7

 ジョシュアが王都エルラッカに戻って一週間。


 フリーデリックの返信に対して国王が何か言ってくるだろうと身構えていたアリシアだったが、どうやら杞憂だったらしい。


 結婚式まであと二か月と少し。招待者リストもでき、ドレスも完成を待つばかり、教会を飾る花やブーケなどは庭師にお願い済みで、彼が大切に育てている温室の薔薇や、結婚式に合わせて取り寄せてくれた花など準備も万端だ。


 結婚式を執り行ってくれる司祭は、マデリーン王妃がわざわざ王都の大聖堂に声をかけてくれて派遣の手はずを整えてくれた。


 いずれはステビアーナ城に隣接する教会にも常駐で司祭を呼び、領民の結婚式や礼拝のために教会を開放したいとは思っているが、それはもう少し先の話になりそうだった。


(もう、あとはあまりやることがないのかしらね)


 結婚式のあとのパーティーの料理のメニューも決まっている。ステビアーナ城の料理長の腕はピカイチなので何の心配もいらない。


 本当は広い庭を使ってガーデンパーティーで行いたかったのだが、冬の寒い時期に招待客を寒空の下に立たせるわけにもいかないだろう。城の大広間の飾り付けはまだ先だが、そちらの方もジーンが仕切ってくれていた抜かりはない。


 アリシアは、気分転換もかねてクララの診療所に向かっていた。


 長らく国の管轄という名目の下ほとんど放置されていたステビアーナ地方。税の取り立て以外に役人がやってくることもなかったこの地方を、もっと住民が住みやすい地にしたいと思う。


 特に目立った観光資源もないため、よそからの観光客はおろか、行商人もほとんどやってこなかったステビアーナ地方のため、何かしてあげたいというのがアリシアの最近の悩みだ。


(海が近いし、真珠や珊瑚が取れると言っていたし――、素敵なアクセサリーに加工出来たらいいと思うんだけど)


 真珠の養殖技術はこの国には存在しない。しかしアリシアも真珠の養殖の方法は知らないため、それをこの地方で――と言うのは難しいだろう。そのため天然の真珠を採取して加工する必要があるのだが、それほど数は取れないため、大量生産は不可。希少価値を高めるしかない。


 あとは、フリーデリックが言っていたが、海に面した町と反対方向にあるアガートという町の近くの山から水晶が取れるらしい。本格的に採掘を開始して加工販売すれば、町の雇用も生まれて外からの人も集まり活気が出るだろうとのことだ。


 もちろん、それらはすぐに明日から――という風にはならないだろう。少しずつこの地に活気を産むことができればいいと思う。


 そんなことを考えながらクララの診療所に向かっていると、アリシアは診療所の前に見慣れない男が立っていることに気がついた。


 不審に思って近づいてみれば、クララが「だから、アリシア様はいらっしゃいませんってば!」と怒っているのが見える。


 どうしたのだろうと思って「クララ」と声をかけると、クララと男が同時に振り向いた。


「わたしがどうかしましたの?」


 アリシアはそれとなくクララをかばうように男とクララの間に入る。


 クララは口を尖らせてアリシアを見上げた。


「この男がずっと『アリシア様を出せ!』って言うんです! 昨日も来たんですよ!」


 きっと不審者です――と、アリシアにだけ聞こえる声で囁くクララに、アリシアは小さく苦笑する。


 確かに怪しいが、しかし、どちらかと言えば温厚で優しいクララをここまで怒らせるとは、この男はどこまでしつこかったのだろう。


 アリシアは黒い外套に身を包んだ男を見上げた。中肉中背でこれと言った特徴はない。肌は浅黒く、細い一重の目はどうも感情が読みにくかった。


「アリシア・フォンターニア公爵令嬢ですね」


「そうですけど……、見ない顔ですわね」


 この町ではもちろん、王都にいたときも面識がなかったはずだ。いったい誰だろう――アリシアが首を傾げていると、男はすっと一通の手紙を差し出した。


「我が主からです」


「主……?」


 アリシアは怪訝そうになり、手紙をひっくり返してみたが差出人の名前はない。しかし、押されている封蝋を見て、さっと顔色を変えた。


(この封蝋――)


 見覚えがあるなんてものではない。忘れたくても忘れられない、苦い記憶だ。


「エルボリス――、ラジアン王太子殿下の……」


 茫然とつぶやく。


 そう、押されている封蝋は、アリシアの下に何度も手紙を送りつけてきたエルボリスの王太子ラジアンのものだったのだ。

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