に操作し遊ぶのを見ていると、あと一年か二年もしたら、このボーイにもパソコンを買う羽目になりそうだと思い、そんな物品に随分と金がかかるようになってきたことに気付く。


 そうなってくると、もはや自分の欲しいものはほとんど買えない。普段文章を書くための小さなラップトップが欲しいと思いながら、それが買えない。文章を書く専用として低性能の安物で十分だけれど、その安物が買えないのだ。ラップトップが無理なら、せめて自分も三番目の息子が使っているようなフルディスプレイでメモリの大きな携帯が欲しいと思いながら、次々と家族に必要な物を買う日々が続く。


 最近HUAWEIが出したP30PROなる携帯のカメラ性能は目を見張るものがあるけれど、今は妻がそんな製品に刺激され、新しい携帯を欲しくなっているようだ。そのせいで彼女は、外へ出かけた際にはいつも、半ば購入するような勢いで家電売り場の携帯をチェックしている。そうなると、自分にお鉢が回ってくるのはいつのことになるやらさっぱり見当がつかない。


 仕方ないから僕はブルートゥースキーボードを買い、それを手持ちの携帯に繋いで、まさに今この文章を書きながら、随分文章を打つ効率が上がったと喜んでいる。こういった周辺機器は圧倒的に中国製が多く、価格は驚くほど安い。安い中でもタッチパッドのない一番安いものを選び、それを更にディスカウント交渉して買った。結果、購入したキーボードは千五百円を切って、通信販売の安物を下回る価格になった。今や携帯の性能はパソコンのようなものだから、単に文章を打つだけならこのような方法で十分かもしれない。なのでしばらくラップトップは諦めて、自分の欲しい物リストのトップは密かに、安くて高性能な携帯となっている。(最近安い携帯でも、有機LEDを使用しているものが出回り始めている。この手のディスプレイを使う携帯は色や解像度がとてもよい。メモリの大きさもSSDのウルトラノート並みで、それでいて価格は三万を切る程度だから、携帯が一体どこまで進化するのか興味深い)


 さて、我が生活の一端を披露したが、ここでこうやって生活していると、こんな風に色々なものを消費することになる。こうして消費しているのは自分だけではなく、周囲の人たちもこぞって買い物を楽しんでいる。


 日本の企業は、作るものがない、売るものがないと商品企画をうまく作り切れていないように言うけれど、実際に商品は市場に溢れ、こうして刻々と消費されている。


 ここで悲しく重要なのは、日本製でなければ嫌だ、なんてことを誰も言わなくなったことだ。今はパソコンでさえ、中国製の得体の知れない安物がたくさん売られている。とても薄く、デザインが随分洗練され、超安物に見えない超安物だ。そして自分は、そんな安物をお試しで使ってみることに全く抵抗がない。それほど価格が安いのだ。そうなら壊れても、やっぱりかと諦めがつく。真剣に購入店へ文句を言おうなどとも思わない。もし幸運にも、保証で新品と交換してくれたら問題ない。日本のメーカー品だって、壊れるときには壊れる。


 気が付けば東南アジアのパソコン市場では、ACERとかASUSとか、そんなメーカーがしっかり根を張っている。我が家も真ん中の娘に買ったパソコンはACERで、値段はそれほど安くなくなったけれど、値段相応に良いものとなっている。


 先日ショップで、イギリス人がHUAWEIのノートPCが欲しいと店員に話しているところへ出くわしたが、それは人気で品切れだと断られていた。HUAWEIはPCの老舗でないが、既に市場の評価を獲得している。


 故障は無料で修理、あるいは交換してくれるという保証があれば、日本製でなくとも何の抵抗もなく購入できるのだ。自分はそんなマインドを持つまでやや時間を要したけれど、こちらの人のマインドとは大体そのようなものだ。


 すると、日本の異常に細かい品質へのこだわりが足枷となり、日本企業は大きな市場をみすみす逃しているように見えてくる。


 品質とは材料費がかからず無料だと誤解されるが、実はとても経費がかかるものなのだ。それが売価にしっかり反映される。


 気付けば中国は、安さだけではなく、技術力も相当に上がっている。アメリカが、中国企業であるHUAWEIを排除しようと躍起になりながら中々それがうまくいかないのは、HUAWEIの技術力が市場から簡単に排除できないほど高いものになっているからだ。事実P30PROのような、既存携帯では最高水準と思われる製品を出してくる。HUAWEIは通信基地用機器という産業機器のみならず、民生品でも業界をリードする存在になりつつある。


 ここにきて日本の携帯ではSONYが奮起しているようだけれど、今や東南アジア市場はHUAWEI、サムソン、VIVO、OPPOが激しい競走を繰り広げ、凄まじいスピードで新製品を投入している。


 そこにSONYの携帯がどこまで食い込めるのか。


 日本企業は技術力では問題ないはずだけれど、商売根性というか、厚かましいほどの競争精神というか、何かその辺に物足りなさを感じてしまう。そして意思決定が致命的なほど遅い。


 地元の販売店はそんなメーカーと心中したくはないから、スピード感があり競争力のあるブランドに力を入れる。あと一年もすれば、アップルでさえ競争力を失いそうな雰囲気が漂い始めているのだ。期待感のないブランドは、加速度的に淘汰される。


 サムソンは意外にしぶとい。他社がハイスペック製品の安い商品を投入し始めると、途端にコストパフォーマンスの高い安物を出してくる。ディスプレイもカメラも、突出こそしないが、他社の同価格帯では搭載されない高性能デバイスをさり気なく載せ始めている。ブランド力に頼る高価格を設定し続けてきたサムソンは、ミドルレンジやローレンジで、いつの間にかお買い得な携帯メーカーになっているのだ。もちろんHUAWEIのP30PROは素晴らしいが、実際の購入を考慮した価格レンジで真剣に調べると、そんな実態が見えてくる。OPPOは直近で見ればVIVOに押され気味で、キャッチフレーズが先行する熟成し切らない製品を投入し始めている。取り敢えずその場しのぎという感じで、そういったなりふり構わぬ競争が一般消費者にも見えるのが、昨今の携帯業界だ。しかしそこに、日本のメーカーは影すら見えない。


 携帯を例に取り色々と申し上げたが、日本のメーカーは他の分野でも足踏みしているのではないだろうか。辛うじてパソコンでNECや富士通が頑張ってはいるが、それ以外の日本メーカーは存在感が希薄になっている。SONYの液晶テレビは相変わらず素晴らしい画質を提供しているが、一般消費者の素人に、その技術力がどこまで理解されているのか怪しい。もし理解されないとしたら、自己満足で終わってしまう。ちなみに中々よいパソコンを出しているNECは、売り上げ減少にもがいてハードメーカーからソリューションメーカーへと舵を切ろうとしている。


 日本のカメラ業界も、携帯カメラの躍進に影響を受け、苦しみながら最近ようやく消費者へ訴える製品を出し始めている。しかしハードにある程度見切りを付け出している富士フィルムは、画像ビジネスにおいてクラウドサービスでのビジネス展開を模索しているようだ。


 日本は少子高齢化や人口減少で国内需要は期待できず、企業の商品企画力や開発力も減退。投資には慎重過ぎて身動きが取りにくい。こうなってくると、日本企業には二重苦三重苦となる。しかし何もしなければ、座して死を待つようなものだ。


 日本がこれからますます苦しくなるのは、内需が期待できないからだ。中国も激しい少子高齢化となり、しかもバブルが弾けて多額の不良債権を抱えていると言われている。しかし中国には大きな内需がある。かつての日本がオイルショックなど数々の苦難を乗り越えることができたのは、内需があったからだ。国内で商品を売り金を回せることは、経済効果としてとても重要なことなのだ。


 しかし今の日本は、この内需を期待できない。人口減少の弊害が大きく、これまで金を回す上で一番大きな役割を担ってきた住宅融資の契約件数は、今の低金利状況下でさえ下がり始めている。国内の賃貸アパート空き室率は緩やかに上昇し、車の国内販売台数は1990年の約八百万台をピークに、2017年は五百万台をやや超える程度まで落ち込んだ。


 国内需要を望めないとすれば、日本企業は海外へ打って出るしか生き残る道はなく、世界の競合に真っ向から勝負を挑むつもりで海外進出、海外販売、輸出を強化しなければならないはずだが、今の体質で果たしてどこまで頑張れるのか疑問だ。現時点で日本のメーカーは、東南アジアでまるで競争力がないのが現実だからだ。前述したように中国メーカーは、東南アジアで足場を固め世界進出を果たしている。


 僕がこのように日本の近未来を考えるのは、子供がいるためだ。日本のパスポートを持つ子供が大人になったとき、日本は一体どうなっているのだろうかと考えると、不安という大袈裟な感情はないものの、少々暗澹たる心境に至る。フィリピン人である妻は、まだ子供に日本の教育を受けさせたいという希望を持っているようだけれど、果たしてそれがいいのかも分からなくなっている。日本の教育を受け、その流れで日本社会に埋もれることが、果たして子供にとって幸せなことなのか疑問を持っているからだ。


 神経ばかりを使い、人生の最優先事項が仕事だという雰囲気を引きずりながら、それだけ苦労しても世界の中でダイナミックに活動できない日本。日本人の潜在能力はまだまだ高いということも、もはや過去の栄光にしがみつく独りよがりにしか聞こえないことも多くなった。


 反面海外の人たちは、もっと自由にのびのびと人生を謳歌している。長期休暇を利用したバカンス旅行は当たり前だし、週末は家族や友人と集い、屋外で手持ち弁当を食べながらリラックスする。それが正解というわけではなく、何でもよいから、それが自分にとって大切なことだという価値観を確立することが大切ではないだろうか。それがなければ、納得感も満足感もない人生になってしまう。因みに僕は、自分の欲しい物を買えない今の生活に、幸せを感じ十分満足している。


 今の日本はどうだろうか。いつの間にか自分の価値観が社会環境に押し潰され、幸福感を見失いやすい社会になってはいないだろうか。


 もっとも、親が普段からきちんとした背中を子供に見せていれば、子供はどこで暮らそうが自分を見失うことは少ないかもしれないが。

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