Villains

@HighTaka

エピソード1 引きこもりの魔法使い

 夏の寒い年だった。

 飢えた小鬼の一部族が山中の坑道から追われ、人里の近くにまで下りてきた。そこには彼らの見た事ない作物の植えられた畑があり、家禽や家畜がまどろみ、そして大人よりずっとくみしやすい子供たちの姿があった。

 最初、小鬼たちは最大の警戒心で作物をもぎ、家禽を盗み、今は誰も使っていない貴族の別荘とその地下室で飢えを満たし、どこかもっと安全なところに移動しようとしていた。しかし、楽々と腹を満たせた成功体験がここにとどまりたがる多数派と警戒心の強い少数派にわかれ、少数派はついに放逐された。

 そうなると意見するものはもういない。多数派は痕跡を隠すのもだんだん雑になり、とうとうそれさえやらなくなった。家禽や家畜は持って行けるだけもっていき、子供も何人か食用としてさらわれた。村のものたちは領主に訴え、領主は騎士一名に専門家一チームを雇用させ、派遣した。


 若き農夫は悩んでいた。畑は荒らされ、少ない家禽はあろうことか村の者に盗まれ、両親は妹たちを売る相談をしている。飢え死にするより食事の心配だけはない苦界のほうがましなのだろうが、自分はこの村で土地と財産を守らなければならない。やっていけるのだろうか。娘を売るつもりの両親はのんきに彼の嫁取りの話もしている。娘を売った金の一部を代金にする算段のようだ。

 すべては夏の寒さが悪い。作柄がよくないのに、山奥で獣やどんぐりを取って食べていた小鬼の一団がおりてきた。領主に税金を免じる気はない。それでも保護の義務はあるので、若い騎士に冒険者と呼ばれる魔物狩りのプロを数人雇わせてよこした。

 農夫の悩みは深い。騎士は比率で支払う税額があまりに少なくなりそうなことに愕然としている。だが、その少ない税でもおさめてしまうと、子供を売り、働けなくなった年寄りを捨ててもなお餓死の危険が残る。

 村長は何か考えているのではないか、そんな意見もある。この村は圧政を逃れた祖父母が先代の領主に保護されてできたという。村長のところにいた食客の姿が見えないのは、食い扶持がなくなって追い払ったのだと噂されているが、彼らのうち二人は武器の扱いがうまく、残り一人は村にくる商人との交渉を有利にすすめる弁舌があった。彼らは村長に何かの使命を与えられて出かけているのではないかというのだ。

 逃げるとなると、騎士は何人殺してでも止めようとするだろう。ふりきっても途中の犠牲は覚悟する必要がある。なんにせよきつい。若者は憂鬱だった。

 だからといって、野盗になるのも、傭兵になるのも向かない。村の若者三人で小鬼二匹に苦戦し、結局軽い手傷を負わされて逃げられてしまったのだ。こんな人間がそういう世界に入ってそうそう長く生き延びることができるとは思えない。いっそ死んでしまったほうが楽かもしれないが、たとえこの人生に未練がなくても彼にはそうしたくない理由があった。

 ぽーんと彼にだけ聞こえる音。農夫はいやそうな顔になる。これを聞くのは二回目だが、自分が何者でどうしてここにいるかを重いしらされれる。

 空中を指先でたたくとメッセージが表示された。これも他の者には見えない。見えても読める文字ではないだろう。彼自身、ここで使われる文字は読めないようなものだ、

 初めての服役囚が近くにいるので、基本的なことを教えてやってくれ、とある。やれば一日減刑されるらしい。とんでもないやつでなければいいのだが、そう思いながら若者は指示された家に向かった。確かせまい農地を親一人、子一人で切り回している家だ。

 村の広場を横切ると、人だかりができていた。魔物狩りが戦果を積み上げているらしい。小鬼の案外できのいい小ぶりの武器、取り返した家畜、そして小鬼の死体三つ。プロの一人はプロらしからぬ興奮を見せている。ある意味、彼は農夫と同様の人間なのだろう。だが、農夫が彼に話しかけてもその耳には村人一の決まりきった台詞にしか聞こえず、彼が農夫に話しかけてもこれまたテンプレートの発言しか聞こえない。そういう壁があった。

 目的の家にいくと、その家の息子が野良着で呆然とたたずんでいた。

「よお、新入り」

 声をかけると汚れた顔が農夫を見る。

「あんたは? 」

「先輩服役囚様だ。看守様の指示であんたに基本的なことを伝えにきた」

「サポートシステムとか、特典NPCとかいないのか」

「そういうのは広場にいる冒険者様のものだ。俺たちはモブだよ」

「モブ」

「ステータスは念じれば見れるから確かめてみな。読み上げなくてもいいぜ。10前後のはずだ」

「ああ」

「つまり、一般人だ。野盗になっても冒険者になってもいいけど、一般人だからとことん雑魚だぞ」

「スキルは? 」

「俺とかあんただと農業関係だな。武器のスキルとかは訓練すれば身に付くががんばってもせいぜい2だ。お客さんの場合の上限を聞く気はあるかい? 」

「いや、いい」

 新参者は崩れ落ちんばかりだった。

「長生きできそうにないけど、死んだらどうなるんだ? 」

「別の誰かになるだけだ。あと、死ぬときはいくらか和らげられてるらしいがやっぱり痛かったり苦しかったりするぞ。死んでリセットマラソンとか考えないほうがいい」

「あんたもこっちで死んだのか」

「ああ、思い出したくもないね」

 あと一つ教えておかなければならないものがある。

「それより、プロフィールってボタンがでてるはずだから押してみてくれ。視線でいいぞ」

「あった。なんかたくさんでてきたな」

「そいつは元々のそいつの記憶するそいつの人生だ。全部読むには量があるから色のついているとこだけ見ればいい。それでおまえさんの中身が変わったことに気付く家族はいない」

「なんかそれ後ろめたいな」

「そんなの無視して好きにふるまってもいい。そういうのをここの住人は悪霊がついたと表現している。間違ってはいないと思う」

「はは、確かに」

「伝えることは以上だ。あとは自分で考えてくれ」

「ああ、ここが地獄らしいってことはわかった」

「あと一つ忘れてた。ときどきシステム側からミッションがくることがある。俺が説明にきたのもそれだ。それをやると簡単なものなら一日程度刑期が削られる」

「なるほどね。ただの親切じゃないんだ」

「そうゆうこと。同じ村にいるけど、あんまり俺に頼らないでくれ」

「なんで? 」

「だってさ、俺たちってこんなとこにぶちこまれるろくでなしばかりじゃないか。何回かえらいめにあったから、刑期の残りはなるべくひっそりやり過ごすことにしたんだ」

「そうか。できるだけ関わらないことにするよ」

「ありがとう」

 一見二人の若者はそこで手をふってわかれた。農夫がふりかえると、新参者は今の自分のプロフィールを見ているようであった。

 荒らされた畑を片付けて家に戻ると、小鬼退治のため勢子として参加させられることになっていた。一軒一人、鳴りものを鳴らし、脅しの武器を構えてすすめばいいらしい。参加拒否は懲罰、参加者は救済のために王墓建設工事に一年やとってくれるとか。ことわる手はない。

「でも、小鬼相手にそれで通用するかな」

 その予感は当たった。農夫の受け持った方面は小鬼たちの組織的な反撃を受け、彼はかろうじて命は保ったものの、村人二人が殺され彼を含む三人が重軽傷を負わされるという結果になった。食い破った包囲から小鬼たちは隣村方面へと遁走する。どうも、彼らも逃げる算段をしていたらしい。

「こうしてはおられん。追うぞ」

 任務の失敗を恐れる騎士はケガ人だらけの村人を捨てて雇った冒険者たちとともに小鬼を追いかけて行ってしまった。

「あの、雇っていただける約束は? 」

「取り逃がしておいてあるはずがなかろう」

 騎士の乱暴な言葉に村長の目に怒りが宿ったが、功をあせる騎士がそれに気付くことはなかった。

「もう耐えられねぇ」

 村長は村人たちに向かってそう言った。

「あれ、やるぞ」

 彼にとって最悪の展開になった。

 足を怪我したケガ人は連れて行けない。該当者は二名いた。あの新参ともう一人別の村の若者だ。

 この二人には護身用の武器、持ちきれない食料、水瓶いっぱいの水を用意し、小鬼が拠点にしていた別荘からそう離れていない山小屋に身を隠してもらうことになった。

「おいていくのか」

 新参は不安で仕方ない様子で農夫にすがるような目を向けた。

「足、痛いだろう。それでみんなに遅れずに歩けないならここで回復を待ったほうがいい。山の中で落伍したら獣の餌だ」

「あのモンスターが戻ってきたらどうなる? 」

「山道にも別のやつがでるかもな。もしかするとあんたのほうが運がよかったなんてこともある。まぁ結果が出るまでわからんさ」

「人ごとだと思って」

 怒るその顔を農夫は静かに見つめた。

「人ごとに首突っ込む余裕なんかどこにもないんだよ。俺にも、あんたにも」

 新参は絶望の表情を消した。

「そうか、娑婆と一緒だな」

「そういうこと。そうだ、餞別に一つ教えてあげよう」

「何を? 」

 農夫はコップ一杯の水を浄化し、薪一本に火をつけてみせた。

「たぶんどっちも役に立つ。練習が必要だが、今からいうことを毎日繰り返してるとできるようになる。俺は五日でできた。初めてなら十日くらいかな」

「どこで覚えたんだ? 」

「一つ前の人生さ。女魔法使いの愛人やっててね」

「スキルをもっていけるのかい? 」

「いやいやそれは無理だが、身につけ方を覚えていれば習得しなおすことはできる。魔法書があればもう少しだけ身につけられるんだが、ありゃそのへんにあるものじゃないし」

「待ってくれよ」

 新参はごそごそと荷物を漁った。

「これ、もしかしてそうかな」

 出してきたのは一冊の本。農夫はこの人生では文盲なのでこの文字は読めないが形は覚えていた。

「そうだ。なんでこんなものがここに? 」

「わからない。かなり古いので、盗んだのか置いて行ったものなのかさっぱりだ。餞別にこれやるよ」

「貴重なものだぞ」

「俺がもってても仕方ない」

 受け取らない事は難しいといえた。農夫はそれを懐にいれた。

「わかった。達者でな」

 こうして農夫は魔法書を手に入れた。

 

 一年が経過した。

 新しい村の建物はまだ全部完成していないし、農地も割当の半分くらいまでしか再開墾が進んでいない。それでも前の村より多めの面積を農夫は面倒を見ていた。

 冬を越えられずに村の老人はほとんどが死んだ。子供たちもかなり犠牲になった。農夫の家からも妹二人の姿が消えた。売られて行方がわからなくなったのは器量のいいほうで、それほどでもないほうは村の別の家に嫁として送られた。交換に農夫に嫁がきた。こちらは比較的器量のいい娘で、少々とろいことを除けば働き者で農夫の両親も喜んでいた。半年後には子供も生まれるだろう

 この妻を通じていくつか彼は発見をしていた。

 プレイヤーと彼らの間には言葉は通じないし、スキルの制限もまるで違う。だが、共通していることもいくつかあり、それは服役囚でも入手できるということだ。だからといって彼らに正面きって対抗できるべくもないのではあるが。

 驚いたのは夜の生活である。ゲームの男に都合のよい女の要素が彼女には備わっていた。明らかにプレイヤーのお楽しみ用であろう。再生タンクにつけ込まれすべての感覚をこちらに預けている彼らとちがってプレイヤーのそれは疑似的なもので弱いらしい。多少演出過剰なところもあった。彼の知る女は前の人生の愛人だけだがそれとほぼ同じであることが確信となった。

 それほど長くではなかったが、彼を兄とよんでしたってくれた少女二人にも同じ仕組が入っているのかと思うと、農夫は複雑だった。彼女たちがロールプレイをしているだけの人口知能であることは知っているが、それでも情をもつなというのは難しい。

 この一年の間に彼は文盲ではなくなっていた。スキルは1だが、読み書きが身に付いている。方法は自分でも知ってる着火と水浄化の呪文、それに悪用可能なので新参には教えなかったが夜目の魔法のところを意味、共通する文字を拾い上げ、まずは文字を覚えたのである。

 時間は寝る前に夜目のきれる二時間だけ。書き付ける紙などないので板に手製の筆でかきつける。念のため、日本語でかいたのでこっちの人間には読めないだろう。

 習得した魔法は前の人生で便利に使っていた物理エンジン干渉系。重力を切る、わずかな慣性を与える。摩擦係数をなくす。要するにもの運びに便利なものだ。これらの魔法くらいしか服役囚のスキルで使えそうなものはない。ランク2の炎の矢とかも出せるが、正直、そんなしょぼい攻撃魔法を使うくらいならもっと消耗の少ない矢作りの魔法で普通に弓を使ったほうがましだといわれている。

 そんなレベルの魔法でも一般人相手なら十分脅威になる。徒党を組んだ服役囚が盗賊団を結成し、しばらくあばれた末に討伐されることもあった。

 農夫は覚えた魔法を開墾に用いていた。割当個所は半分の時間で普通の一日分を開墾し、森の奥の盆地に秘密の畑を拓いたのだ。そこで作るものは商品価値はあっても食べるのには適さないものにした。香辛料や薬草類、麻である。

 あの新参は結局おいついてこなかった。運悪く力つきたのか、回復後、違うところへ幸運を探しにいったのか、それはわからない。農夫はあまり気にしなかった。

 心配された魔物の気配はなく、村の再建は順調だった。ずいぶん昔にここを捨ててあそこに逃げたときには当時の領主と何らかの軋轢があったはずだ。今後もないとどうしていえよう。村人は一抹の不安をかかえていた。

 そんなある日、農夫は不意に袖をひっぱられた。振り向くと、背も縮み、腰もまがったかなり高齢の老人が見上げている。よくあの山道を越え、冬を乗り越えたものだ。

「孫と最後におうとったのはお主じゃろう」

 あの新参のことだった。頼み事があると老人は言う。

「あの子は死んだものとあきらめることにした。ついては形見の品を先祖の墓にもっていってくれんかの。このとおり、お願いじゃ」

 明日をも知れぬ老人がぷるぷる拝み頼んでくるものだから農夫も断るわけにはいかなかった。

 形見は子供のころに遊んだ人形。届ける先は農夫の秘密の畑よりもう少し奥まったところだった。老人が自分か家族に行かせたら発見されたかもしれないと、彼はひやひやした。

「古い祠だが、大魔法使いだったご先祖の魔力で奇麗に維持されてるはずじゃ。そこに置いてきてくれればええ。わしにはわかるし、あんたにもええことがあるぞ」

 農夫は信じていなかったが、魔法使いの祠ということで興味をもった。

「置いてくるだけでいいんだね」

「うむ。ただ、祠の中には入らんように。ご先祖が守護者をおいてるから命がいくつあってもたらないぞ」

(隠しダンジョンとかなのかな)

 農夫の中の人物は思った。

 わかった、といった彼は翌日早速行ってみた。遠目にはまるで見えなかったのはやはり魔法なのだろうか。近づけば不意にその祠は現れた。露頭を削ってつくった磨崖寺院でかなり立派なものだ。扉はなく、内陣にはいるとひんやりした中にぽつんと祭壇がある。それ以外にあるものといえば、両側にならんだ丈二メートル越えの石像四つと、奥があるらしい三メートル四方の扉。

「あの扉をあけようとすると、この石像が動くのかな」

 確信に近い予感があって、彼はあずかった人形を祭壇において立ち去った。

「いいことってなんだろうね」

 その夜、いつもの魔法書の勉強をやろうとしたときにそれはわかった。

「字が、読める」

 それまでの努力で、半分くらいは拾えるようになっていた。それが完全に読めるのだ。しかも魔法の教師に教わらないとわからない魔術語まで。

 確かめると、読み書きのスキルは6、これに古代語2、魔術語3がついていた。

「ボーナスイベントだ」

 これも共通要素だったのか、と農夫は驚いた。読み書きが6にもなったおかげで、これまで畑仕事4が最上位で称号も農夫だったのが、今は書記に変わっている。

 そう、これから彼は書記だ。

 それからさらに半年がたった。男の子が生まれ、書記の一家は喜びにつつまれた。畑の開墾は終わったし、妻もしばらく休んでからは赤子を背負って畑に出るようになった。

 魔法の習得も進んだ。物理演算に干渉する魔法の次に彼が手をつけたのが、短時間ゴーレムを呼び出して使役する魔法である。彼の魔法スキルは3に達していたが、それ以上の伸びは期待できなかった。3で使える魔法でも普通の者には脅威であるがプレイヤー、あるいは高レベルのNPCにはかなわない。彼は隠し畑の作業を行わせるために覚えることにしたのだ。

 順風満帆であった。妻は単調なところはあるが、男の夢がつまったような愛らしさをもち、ほどなく二人目を懐妊した。

 好事魔多しという。このまま穏やかにこの人生を楽しみながら刑期を終えられるかと思った矢先、それは起こった。

 そのとき、書記は隠し畑にいた。仕事はゴーレムがやっている。その時は新しい作業をやらせていたので、間違えたら教え直すためにいつもより時間をかけて見ていた。見ながら彼は魔法書のページをめくっていた。

 妙だな、とふと思って村のあるほうを見ると、薄く黒い煙が広がっている。

「火事だ」

 火事のときに消火にかけつけないと面白くないことしか起こらない。書記は魔法書を懐になげこむと村へと急いだ。

 異常を感じたのは自分の畑に通じる踏みわけ道をあと数メートル残すというところだった。

「なんだこれは」

 見慣れない武装した男たちが武器を手に二、三人走って行く。村の建物はどれもこれも火が放たれている。よく見るとあちこちに倒れた人もいる。

「野盗」

 そう思えば、先ほどの男たちはいかにもそんな感じに思えた。家族のことを思い出して書記は駆け出しそうになったが、恐ろしく冷静で、そして臆病な彼自身がもう手遅れであることを確信させていた。

 野盗たちは村の広場に集合したようである。村長がつかう壇に誰か立ったのを書記は見た。

「あいつは、」

 いかにも山賊風の毛皮のコートをひっかけているが、遠目にもわかる癖と特徴ですぐに分かった。

「あのときの騎士か」

 何か演説かんなにかをしているが遠くてよく聞こえない。野盗たちがげらげら笑っているのは聞こえる。

 書記は彼らが去るのを息を殺して待った。待つしかできなかった。本来彼は慎重で臆病で、そのくせのめり込むたちの人間である。今ここにいるのもそのせいだ。無力な人間にできることといえば、よけいなことはせず運を信じて身をひそめること。つまり、運が悪ければおしまいということだ。

 ゴーレム作成を覚えたときに土の操作を覚えて畦の修理などに活用していたのが幸いした。

 書記は周辺を木や下生えごともりあげてせまい土塁を作った。不審に思って近づいて、のぼって覗き込まれるまではばれないだろう。

 野盗たちは生き残りを探したり奪えるものはないか、焼け跡や燃え残った建物を物色したりしていたが、騎士から何か渡されると三々五々解散しはじめた。向かう方向はばらばらだ。

 その一グループがすぐ側を通った。息を殺す書記の耳に彼らの話し声が聞こえた。

「この後どうする? 」

「女抱きにいこうぜ。ここじゃそんなことさせてもらえなかったからな」

「旦那はなるべく早く、遠くに行けといってなかったか? 」

「なあに、ちょっと楽しむくらいなら大丈夫だよ」

 典型的すぎる悪党どもだ。

(この中に服役囚はいないようだな)

 息を殺す彼のわきを野盗たちは通りすぎていった。

 最後に残った騎士がひらりと馬にまたがり蹄の音高く立ち去っても書記は動かなかった。

 しばらくすると抜剣した騎士がそっと戻ってきて様子をうかがう。そして誰もいないと知ると、ちんと甲高い音を立てて剣をおさめた。立ち去るその後ろ姿からは鼻歌が聞こえてきた。

 ようやく、ようやく動き出した書記は村の惨状を確かめた。

 わかっていたことだが、生存者は一人もいなかった。彼の家からは両親らしい黒こげの遺体が二つ。妻は腹を割かれて苦痛に歪んだ顔で倒れていた。その側には顔が完全に歪むほど激しく叩き付けられて死んだ幼子の遺体がある。

 これは実感があっても現実ではない、彼らはそれらしくふるまっているだけの被造物である。書記は何度も自分にそう言いきかせた。

「なのに、なんだこれは」

 胸の内にぽっかりできた虚無に、彼は膝をついた。

 一晩呆然としてから、彼は隠し場所の非常食を食べ、後片付けに入った。ものを運ぶ魔法と土をあやつる魔法が役にたった。昼前には全員分の穴をほり、異臭がしはじめた遺体をおさめた。同居していた家族のほかに、嫁いだ妹の亡骸もあった。記憶にあるよりやつれ、手もひどくあれていた。婚家ではそれほど幸せではなかったのかもしれない。また、彼に遺品をおさめるよう依頼した新参の祖父と、新参の両親、弟の遺体もあった。ふと思うところがあって、書記は彼らの遺髪を少しきりとってふところにおさめる。

 これからどうするか。彼はその考えから逃げていた。村の中で刑期がおわるまで安穏と暮らすことはもうできない。着の身着のままに、隠し畑でいくばくか換金できそうな作物を回収していって、それでもあまり長くはもたないだろう。

 とりあえず、やろうとしたことを全部やることに決めた彼は墓所にふたたびむかった。

 祭壇に遺髪を並べ、彼らのご先祖に子孫が死に絶えたことを報告する。もしかするとまたなにかイベントがあるかもしれない。

 その通りだった。

 ふいに床の一部が沈んだかと思うと下に下りる階段が出現し、魔法の灯りがともった。

「はいっていいのかな? 」

 石像を見ると、それがうなずく。

(あ、やっぱり動くやつか)

 許可も出たので、書記は思い切って下りてみる事にした。

 石の棺桶とに朽ちた杖が置かれている。そこにぼうっと魔法使いの亡霊が現れた。敵として現れたら到底勝てない類の存在だ。

「礼をいう。我が子孫は絶えてしまった。そなた、わが養子となりわが力を引き継がぬか? 」

 亡霊の声は弱々しかった、

 書記に迷う理由はあっただろうか。これは分のよい賭けといえた。まずまちがいなくいいことが何かある。悪くても人生のやり直しだ。できればその場合は苦痛がないほうがいい。

「うけたまわります」

 了解すると、亡霊は杖にはまった小豆大の宝石をさした。

「これを飲め」

 胃に悪そうだ、とおもったが書記はためらわなかった。

 喉を固いものが通る感覚は不愉快であったが、それがだんだん熱くなり、異物感が消えると体の芯から力があふれてくる感がある。

「これでそなたには素質が備わった。研鑽せよ。さすれば偉大な魔法使いとなれよう」

 亡霊はそう言い残すとふっと消えた。

 自分のパラメータを確認した書記は驚いた。

 基礎能力値が底上げされている。上限ではないが、平均やや上の値。そして、魔術語のスキルが6にあがり、魔法のスキルが2あがって3になっていた。服役囚の限界を再び抜けたことになる。

 上にもどると、祭壇の遺髪は消えて二冊の本があった。スキル取得のための修行ノウハウ本が一つ、これは確かプレイヤー向けのチュートリアルだ。そしてもう一冊は魔法書だった。元々もっていたものと並べてみると、目の前で融合して新品のいかにも上級者むけにみえるものに変わる。

 彼は力の端緒を手にいれた。


 冒険者の一隊が滅びた村にやってきたのは一ヶ月ほどたってからだ。ここのところ、野盗の被害が多いときいて、何かおいしい話はないかと首を突っ込んできたのだ。荒らされた村はいくつもみたが、この時に見た村は比較にならない被害状況だった。

「こりゃあ、ひどいな」

 焼け跡だらけの村を見て戦士が兜をかいた。

「でも、だれか住んでるみたいよ」

 耕された畑を見て僧侶が指摘する。

「あそこの家じゃないかな」

 廃材を集めて作った小屋を指差して盗賊。

「行ってみようよ」

 魔術師はのんびり屋だった。

 彼らがそこに見つけたのは一人の村人。話をきくと、野盗に皆殺されてしまったのだという。

「行くところもないからな」

 青年農夫は紋切り型の口調だった。それが変換されたものだとは彼らは知るよしもない。

「ただ、下手人のリーダーには見覚えがある」

 あの騎士のことをいうと冒険者たちは色めきだった。

 ここは危ない、と冒険者たちは農夫に避難を進めたが、彼はかたくなだった。

「ここには女房も子供も眠っている。野盗に殺されることになっても、離れる気にはなれねえよ」

 冒険者たちはそれであきらめ、情報を胸に次の村に向かった。

 さて、その農夫、今は魔法使いは彼らに実際何をいっていたかというと、全然違うことだった。唯一それでも伝わったのはあの騎士のこと。それ以外は面倒くさそうに「俺は服役囚だからここでのんびりすごさせてもらうよ」といっているだけだった。もちろん相手と言葉が通じないのを承知でいっている。

 冒険者たちが十分遠くにいったと思うと彼は短い一言を唱えた。

 数体のクレイゴーレムがにょっきりおきあがると、畑の手入れを始めた。

 魔法使いはむしろを編みながら、魔法書を読む。魔法のスキルは7に達していた。かなり強力な魔法が使えるレベルである。それでもプレイヤーには10などざらにいるだろう。

 このスキルの高さはたくさんの魔法を覚えたせいではない。覚えようとすればできる。派手な爆裂魔法なんかも魔法書にはあった。だが、慎重な彼はその中では目くらましの呪文と放火程度の火の玉だけを覚えてあとは三つの分野にしぼりこんで理解を深めることにした。一つは物理エンジン干渉、一つは夜目の魔法の分野である知覚拡大、そしてゴーレム作成の分野である能動体支配。最後のものは極めれば人間を魅了させたりすることが可能だ。だが、彼がそれを身につけたのは魔物よけ、人払いのためである。畑にあまり近づかないように魔法をしかけるのが目的で、彼らを手下にしようというわけではない。

 なろうと思えば悪い魔法使いになって、刹那的に享楽の人生を歩むこともできたのだが、彼はこれを避けた。そんなことをしても先ほどの冒険者のような連中か、そうでなくても警備隊などに討たれるのがおちである。そこいらの一般人よりかなり強くなっても彼は臆病で慎重だった。

 こんな人物がなぜ服役囚になるような犯罪をおかしたかといえば、実のところ何もしてないのである。ただ、悪事を看過しただけ。不正は不正だが、なぜ何がなんでも告発しなければいけないかわからない。見ないふりをしたほうが自分も含めて幸福な人間が増える。それだけだった。

 それでも被害額累計が彼が思っているより桁が違っていたため有罪判決を受けてしまった。

 魔法を身につけたおかげでどこかのコミュニティに潜り込まなくてもやっていけそうになったのは助かった。

 さびしいか、といえばもちろんさびしい。しかし、仮想の世界でも我が子と妻を惨殺されるような目にあうのはもうごめんだった。


 人よけ、魔物よけはしていても、まねかざるものが入り込む事もある。

 半年ほどして、闖入者がやってきた。

 迷い込んできたのは、もう大半が討伐された野盗の残党二人だった。

 襲撃者の生き残りだったのだろう。身を隠す場所としてこの村をめざしていた彼らは、人よけの甲斐もなく確信とともに彼の警戒網に踏み込んできた。農作業を中断した魔法使いは彼らの進路に広めに魔法を用意する。穏便に話し合うという選択肢をとる気は彼にはなかった。数でまけているし、ゴーレムたちんは作業用で戦えない。それに、彼らの会話を聞き取ったところやはり村の襲撃者だとわかったからだ。

 察知されているどころか、剣呑な会話まで盗み聞きされてるとは思わない野盗二人組は彼の用意した魔法に踏み込んだ。発動させると彼らをとらえる重力が消えた。不意に足下がおぼつかなくなって驚くその足下からクレイゴーレムが立ち上がり、彼らを押し上げた。

「うわぁ」

 悲鳴をあげてじたばたするが、とどまりようもなく彼らは空中高くのぼっていく。

「また死ぬのかよ」

 一方がそう叫ぶのが聞こえた。服役囚らしい。だが、遠慮することはない。豆粒ほどになったところで重力を復活させ、落下予測地点に土の操作で穴をあける。そういうつもりで、畑にはいる手前に用意しておいたのだ。

 重いものが地面に激突する音、骨のくだけたらしい音が聞こえた。

 あまり気持ちのよい作業ではなかったが、その死体からいくつかの品物を回収して埋め戻し、ゴーレムに命じて地面を整地させた。

「これでよし」

 しかし、本当に厄介な相手が翌日やってきたのだ。この二人は追手がついていたらしい。

 ここの領主の騎士が兵士二名と雇った冒険者三名を連れて姿を現した。

 斥候らしい冒険者が先導するその集団が来るのはわかった。しかし、野盗と同じ対応はできない。それをやるなら領主と戦争になる。

「ここで足跡が絶えてます」

 斥候らしい冒険者が騎士に報告する。騎士は領主の腹心で、引退も近い老境の人物だった。

「ここは確か、戻りの村のはずだが」

 そのまなざしは鋭く、当然、崩れた古い焼け跡が点在するのを捉えている。人っこひとりいないのに、畑が良く手入れされていることも。

「誰ぞある? 」

 老騎士の声は張りがあってよく通った。よろよろとものかげから魔法使いが農夫そのものの格好ででてくる。まだ若い男だ。

「なんでございましょう」

「他の村人はどこか」

 魔法使いは村はずれの墓地のほうを指さした。

「一昨年、野盗の群れに襲われまして、おらを除いてみな殺されました」

 墓らしいもりあがりが多数並んでいるのを見て騎士は魔法使いを睨んだ。

「なぜすぐに助けを呼ばなんだ」

「野盗の跳梁はご存知であったはずです。必ず助けが来ると思って隠れて待っておりました」

 老騎士は言葉につまった。野盗の被害がではじめたとき、兵をやって様子を見させようといったのは彼で、まだ村の存在を兵たちに知らせるのはよくないと抑えたのがもう一人の腹心、商人あがりの家宰だった。領主は家宰の進言を支持した。祖父の時代に不満をもって逃げた連中の子孫である、税もおさめていないいまは感知せぬと。

 それでも誰か様子を見させるべきだった。それが老騎士の心の中をちくちく刺していた。

「よく、今日まで無事であったな」

「幸運もありました」

「ここに野盗はこなかったのか」

 魔法使いは迷った。斥候は追跡のスキルをもっている。ということは確実にあの二人を追ってきている。

「きました」

 覚悟をきめて魔法使いは告白した。

「どこにいる」

「そこに」

 魔法使いは彼らの足下を指差した。

「二人いたのだぞ」

「来るのはわかったので、罠にかけました」

「掘って確かめてよいか? 」

「どうぞ」

 騎士は自分の兵士二人に指示した。彼らは渋々といった顔で魔法使いから鍬をかりてへしゃげた二人の野盗の死体を掘り出した。

 冒険者は斥候、弓兵、魔術師の三人であったが荷物を落ろし、魔法使いを警戒している。

「全身の骨が折れている。まるで大鬼にふりまわされて叩き付けられたかのようだ。どうやったのか教えてくれんかね」

「魔法で」

 その言葉で冒険者たちの警戒心が高まった。登録されている魔術師なら問題はない。しかし、そうではない者は危険な者が多いからだ。

「どういうことだ」

 騎士の問いにはなぜ農民風情が、と誰からおそわったかの意味があると魔法使いは思った。

「かなり昔にこの村に、素性はわかりませんがえらい魔法使いがいたようです。その墓所で襲撃で全滅した子孫の供養をしたところ、魔法の力をさずかったのです」

「どんな力だ? 」

「周辺を警戒する力と、重さをなくす力と、ゴーレムを使う力です」

「ゴーレムだと」

「農作業用ですよ。おかげでこの広さを手入れできています」

「ゴーレムを見せてくれ」

「わかりました。驚かないでくださいね」

 魔法使いは数体の農作業用ゴーレムを呼び出した。冒険者の魔術師がなにか呪文を唱えてうなずいた。

「本当に作業用のようだな。それでこの二人をどうやって倒した」

「来る事がわかりましたから、重さをなくしてゴーレムに空に投げ上げさせました」

「そして重さをもどして墜落させたのか。えげつないな」

「私には攻撃のための魔法はありませんから、工夫するしかなかったのです。それに、彼らは家族の仇です。慈悲などおぼえませぬ」

 声が震えたのは演技ではなかった。

「わかった」

 老騎士は馬を下りた。

「今宵はここに野営してよいか? そなたとはいろいろ話さねばならぬと思う」

 その夜、魔法使いはひさしぶりに他者と話をした。その後、魔法使いは留守の間の畑の番をゴーレムにまかせて領主と領主の城下にある魔術師協会に出頭した。 

 領主は本音を見せないにこやかな人物だったが、話を一通りきくと家宰を呼び出し、ひとこと釘をさした。

「次はないですからね」

 家宰は震え上がった。手遅れでも助けがこなかったのはあの元の領主の騎士が彼と何か取引をやったせいだったのだ。そして、後日彼の村にやってきた領主は、彼のゴーレムを戦争に転用する考えをしめした。

「力はありますから、大盾をもたせて密集させ、ついでに長柄の殻竿で前方を一斉に叩かせればかなり使えますね」

 そんな発想はなかったので、魔法使いは領主がプレイヤーか服役囚かどちらだろうと思ったほどだ。だが、これは魔法都市の防衛部隊のゴーレム運用だった。こちらは専門なので農具の殻竿ではなく、鉾槍をふるう。同じ発想なので、領主も防衛に強力するときとだけ条件をつけた。

 魔術師協会では彼の持つ魔法の力の鑑定がなされ、彼の養父であるいにしえの魔法使いの特定がなされた。かなり高位の会員だったが、弟子の不祥事を受けて引責辞任、その後は弟子を取る事はせず行方をくらましたらしい。彼の会員登録は保証人つきで承認された。

 冒険者たちは墓所のダンジョンに興味を示した。魔法使いは守護者の石像と意思疎通できるようになっていたので、墓所の部分を荒らさなければ探索は自由ということになった。


 一年たった。

 村はすっかり様子が変わっていた。隠し畑のあったところには冒険者ギルドの出張所と商店の出張所、それに宿であり酒場である店が開業していた。

 村はそれにともなって移り住むものが出て数軒の新築家屋ができていた。そして魔法使いの家は村長の公邸であり合議の場として立派なものになっていた。

 その家には元気な赤ん坊の鳴き声が響き渡る。

 後妻の子供だった。あの老騎士の庶子を妻として迎え、縁故と経済関係が結ばされていた。彼女はきちんとした教育のたまもので村長夫人にふさわしいふるまいをしめしてくれる。難しい問題は夫より処理がうまいといわれていた。

 人が集まれば誰がまぎれこむかわからない。魔法使いはダンジョンめあてにきた中に少ないが服役者の姿を見た。能力が一般人と変わらないのによくやる、と思っていたらやはり死んだりする。無茶でもがんばらなければならないところだけは理解できた。

 村の住人の中に服役者が宿るのも見た。

「この子に服役者が宿るのはいやだな」

 魔法使いは満腹してすやすや眠る嬰児の顔を見ながらつぶやいた。

 彼はまた、保証人の魔術師に求められて、数名の見習い魔術師賞に能動体支配の魔法を教えることになった。

「これ、どっちかというと魔王とかが使う魔法だと思うのですが」

「だからこそ重要なのです。十年前に大陸の半分を巻き込んだ魔王の被害、あれを緩和するためには魔物たちの支配に干渉し、結束を崩す必要があるんですよ」

 そういうものかね、と彼は思った。教えたものの中には小鬼数匹を支配において、雑用や護衛として使う者まで出た。まるっきり悪い魔法使いである。十年前の魔王と呼ばれた者は彼のように限界を突破した服役囚であったといいう噂があった。教えてくれたのは前の人生で土壇場で裏切って背中を刺した服役囚。その男は、魔王の配下にいたのだという。それだけ長く服役しているなら、かなり重い罪を背負っているのに彼はだまされてしまった。

 それでも、領主の後ろ盾とダンジョンという価値、老騎士との関係を得た魔法使いは、平穏な生活を入手した。

 墓所のゴーレムを参考に、防衛用の大型石像ゴーレムを四方に二体、小型を六体づつ配置したので、野盗集団程度ならどうということはなくなったし、それでなくてもダンジョンがあるおかげで即席の自警団が編成できるようになった。

 このダンジョンが探索が進むにつれとんでもないものだと知れた。とにかく広大である。大魔法使いが暇にまかせて築いたおかげだ。さらに冒険者が入ることで活性化したおかげで近隣の魔物がダンジョンにすいこまれて被害が減り、土砂に埋るなどして失われた宝物も同様に配置されるようになった。

 このころになると魔法使いの魔法スキルは10に達している。だが、魂の養父となった大魔法使いにはまだ全然及ばないと感じていた。能動体支配の魔法も高度なものが使えるようになって、村全体を平和で暴力沙汰を起こしにくい雰囲気で覆うようにできた。プレイヤー、服役囚には効果がないが、それでもやりにくい雰囲気になるだけで違う。さらにプレイヤー、服役囚以外の人の鑑定ができるようになった。

 それでまだ嬰児である息子を鑑定すると、これが自分をはるかにしのぐ魔法使いの素質があることが分かった。妻が先日二人目を懐妊したこともわかったし、いや、正確には双子なので三人目までであるし、娘であることもわかったし、これがまた素質に恵まれ、容姿も妻に似て優れたものになることまでわかってしまった。

「なんだか、先の楽しみが減った気がする」

 わくわくしながら贅沢な悩みをぼやく余裕もでてきた。

 残る心残りは冒険者ギルドに依頼した売られた妹の行方。生きていないかもしれない、ひどい状態かもしれない。それでも魔法使いは彼女に会いたかった。苦しみに満ちた生活ならただすくいあげてゆっくり休めといいたかった。


 そしてそろそろ双子が生まれるというある日。


 平穏どころか、幸福そのものに浸っていた彼に、彼にしか聞こえない音が聞こえた。

「刑期満了です」

 刑期が終われば、こちらの彼はこれまでの彼らしい行動をとるこの世界の住人として残る。そして本人は自分の肉体に戻る。

 それは初めから知っていたことだった。忘れていたことだった。いや目をそむけてきたことなのだろう。

 魔法使いははらはらと涙を流した。せめて、娘の顔だけでも見たい。

 だが、すぐに顔を起こし、なんで泣いていたのだろうと首をかしげた。

 もう服役囚ではなかった。


 刑期の間、その体を整え、養っていたナノマシンいりの液体は再利用タンクに回収されていた。損傷した臓器は修復され、依存症も消えている。脱走の心配もない。通常の収監よりすぐれていると採用されている方式だった。人権侵害ではないかと問題視されているが、再犯率がかなり下がっていることが統計に出てからは一年以上の受刑囚はこれが適用される。

 大型のバスタオルをふわっとかけられただけの裸身の男は、挿管を引き抜かれて咳き込んでいる。

 医師でもある技師が手元のタブレットで数値を確認し、問題ないと判断すると彼に話しかけた。

「浴室が用意してあります。きれいにして少し休んでください」

 服役囚はぎろっと技師を睨んだ。

「あんまりだ」

 何があんまりなのか、技師にわかるわけはない。だが、そういう反応は見た事があった。

「胡蝶の夢ですよ。でも、ちょっと違うのは、あなたには再訪の手段があるということです」

 服役囚の目が見開かれた。

「そうか、あの子たちに会う事はできるんだ」

「どうぞ、よき人生を」

 ずらっと並んだ「棺桶」の中で技師は微笑んだ。

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