勇者だった男
聖霊術士の少女の意識は突にして戻った。
頭の中では不協和音が鳴っている。旅が始まってから数えられないくらいに経験した、心象風景から覚めた時の感覚である。瞼はまだ重く、開ける気にはならない。お手上げと回復を待った。
そうして頭が徐々に正常に働き出すにつれ、ゆっくりと思考する。
手足を広げて地面の上に仰向けになって倒れているようだ。身体はどこも痛くはない。奇跡的に無傷だったという運の良さにアメリは安堵した。
風の音が聴こえるくらいで、とても静かだ。周囲の様子は不明。どのくらい気を失っていたのかと考えたところで、一筋の涙が頬を伝っていく。
(そっか。あれから殿下は、もう……)
残存する悲痛な記憶。アメリは哀の感情を閉じ込めてひたすらに走っていた。
凄まじい死闘の邪魔にならないように、永遠の別れを告げた彼から逃げるように。
(殿下はいつだって死する覚悟で戦っていた。そんなのわかってたはずなのに、でも――)
ルイは生き残るという選択肢を除外し、本当の意味で身を犠牲にしたのだ。彼が吹き飛んでから一体何が起こったのだろう。死闘時は考える余裕なんてなかった。
「あれ、もしかして朝になっちゃった?」
やがて最後の輝きが灯る。夜明けを思わせる強烈な光だった。瞬く間に闇を洗い流し、アメリの目を白色で塞いだのだ。
結果、世界はどうなったのか――その答えは、とうにわかっていた。アメリはなけなしの勇気を振り絞り、瞳を開けてみた。
碧色の双眸に映ったのは、
「空が青い、青くなってる。邪神を倒したんだ。やった、やったのね殿下!」
曇り一つない澄み切った快晴。さんさんとした太陽。王都ナダン一帯を覆っていた暗黒の空色は消えていたのだ。
邪神シュマが再臨し勇者一行を下して以来、王国に生きる者達の誰もがその光景を二度と見る事はできないと諦めていた――しかし最後に見事希望は掴めた。願望ではなく現実のものに――
悲愴の黒は喜色に変わった。アメリは目元を擦りながら立ち上がる。
「そうだ、お兄ちゃんはッ」
そして彼女の愛する兄の元へと再び駆け出した。
暖かな風を感じる。途中何度も瓦礫や木片に躓き転びそうになりながらも、決戦の舞台だった場所へと再びたどり着く。
体力の限界がきたので、膝に手をついて息を切らした。呼吸を整えた後、兄を捜さねばと顔を上げると、先に信じられないモノを目撃し驚愕。目を丸くしたのである。
「夢、じゃないわよね」
想定外である。頬を抓るが、やはり痛かった。
アメリは急いで「カレ」が立っているところまで駆け寄った。
「アメリ……やったよ。俺は邪神を消滅させる事ができたよ」
彼は――銀髪の勇者ルイは見た事がない解き放たれたような涼しげな笑顔だった。
アメリは感激のあまり、中々第一声が出ない。
彼は亜麻色の髪の少女が紡ごうとしている言葉を待っていた。
十の指を数える時間の後、アメリはやっとの想いで声を出したのだ。
「殿下、ですよね? 本当によくぞご無事で、あなたのおかげでこんな綺麗な青空を……!?」
そしてようやく違和感に気づき、堂目した。
命を懸けた激戦を終えて尚、ルイ自身は傷もなく衣服も裂けていない。なにより彼は、消えそうなくらいに白かった。アメリが言われた言葉の意味はそのままだった。
「その姿は。もしかして、やっぱり」
笑顔から一転、不安な感情が湧いて顔色が蒼くなった。
すぐに現実を受け止めれたのは、心の何処かで出来すぎた結果だと思っていたから。
全て救われるのは夢の世界でしかあり得ない。無情だがこれも現実――勇者ルイは、宣言通り先の戦いで死んでしまっていたのだ。
「説明が遅れて済まなかった。一刻を争う状況だったから咄嗟には話せなかったんだ」
目を伏せるアメリの意思を汲み取ったルイは一呼吸した後、自身に起きた出来事を語り始めた。
「俺はシュマにやられてから薄れる意識の中で、アルタ―様からの神託を受けたんだ。邪神と聖なる神々の理、そして平和な未来を取り戻すため俺の命を対価に霊剣の最大覚醒した力を引き出せるともな。その結果がこれってワケさ」
苦笑しつつ肩をすくめるルイ。
以前に神の声を聞いた彼は、今度は神と直接接触したのだという。もはや驚嘆するのみである。
「アルター様とお会いできたのですか。ではあの言葉の意味は、やはり本当だったんですね」
決定的だ。明るさを失くしたアメリは涙ぐみながらに問うと、
「だな。王子の人生はここで強制終了。魂となって循環へ引き込まれるぞぇ」
アメリの後方からひょこっと現れた少女の姿をした神のしもべが、代わりに答えた。
「わひゃ――ってビノ様!」
気配を感じなかったので横に飛びのくまでに驚いたが、仲間の生存に破顔する。
「よくぞ……あ、あなたまで」
しかし次の瞬間には表情が固まった。そして、大きなため息をついてがっくりと俯く。
何故なら彼女もまた勇者みたいに白く、今にも消失してしまいそうだったからだ。
白と青が入り混じった髪色の神獣少女は肩をすくめ、事の顛末を語り出した。
「ビノも致命傷をくらって息も絶え絶えになった時、勇者同様アルター様に会ってな。まぁビノは目的を果たしたから、こやつと違ってお家に送還されるだけであるがの」
言い切ったビノの顔もまた、アメリも見た事がない寂しげなものだった。
「そうだったのですか。ビノ様は帰られるのですね」
神の言葉ならば人間に出る幕はない。悲しむどころか感謝すべきだ。人間達に救い手を差し伸べてくれたのである。その慈悲がなければ、ザラス大陸はとっくに滅亡していたのだ。
「それと、言い忘れていたな」
がっくりと肩を落としたアメリの前に立ったルイが彼女の頭をぽんぽんと優しく叩き、顔を上げさせた。晴れやかな顔をした彼が指差した方向は、大聖堂の残骸の方である。
大分離れた距離だ。アメリが何事かと目を凝らした刹那、彼女は感極まって泣き崩れた。
「お兄、ちゃん。良かったぁ」
邪神の黒い肉塊の檻から解き放たれ、建物の壁の瓦礫に背持たれたフランクの姿があった。
身体中にはしっていた呪印も綺麗に消えているようだ。ジーナの魂が消滅した時点で跡形もなくなっていただろうが、実際に見ると安心できるものである。
「フランクは生きている、眠っているだけだ。俺は先に挨拶を済ませたよ。遅くなって申し訳なかったとな」
達成感に哀切と様々な溢れる思いを込めて言ったルイは、泣きじゃくるアメリの頭をあやすように撫でた。
全ての憂いはこの空の青さのように晴れたが、それは同時に終わりも意味していた。
出会いあれば、当然に必ず別れる時がくる。人それぞれの運命である。
刹那――
「おっと。もうそろそろか」
突如、ルイの身体が足元から霧のように消えてきたのだ。
「みたいぞぇ。娘よ、お別れだな」
ルイも同様だ。徐々に透けていく自身の下半身を興味深く眺める。
(そんな、私はまだ――)
アメリは二人の急な状態変化にショックを覚え、慌てて駆け寄ろうとして盛大に転ぶ。しかし痛みは無視してがばっと起き上がった。
「御二方。私、私はッ本当にッ」
湧き出る激情が抑えきれない。
代わる代わる流した色んな涙の一つ一つに旅の情景が映っている。彼女は二人へ感謝の言葉を紡ごうと、声にならない声を蒼い唇から漏らす。
「本当に……」
だが先の言葉が中々でなかった。
アメリの暖かい想いを受け取ったルイは彼女の小さな肩に両手を乗せると、感慨深く言った。
「ありがとうアメリ。君のおかげで俺は使命を全うできた。君がいなかったら俺は使命を全うできなかっただろう」
「私だって殿下とお会いしてなかったらとうに死んでました。生きてこんなにも綺麗な青空を見る事なんて、出来なかった」
やっと感謝の言葉を返したアメリは、次いで腕を組んで微笑む神獣少女を見つめ涙声を絞り出す。
「ビノ様も、私達地上の民人のために戦って頂いて、ありがとうございました」
「アルター様から仰せられた命令を遂行したまで。娘、お前の功績はあっちに帰っても忘れんぞぇ。それにしても、その綺麗な肌をぺろぺろできんのは残念だが」
言ってビノがにひひと八重歯を見せて笑う。アメリの顔いっぱいに広がる憂愁の色が少しづつとれていく。
「全く、あなたには敵いませんな……さて」
そして勇者のごつごつとした手がアメリの小さな双肩からゆっくりと離れる。アメリは永別まであと僅かだと悟った。二人はもはや消える寸前だったのだ。
神に導かれる者と地上に残る人間。両者の間に最後の時間が流れる。
「最後に、もう一度言わせてくれ」
沈黙を引き裂いたのは勇者ルイだった。彼はとても晴れやかな顔のまま言った。
「俺はアメリと出会えて良かった。本当にありがとう」
彼女へとっては一生忘れられない、心から微笑んだ顔。居ても立ってもいられずアメリはルイへと両手を伸ばしたが――
「私だって何度だって言います! あなたと巡り合えて――」
「さようなら」
届かなかった。彼女の手は何もない空を掴んだ。
ルイ、そしてビノは光の結晶となり、太陽に吸い込まれていくように天へ昇っていってしまったのだ。二人はもう、現世にはいない。
「とうとういっちゃったのね」
余韻。膝から崩れたアメリは茫然としたまま明後日の方向を眺めていたが、やがて振り切るようにぶんぶんと首を振ると、ローブの埃をほろいながら立ちあがった。
そして落ち着いた足取りで実兄フランクへと近寄り、安らかな寝息を立てている彼を力いっぱいにしっかりと抱きしめた。
「お兄ちゃん。長かったけど、色々あったけど……やっと会えたね」
何度夢見たか。この時をどれだけ待ち望んだのだろう。アメリの心も闇から抜け出して穢れ一つない光に満たされていく。
後の事はどうだっていい。素性を明かさないで暮らしてもいいし、歴史を偽って伝えてもいいとアメリは思った。とにかく今は、この待ち望んだ再会を喜びたい。
そして大事な家族の生きたぬくもりを堪能した後、聖霊術士の少女は膝をつくと太陽に向かって祈りの印を結んだ。
勇者だった男へ最大限の奉謝を紡ぐ。
(ありがとうございます、ルイ王太子殿下。あなたはまさしく勇気ある御方でした)
空はどこまでも青く、限りなく続いていた。
神に祝福されし大地のどこかでの出来事――セカイは今日も変わらずに時を紡いでいく。
勇者だった男 松岡蒼士 @mucc69
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