神内麗二、決死の決断

どれくらい時間が進んだのだろう。

 必死さが感じられる息遣いや、双方の攻撃が空を切る音しか聞こえない。 

 もう三人の集中力や体力も限界を越えてるんじゃないかと思った瞬刻――


「今ですおじさまッ!」


 瑠唯さんの声だ。戦いに進展があったのか!


「こ、れ、で、成仏しやがれぇぇぇッ!」


 こっちがたまげるような幻尊さんの叫び声。

 鈍い音がした後、悪霊が再度吹っ飛ばされてプールサイドに打ち上げられた。

 奴の体が赤くなっているようだ……だが血ではない、模様だ。

 ローブの赤い模様が全身に広まっている。

 結果としてかなりのダメージを受けているのかわからんが、奴は全く動かない。


「おおおお! ついに倒したのか!?」


 思わず身を高くして、その結末を見ようとする。

 三人がトドメをさすべくプールをひとっ跳びして駆け上り、悪霊へと迫る。

 一番先に近づいたのは、光華だ。


「光華ッ、焦るんじゃねぇって! 俺に任せろ!」


 かなり焦燥している幻尊さんの鬼気迫る喚声が響く。

 光華、大丈夫か!?


「平気よ父さんッあたしが決める! はぁぁぁぁぁッ!」


 光華がとどめと思われた一撃を、迷わず振り下ろした。

 しかし――


「しまッつぁ!?」

「うあああッ! 光華ッ!?」


 一瞬で青褪めた。俺も叫んでしまっていた。

 だって、光華の攻撃を奴の左手が振り払い、光華が力負けして封光をはじきとばされたのだから。


「ああッ! おじさまッ!?」


 瑠唯さんの耳を裂くような悲鳴が聞こえた後の出来事は、全てがスローモーションに見えた。

 間に合わない。悪霊が使えないハズのブラブラした右手を、道具のように無理やり振り切りやがって光華を――!?


「ぐぁぁぁぁぁッ!」


 いや――幻尊さんが突き飛ばして庇い、攻撃をモロにくらった。


「うああぁあッ!? 幻尊さんッ。光華ァ!? 何が起こったんだよ!」


 俺はスローモーションの世界から、いきなり現実世界へと戻された。


「父さんッ!」


 光華の喉を締め付けられたかの絶叫も聞こえる。

 夢じゃない、現実だ。今しがた起きた出来事なんだ。

 幻尊さんは光華を押しのけて、代わりに切られたんだ!


「くそッ。光華!」 


 悪霊が小さく飛び跳ね立ち上がった。

 危ない。光華は茫然としている、何が起きたのか理解できない様だ。

 涙を流しながら、ゼンマイの切れた玩具のように幻尊さんを見たまま止まってしまっている。


「光華!? 逃げて下さい!」


 瑠唯さんが光華へ必死に呼びかけながら、甲奘で散弾を放つ。


「あいつッ! まだあんな動きをッ!?」


 奴はそれをとんぼ返りをして避け、二人から一定の距離を置いた。


「立ちなさい光華! まだ、まだ終わってませんッ!」


 瑠唯さんの絹を裂くような叫び。


「――ハッ!? う、うんッ!」


 光華がビクッとして我に返る。やっと反応してくれた。

 彼女は幻尊さんを一瞥した後に、弾き飛ばされたを封光を取りに行く。 

 嗚咽が漏れていた、動揺ってレベルじゃない……でも当たり前だ、幻尊さんの容体を今すぐにでも確認したいんだ。

 だって……俺も張り裂けそうな思いで幻尊さんを見る。 



「ああ、良かった」


 幻尊さんは胸を手で抑えながら、わずかに動いていたのだ。

 てっきりやられたかと。不幸中の幸い。最悪の状況ではなかったようである。

 だから光華は取り乱しながらも戦闘に戻ることができたんだ。

 しっかし命があるだけでも良かったが、悪霊の切裂き攻撃をまともに喰らってしまった。

 このままでは生命の危機――そして光華、錯乱しながら封光を拾った彼女も悪霊へ接近していった。

 あいつもわかってる。幻尊さんの容体を詳しく確認したいハズだが、そうすれば状況はさらに悪化するからそれはしない。


「うぁぁぁぁッ!?」


 光華が金切声を出しながら涙を飛び散らし、悪霊に封光を振る。

 けど駄目だ。疲れと精神的ショックが同時にきてるのか、全然動きにキレがない。

 技もへったくれもない素人動作。簡単に攻撃を防がれてしまっている。


「まだまだですッ。私達はまだ負けちゃいないッ!」


 瑠唯さんの甲奘による遠距離攻撃も、決まって爪にかき消されてしまう。 

 こちらも、戦闘開始時よりスピードと光弾の輝きが落ちている。

 らちがあかないと考えたか、彼女は光華と二人掛りで応戦するために釈浄刃へ持ち替え、悪霊へと特攻していく。

 だが瑠唯さんの攻撃を読んだか、光華とのつばぜり合いを続けていた悪霊がいきなり後ろに振り向き、走ってきた瑠唯さん目掛けて弾丸のように飛び跳ねた。


「なッ!? 瑠唯ッ、行ったわッ!」


 冷静さを失い相手の攻撃を予測できない。

 トリッキーな動きを読めなかった光華が、慌てて奴を追いかけながら喚呼する。


「う!?」 


 一直線に切りかかってきた悪霊を、瑠唯さんが迎え撃つが――!?


「うあああああああッ!」


 彼女の攻撃は空を切る。

 奴の右爪が瑠唯さんの左腕を、左爪が両足の膝を切り裂いた。


「瑠唯さんッ!? そ、そんな、瑠唯さんまでやられてッ」


  直撃。瑠唯さんは切られた箇所を抑えながらも仰向けに倒れてしまった。


「瑠唯ッ! よ、よくもぉぉぉぉぉッ!?」


 キレて勢い任せに突っ込んでいく光華。だから駄目だって!

 悪霊は、決死の攻撃さえもあざ笑うかの如く苦も無く避けた。


「あ、ああああああッくぅっうううう、ああ!? なッ! なんで、こんな……」


 歯がガチガチと震える。俺の体中の血が逆流するかの衝撃が体を覆う。

 そして俺の全身から、一気に嫌な汗が噴き出た。心のどこかで大丈夫だと思っていたんだ。何回もヒヤっとする場面こそあったが、ここまで無事だった三人が苦戦しつつも悪霊を倒してくれると。

 けども現状がショック過ぎて、脳のキャパシティが溢れてしまっている。

 ぐらつく。目に映る世界が見えない、見たくない。頭の中が溶けていくようで受け入れる事ができない。冷静に考えることが、できない。

 怖い、怖い。どうなってしまうんだ。頭を抱えても解決しないのに……いや、夢だ! これは、夢だ。

 瞳を少し閉じて、また開けたら俺は教室で居眠りをしていた平穏な日常に戻る。

 今見ているのはただの悪夢であって……。


『現実だ――』


 頭の中で、誰かが言った気がした。

 リアルなんだ。泣いたって叫んだって解決しない、悲しいまでの現実。

 どくんっと、心臓の音が一際大きく動き始めた音が聴こえた。


『どくんっどくんっどくんっどくんっどくんっどくんっどくんっどくんっどくんっ』


 制御できない、身体が脳からの伝達を聞いてくれない。

 収まっちゃくれなかった。


『逃げよう――』


 また、誰かが言った。

 前を向く。他人事のようにそれまで見ていた世界を眺める。

 幻尊さんも瑠唯さんも倒れたまま、光華は防戦一方で逃げながら悪霊の攻撃を防ぐので精一杯だ。

 悪霊は健在。左手一本をして光華を圧倒している。


「つぐぅっ!?」


 光華もいよいよ限界破裂だ。このままだと……。


『皆を置いて今すぐ逃げろ――』


 その時悪魔の囁きが、俺の頭の中へ直接響いた。

 いいじゃないか。大体幻尊さんだって、危なくなったら逃げろと言ったんだ。霊媒師の本部とやらがすぐに気がついて、また霊媒師が派遣される。今度こそ、悪霊をやっつけるさ。三人が行方不明で少々騒がれても俺は関係ない。誰も責めやしない。ただの他人だ。幻尊さんと瑠唯さんにいたっては、ちょっと前に知り合った程度の仲でしかないじゃないか。

 そんな人相手に、情なんか……。


『本当に、それでいいのか? もし、代わりの人が来るまでに犠牲者が出たら――』


 それはッ! そのッ。


『理由はね、わたしたちがやらないと、関係のない人が犠牲になるからよ』


 頭の中に鮮明に突き刺さっていた言葉の一部がふと、脳裏に浮かんだ。


「嫌だ、嫌だ……!」 


 いつの間に泣いていた。大粒の涙が俺の頬をつたっている。

 嫌に決まってるじゃないか。皆で生きて帰りたいに決まってる。 だけど俺に何ができるんだよ。訓練もしてない、昨日まで霊感があるとはいえ普通の高校生だった俺が! 無力じゃないか、何をアイツ相手にできる。プロの霊媒師の三人が、これまでもずっと戦って生き残ってきた三人がやられてる。後ろからかかったってすぐにやられちまうだろ。

 俺なんか切り刻まれて、ゴミみたいに殺されるよッ!


「俺は! 俺は――」


『もう一度、あんたに誓うわ。悪霊に負ける気なんて毛頭ないから安心しなさい。楠屋光華は絶対に負けないから! 霊媒師の役割、果たして来るわッ』


 いや、光華は違う。勇気に満ち溢れていたんだ。


『おじさまのおっしゃる通りでした。霊媒師だけにしかできないのであれば、私達が泥を被ればいい、でも一人じゃない。皆で力を合わせればいいのですから』

『それでもずっとやってけば必ず終わりが来るものさ。なぁに、本部の神位霊媒師陣も新たな霊術式の開発を続けてるし、絶対に対策は見つかる。その日まで俺らが歯を食いしばって戦えばいいんだ』


 瑠唯さんに幻尊さんだって同じだ。

 四人で円陣だって組んだ。絶対に生きて帰ると、誓いの儀式をしたんだよ。


「何を考えていたんだ俺は! 目の前で人が死にそうになってんのにッ!?」


 汗まみれの手は、ポケットの中の釈浄刃を握っていた。


「ウオオオオオオオオオオッ!」


 吹っ切れた。気がついたら俺は、戦場に向かって駆け出していた。

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