血の契約――吸血鬼ハーフの少年は白い狼とともに復讐を決意します。
三坂弥生
プロローグ――共食いハンター「ヴァン・オリエンタ」
その世界、その時代。
海上に陸地は存在せず、大陸も島々も、皆等しく宙に浮いていた。
かつて、神々が争った結果に起こった天変地異。一続きだった陸が割れ、天に昇った。なにを悪い冗談を、と現在の人類は語る。
しかし、それらは紛うことなき史実であり、まして現在国家間を飛空挺が飛び交っている事実を見れば、否定できようはずもなかった。 ――――そんな、時代。
とある大陸に位置する島国、空を隔てて北との小競り合いが続く国カローラでは、軍にとある部署が新設された。それは、吸血鬼を専門とする部署。
◇◇◇
松明の明かりが背後へ遠ざかっていくのを感じながら、二人の子供が林道を疾駆していた。
額に汗を浮かべ、息を切らしながら。ひたすらに木々の間を駆け抜ける。
音もなく、目に見えぬ速度で足を動かす二人。
事実、人間を振り切るなど造作もない。だがしかし、相手が同族だったのならば話は別だ。
前だけを向いて走るのは左の少女。対して右側を走っていた少年は何度か背後を振り返る。
ギリギリ見える距離。白色の狼に乗って追いかけてくる少年が見えた。彼はそう、吸血鬼だ。いや、それでは少し語弊があるだろう。彼は本当の意味で吸血鬼ではない。しかしながら、それが人間でもありえない。
まあつまるところ、非常に稀であるが――ハーフだった。吸血鬼と人間の、だ。
純白の狼、見たことなどないが雰囲気で分かる。近づくだけでも相当量の気力を必要とするあれはつまり、自分たちにとっての天敵だろう。それにまたがり、あろうことか一緒に仕事をしている時点でおかしいと気付く。
それもまた、彼がハーフであるが故にできることだ。
しかし、少年たちにそんなことを考えている暇はない。今はとにかく、逃げなくてはならなかった。
なぜなら、それが隠れ潜む他の吸血鬼を助けることになるから。
そう、自分たちは囮なのだ。
今朝方、情報があった。軍が自分たちの居場所をつきとめたと。集団生活をしていた少年たちはすぐさま会議を行った。子供から大人まで。男女構わず全員参加の会議だ。
それはつまり、犠牲者を決定する会議にすぎなかった。
逃げる方法や、対抗する方法などない。軍がその気になれば、追跡など容易。だからこその、
そちらに注意を向けている間に、証拠を消しつつ逃げる。その性質上、一目散にスピード重視で、というのは不可能だ。
そんなことをすれば、簡単に見つかって追いつかれる。先回りくらい、容易に可能だろう。
だからこその、囮なわけだ。
そして今回は、運悪くも、少女に決まった。
そこに、無理矢理こじつけて――ほとんど衝動的に――少年が「俺も行く」と叫んだのだ。理由は、もうお察しだろう。男が女と一緒に死のうとする理由など、一つしかない。
黒いローブを羽織り、フードを被った彼の顔を見ることは叶わない。だが、少年らには彼のことが分かる。あれが誰だかは、もう既に知っている。
視線を前方へと戻した少年。一気に盛り上がる地面が視界に入り、二人は慌てて制動をかける。
地面を割って現れたのは、人骨。その数三人分だ。あえて呼称するなら、スケルトン。見たままの人骨。唯一、右腕の上腕から手首(ただし肉はない)にかけて黒い文様が浮かび上がっている。
文様――古代の文字が羅列してあるものだ。意味はあるが、現在ではほとんど解読できる者はいなかった。
あれは魂なき化け物だ。しかし、この場合は自分たちの敵になる。なぜか? そう、これを操っているのが間違いなく彼だからだ。人間とのハーフ、ダンピールにして、自分たち吸血鬼を狩る吸血鬼ハンター。名前を、ヴァン・オリエンタ。
走ることをやめ、申しわけ程度に戦闘態勢に入る二人。そこへ背後から、声がかかった。
「ふう……おいお前ら。ここで終いだ」
振り返らずとも、白狼の気配が物語っている。死ぬぞ、と。強気に、彼に背を向けたまま少年は言い返す。
「ふざけんなよ。なんで俺らがここで死ななきゃならねえんだよ」
眼前のスケルトンは静止したままだった。
囮なのだから、死にたくないというのは演技である。そう、演技のはずなのである。いや、演技でなければならないのである。
少女が、前を向いたまま震えを殺して口を開いた。
「私たちを片っ端から殺していって……あなたたちはそこまでして、吸血鬼を皆殺しにしたいの?」
少女の言葉は、ヴァンにというよりは、その背後にいる軍の部隊に向けて放たれたようだった。声は大きく、静寂に包まれた深夜の森では、はっきりと響いた。
二人、一緒に振り向く。ヴァンは既に白狼から下りていて、その背後数十メートルに松明の明かりが見える。これならば、軍隊には声が届いたはずだ。
対して、木々の隙間から差す月明かりは頼りなく、吸血鬼や狼の目でなくては何も見えないだろう。 若干ではあるが、ヴァンも視界が悪い。ダンピールは吸血鬼の一種だから、見えないというわけではないが……
「ああ……それは、俺には……わからない話だ」
ヴァンのその返答は、どこか翳りを帯びていた。
重く固まった空気が三人の間を通り過ぎていく。
ヴァンも少年たちも、すぐには行動しなかった。いや、少年たちに関しては行動しようにもできなかった。
間もなくして、ヴァンの背後を暖かい光が照らした。軍の対吸血鬼部隊である。重たそうな鎧を身につけた者の他、聖書を持つ聖職者然とした者もいる。
「さて……もう打つ手もないだろう? おとなしく、ここで死んでくれ」
努めて正面の二人の顔を見ないようにしながら、ヴァンは拳を握りしめる。
「くそッ!!」
少年が叫び、スケルトンを蹴り飛ばした。軽い骨の塊は簡単に崩れ、地面に転がる。
ヴァンは元より、アレは壁程度にしか使うつもりがなかった。この時点で、操作権を放棄。
蹴り飛ばした一体はもちろん、その両側のスケルトンも壊れた操り人形よろしく地面に落ちた。
道は開いた。しかし逃げるという選択を、二人はしなかった。もとより、ここで死ぬつもり。そもそも、出来るはずもない。
ならばせめて、と。
踵を返しヴァンへと向き直る。
腰を落とし、四肢に神経を集中。一瞬にして、昏いオーラが二人を包む。これが、吸血鬼が戦闘態勢に入る時の典型的特徴であった。ヴァンの後ろ、大勢の軍人がざわめく。中には弓を構え、矢筒から矢を抜こうとする者もいたが、片手でヴァンはそれを静した。
少年少女二人の視線がヴァンを捕らえて、交差する。
彼の傍らにたたずむ白狼は、まるで動く気配がない。それとは対照的に、ヴァンが消えた。
少なくとも、二人にはそう見えた。
「死者すらまともに操れない下っ端が」
ヴァンのその声には、どことない怒りが感じられた。それが何を意味するのか……それはまだ知るべきではない。
気付けば、オーラに覆われたヴァンが――黒塗りのナイフを構えて――ゼロ距離まで迫っていた。
左手で少女の首を掴み、右手のナイフが少年の首元にあてがわれている。その一瞬で、幼き二名の死が決定された。
死に直面した極限状態で、まだ年端もいかない少年は精一杯の敬意を込めて、向こうの兵士たちに聞こえないよう、小さな声で呟く。
「ありがとうございました」 ――――と。
ヴァンの胸がぎしりと軋む。そんな音が聞こえた気がした。
「すまない」
ぽつり呟いた言葉。そのあまりの重さに、二人はゆっくりと目を瞑った。
あえて派手に、背後の部隊に見えるように、盛大に。
ナイフが首の皮膚を突き破り、柔らかな肉を引き裂く。手にかかる生暖かい液体。左手にもまた、力を込める。生々しい感触。
爪が皮膚にめり込んで、プシュリと気味の悪い音を立てた。
叫びたい。そう思ったのはヴァンだ。そうでもしなければ、狂ってしまいそうだった。
同族を、吸血鬼を殺すのはこれがはじめてだった。気分は、わるかった。
この幼き二人は、名も知らぬ子供は、仲間のために犠牲になるのだ。
味方だと
それなのに、それなのに、お礼など……言わないでくれないか。
言わないで、くれないか……
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