神内麗二、霊感持ちの高校生

 放課後の教室--時刻は四時か。普段は外で部活動に精を出す生徒達の声が聞こえるのだが今日のところ、俺の耳に届くのは昼頃から降り続ける雨の音だけである。

 俺は≪大切なモノ≫が例の廃墟にあるという感覚と霊感持ちの俺には見える、窓の外に浮いている存在――黄緑色のオーラに包まれ、目ん玉が無く代わりに中が黒く塗りつぶされた老婆は気にせず、クラスメイトの楠屋光華から借りた地理のノートの内容を自分のノートへいそいそと書き写していた。

「光華のやつ、ホントに字が綺麗で見やすく書くなぁ」

 高校に入学してから一年ちょい、たあいもない話を毎度のようにしてはいたが、時が立つのは早いものだと思う。

 特に体育やら昼休み、授業中に居眠りをして叩き起こされるまでの時間は。

「ったく、大松のヤロウ。本気で叩きやがって」

 誰もいない教室で苛立ちを声に出した。

 目をつけられてしまった。次の地理の時間までに、今日の授業内容をちゃんとノートへ書いてきたかチェックさせられるハメになっちまった。

 俺は結局、ノートに落書きしているところを大松先生に見つかり、問い詰められて何も言い返せずに、竹定規で叩かれたのだ。痛かったなぁ……。

「そろそろ光華が来る頃だな。早く終わらせてさっと渡してとっとと帰ろ」

 頭をさすりながら、ふいに視線を教室の黒板側入り口に移した時だった。

 目が合ってしまった。気配が現れると同時、見たくもない存在が立っていたのだ。

「うぐッ」

 赤いオーラを纏った奴らへ睨まれた時に苛まれる、胸の辺りを針でチクっと刺されるかの不快感。

 俺は思わず胸に手を当てて視線をそらした

 一瞬視界に入ってしまったのは五、六歳ほどの少女だ。

 見慣れてしまったあいつら特有の生気のない、驚くまでに白過ぎる肌、決まって無表情な顔。目の周りが隈のように黒く染まっている。その瞳で俺を射抜いたのだ。

 白いワンピースを着ているが、黒い絵具を所々にぶちまけたような斑模様。

 例えばこの場にクラスメイトが数人いたとして、アレに気づく人は霊感持ち以外ではいないだろう。

 俺は普通の人には視認できない存在が見えているんだ。

 この言葉以外では、あいつらを形容することはできないだろう。

「どうして幽霊が見えちまうようになったんだか」

 さっきの老婆も今の女の子も、幽霊だ。

 幽霊――死んだ者が、成仏できず姿をあらわした存在。

 小さい頃は、今みたいにはっきり見える時もあれば何も見えなくてただ気配を感じるだけの日もあったが、高校二年生になって五月中旬も過ぎる頃を境に、奴らの姿が常時見えるようになった。

 これについては説明のしようがない。小さい頃から奴らを見慣れているが、最近になってからこうも毎日見えていると、俺は生まれた頃から幻覚でも見てるのでは、何らかの精神失調ではないかと思った。

 そして偶然か、謎の感覚が生まれたのも同時期である。

「いよいよ末期だな俺も」

 笑うしかない。けど、気持ちの整理を完了しても、やっぱり幽霊はずっと見えるし、≪大切なモノ≫の感覚だってあるんだ。

 校舎の外にいた老婆のような黄緑色のオーラを出す浮遊霊は無視できるのだが、やっかいなのは恨めしいといった感じで、怨恨をぶつけるかの如く羨望の眼差しで俺を睨んでくる奴らが、そうはいかなかった。

 これらの幽霊は赤いオーラで纏われている。浮遊霊とは違い、奴らと目を合わせてしまった時は、心を直接射抜かれるような不快感に襲われる。

 対策としては気配を感じた場合、最初から目を合わせず無視するに徹するしかない。

「毎度毎度、ご苦労さんなこってよぉ」

 何故に関係なく生きてる俺に対して、激憤な視線を向けるんだ。

 子供の頃は赤いオーラの幽霊が見えても、こんな実害はなかったのに。

「あ、いたいた。麗二、ノート移し終わった?」

 豪快にスライドされるドアの音と、陰鬱な気分を切り裂くようなクリアな声色。

 思案を終えた直後。黒板側とは反対側の、生徒用ロッカーが置いてある方の入り口からクラスメイトの楠屋光華が入ってきたのだ。

 黒板側の方にある教室の入り口へ視線を移すと、すでに幽霊はいなかった。

「突然出てくる系」の奴らは決まってすぐに消えるのだ。

 彼女は幽霊がいたハズの場所を一瞥したかに見えた後、俺の座る窓際の席の方へ近づいてきた。

「おっ光華、あとちょい終わるぞ。少しだけ待ってくれぃ」

 待たせちゃ悪いな。

 視線をノートに釘づけ、シャーペンを走らせる速度を上げた。

「え、まだ終わらせてないの!? 早くしなさいよ」

 光華が腰に手を当てて、不満とあきれが混じった声で早く写し終われと促す。

 俺は手をひらひらとさせて謝った。言われんでもすぐに終わりますよー。

「すまんすまん。そういえば、今日は委員会終わるの遅いな」

「無駄に長引いちゃってね。それに用事もあるから早く帰りたいのよ。地理の予習もしなきゃならないしね」

 光華が疲れた様子で右肩を回しながら、スクールバックをどさっと机の上に置いて俺の隣の席へ座る。

 彼女は高校に入学してから、ずっとクラスが一緒だ。

 切れ目が入った黒い光沢を持った瞳、上品な人形のように整った顔立ち、肩にかかるくらいのさらりとした鮮やかな紅色髪の一部を、頭の左横っちょに特徴的なデザインの黒いリボンで短く結い上げ、着崩した制服が似合っている。

 彼女は間違いなく、美人であった。

「よしっあと三分、あと三分」

 実際のところどうかわからんが、多分そんくらいだろう。

「三分も待てない。一分で終わらせて」

 光華が頬杖をつきながらため息を吐き、足を組み合える。

 瞬時に流し見る――ベストタイミングだ。

 秘密の花園を覆う布っきれが僅かに見えた。水色であったと思う。

 運がいい。俺は実に運がいい。

 すぐさま脳内の画像フォルダーに保存。欲を言えば、あと数秒程見れていたら。

 だが、サービスタイムはまだ続いている。ミニにした制服のスカートから覗かせる、白くほどよい肉好きの太ももを見るとさらに元気が出るのは否めない。

 パンチラの件もだが、幽霊共に悩まされようが、今後の学園生活も頑張るんだと気持ちを立て直させてくれた。

 幽霊が見える以外は俺も、単純で健全な男子学生なのだと。

「ふぅ……」

 光華が、むすっとした様子で、平静を装っている俺へ対して探りを入れるかのような視線を寄せてきた。

 何だよ、早く終われってことか?

 そんな突き刺すように睨まなくても、パンチラとおみ足を流し見る余裕を持ってちゃんとやっとるからな。

 それと……光華には入学してからこの学園生活の中で、一つ思うことがあった。

 まぁ仮説にすぎないが、彼女は俺と同じく幽霊が見えているのではないか、と。

 さっき、女の子の幽霊がいる方を光華が一瞥したかのように見えた件と同じく、彼女は明らかに幽霊の存在を認識してるのではと思わせる出来事が、これまでに何十回とあったのだ。

 もちろんそれだけではなく、これが一番確定的なのかもしれないが、目を凝らし集中してよく見ると光華は、普通の人とは違って全身に薄い蛍光イエローのオーラを纏っている。

 俺はある一説を考えていた。それは、俺みたいに幽霊の見える人がこのようなオーラを発するのではないかと。俺が過去にここまでの強いオーラが見えたのは、霊感持ちの母さん、他にあと、何十人だったろう。オーラがある人はたまに見かけるのだ。

 これらを考察すると、光華も霊感持ちで間違いないと思うのだが、面と向かって聞ける勇気がまだ俺にはなかった。下手に言っても俺の思い過ごしや勘違いであったなら電波扱いされるだけだと思うのもある。

 俺自身にもオーラがあれば光華だって気がついてるはずだが、俺が鏡で見ても分のオーラは見えないし仮説に絶対な確信が持てないため、俺は聞かれない限り黙っているスタンスにすると決めた。

「ちょっと麗二、手が止まってるわよ。顔も赤くなってるし、もしかして風邪?」

 光華が、怪訝そうな顔で俺をじーっと見つめる。

「いや全然。まったくもって健康体だぞ俺は!」

 手をぶんぶんと振って否定。ちょいと必死過ぎたか。

「そっ。どうでもいいけど、三分過ぎるわよ。男なら約束を守りなさい」

「あっ」

 イライラフェイスの光華がさらに眉根を寄せた。

 情けなく、唇を噛みしめる俺。く……お前のせいだろーがぁ!

 光華に、好きな女の子から視線を受けて集中できるワケねぇだろう!?

 事実。俺は光華が気になっていた。最初はオーラの確認と、本当に霊感があるのか探るために彼女を見ていたがそうしている間に、彼女が見せる一挙動に対して目が離せなくなっていたんだ。 

 ガラス細工の如く綺麗にデザインされた容姿や、自然体で誰とでも分け隔てなく接する明快さがある彼女。彼女が魅せる向日葵のように輝いた笑顔がもう何者にもない、煌めきを放っている。    

 他にも挙げれば切りがないが、男子に好かれる要素抜群の彼女。

 うん。何処のクラスでもいそうな子じゃないか。こんな子が俺と同じく霊感を

持ってるなぞ気のせいだろ。うん、俺の勘違いだろう。

「よしゃっ終わった。サンキューな、光華」

 心の中であれこれ悶え葛藤しながらも終わらせた。

 直後、五時の時刻を知らせるチャイムも鳴る。

 俺はすでに立ち上がって帰る準備をしている光華へノートを渡した。

「どーいたしまして……て、もうこんな時間か。あたし、もう行くわ」

「おぉ。用事っつったけ」

「ん」

 首肯した光華がノートを受けとると同時にスクールバックへと詰め込み、すたすたと廊下へ向かって歩を早めた。

「じゃあな、また明日」

 俺の挨拶へ反応し、教室を出る間際。くるっと振り向いた彼女は、

「えぇ。明日、ね」

 念を押すような口調に、またも鋭すぎる視線を俺へ向けた。

 何だありゃ。何だかわからんけどひっかかるような……。

 教室を出て行く彼女へ対し、訝しげな表情のまま見送る。

 今日はやけに鋭い視線が多かったが、一体何だったんだ。

 宿題や筆記用具をスクールバックに詰め込みながら考えてみる。

 光華は元々釣り目だし、角度でああ見えただけだろうか。パンツだって気づかれないよう自然に見たんだ、睨まれる覚えなんてない。

「まぁいっか」

 俺の考え過ぎか。教室の電気を消して、薄暗く静寂な廊下に出た。

 幽霊の気配は感じられない。先ほどは稀なケースだったから、もう大丈夫だ。

 普段は人が多く出入りする建物の中には滅多にでないのだ。

 光華はもういない。教室を出てすぐ近くにある踊り場の方に行ったらしい。

 階段を降りる音が聴こえる。

 俺もそろそろ行くかな。その前に、トイレに寄って行こう。

 トイレで用を足した俺はさっさと帰ろうと、足早に玄関へ向かった。

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