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 その昔、ヴァネッサ率いる盗賊団が根城としていた峠を一行は通過した。妙な事に葬民一匹たりとも遭遇しなかった。当然訝しがるものの、気にしてもしょうがない。前進あるのみだった。

 そして現在地の砂丘のようにゆるやかに起伏する草原を抜けて、小さな森と荒れ果てた田園地帯を越えればいよいよ決戦の地王都ナダンなのだが、一行は一端歩を止めた。

 真の姿を取り戻したビノが決戦の前に自身の力を試すためだ。

「凄い、なんて速さ。これが神獣様の真の力なの」

 アメリが目の前で起きている出来事に目を見開き、口を半開きにして驚いている。

「これがビノ様の本領さ。頼もしい限りだ」

 一方ルイは期待と興奮に体を震わせた。黒い瞳にも輝きが帯びる。

 濁った空の下、空気を鋭く切る音とつむじ風を伴った小さな何かが草原を激しく揺らしていた。二人はその様をかろうじて肉眼で捉えていたが、それでも速すぎる。

「フハハハッ! 見るがいい、これぞビノの本領よッ」

 まさに風と一体化し草原を飛び回る神の化身は、人語で快哉を叫ぶ。そして取り戻した力を充分堪能した後に空中で動きを止め、アメリの頭へと真上から器用に着地して蜷局を巻いたのだ。

 聖霊術士の少女は未だに呆然としている。

「ふぅ、間に合って良かったぞぇ。感謝するぞ、娘。お前の癒しのおかげだ」

「私……お役に立てて光栄です」

 神獣の感謝の言葉にアメリは感激した。

 そして神獣は頭を伸ばすと親愛の情を示すかの如く、アメリの耳たぶを赤い舌で舐め上げたのだ。

「ひぐっ」

 アメリは突然の刺激にたまらず顔を上げて頓狂な声を出す。

 勇者は肩をすくめると、場を仕切り直すべく真剣な顔つきで本題を切り出した。

「とにかく決戦前にお力を取り戻されて何よりです。これで万端整いました」

 あの日以来一度たりとも忘れた事がなかった大切なモノを護れなかった悔しさに、胸を焼かれる思いだ。闘志が漲り、握り拳に自然と力が入る。

(ついに王都の前まで来た。必ず俺達の国を取り戻してやる)

 アメリも勇者の心中に同調し、王都上空とおぼしき赤黒い空を鋭い目つきで見据える。

「いよいよだわ。待っててね、お兄ちゃん。必ず助けてあげるから」

 そしてビノも頭をしみじみと下げると、口を開けて輝く二つの牙を見せた。

「覚悟はできておるな。この峠を越えればとうとう捕らわれの王都だぞ。いざ――」

 刹那。王都の方向から大きな爆発音が轟き、空気を切り裂いた。

 あまりにも唐突に起こったため誰も咄嗟に反応できなかった。全員は瞠目してそれぞれ顔を見合わせると爆音が鳴り響いてきた方向へと首を向けた。

「ナダンからだわ!」

 狼狽するアメリの悲痛な叫び。気が気でない。

「いきなり何事ぞぇ。ま、まさかジーナが邪神を復活させたのではあるまいな」

 ビノがアメリの頭の上でとぐろを巻いたまま慌てて飛び跳ねた。流石の神獣もこの予想外の事態に半ばパニック気味である。

 同様に邪神復活の可能性を危惧したルイも、焼きつくかの焦燥を心中にかもして嘔吐を覚えたがなんとか堪え、自らの心を鎮めようと霊剣の柄を握った。

「とにかく現地で確認しなければ! 急ぎましょう」

 事は急を争う。言い切る前に地を蹴った。出遅れたアメリも後ろに続く。不穏な空には激しく噴き上がった黒煙が咲いており、爆発の凄まじさを物語っている。

 ルイとビノを頭に乗せたアメリは丘を一気に駆け上がった。視界へ入ってきたのは赤黒い空に照らされ、見渡す限り瓦礫だらけの凄惨な王都の光景だ。しかし一行は、変わり果てた故郷の姿へショックを受けるより先に、ある衝撃的な存在に圧倒されて愕然としたのである。

 幻覚ではない。瞳を離す事ができない。かつてナダン大聖堂だったとおぼしき王都中央に浮く「異形」が、一帯の空気を恐怖で支配していたのだから。

 天までを手中に収めんとする勢いで、空気の重さと競うように立ち昇る濃い煙の中から出てきたのは、ごうごうたる炎の輪を背に纏う巨大な胎児だったのだ。青々と病的な色をした血管が、今にも破裂しそうに盛り上がっている。

 一つしかない大きな瞳を閉じたまま、母の腕の中に包まるような体勢で静止したそれを見た瞬間、全員が不思議と確信した。

 邪神が復活したのだと――

「復活を許してしまったか。してもまぁ、醜い姿だ。なんか炎まで操っとるし。あの時より禍々しさが増してるぞぇ」

 恐れていた懸念が現実となり、ビノは苦しげに言った。

「あれが予言通り力を得て再臨した邪神なの。凄い圧迫感だわ」

 アメリが顔を青くひきつらせ、厳しい表情を浮かべている勇者の手をギュッと握った。

(恐れていた事が起こってしまった。想像以上だ、あんな化物と俺達は戦うのか)

 だが頼みの勇者も再臨し、進化を遂げた邪神に圧倒されていた。足元がおぼつかず眩暈すら覚えていたのだ。不安、緊張、恐怖、興奮、切迫、それら負の感情がどっと勇者の心に押し寄せる。

「下等なるアルターの加護を受けた賤しき者共よ、聴こえていますか」

 荘厳で透明な声色が王都一帯に響きわたった。勇者一行は反射的に身構える。

 開眼。邪神を包む暗黒の焔がよりいっそう大きく燃え盛った。

「このシュマ、幾年の時を超え世界へ混沌と破滅をもたらすべく再臨を果たした。お前達の望む安寧の未来はもはや潰えたが、それでも無駄な足掻きをしたくばワタシの元まで来なさい。して、怖気つきこれぬようであれば――」

 邪神の肌色が急激に熱を帯びたのか、みるみる間に赤く発光していった。それは今にも爆発しそうな火山を思わせる。ルイは先の爆発の原因を直感で察知し、血の気の引いた顔で危機を叫ぶ。

「来るぞ――ッ」

「キャア!?」

 そして、ビノとアメリを抱えて地面に突っ伏した。その間にも邪神の様子を窺ったが、待てども規格外の爆破衝撃はこない。シュマの点滅が止まったのだ。

 ルイ達が恐る恐る立ち上がろうとした時、シュマは絶望的な一言を告げた。

「半日後、世界は次の一撃で焦土となります。さぁ、待ってますよ」

 そこで血の色のように赤く大きな単眼は閉じた。生きとし生けるモノ達の命運を握られている事実を突きつけられ、一行の緊張は極限状態となる。張り詰める空気――それでも尚誰一人として瞳の輝きを失っていない。全員、聖なるアルター神に守護されし自身らの勝利を信じているからだ。

「ただでさえ厄介なジーナすらも比にもならん邪神までも相手しなければならない。それも絶体絶命ときたもんだ」

 ルイは霊剣を抜き、透明な刃を見つめた。凛々しい顔が映る。

(でも、それでもやる。希望を失うな。元より拾われた命、尽きる覚悟は出来ている)

 高鳴る鼓動が悪い緊張感を打ち消した。仲間達の方を振り返る。アメリは霊護符を取り出し、ビノはアメリの頭の上でひっきりなしに跳ねている。戦闘準備は出来ていた。

「結局邪神との戦いは結局避けられぬ運命だという事か。是非もなしぞぇ」

 ビノがもはや悟りきったような声で言い、鋭い牙を見せた。

「最も避けたかった窮境に加え世界の運命までも握られてしまったが、ビノ達のやる事は変わらん。今一度問うぞ。各々、最終決戦に向かう覚悟はできているか」

 語りかけられた最後の確認の意に、ルイとアメリは揃って首肯した。

「勿論です。状況は以前よりも厳しい。ですが俺達はアルターの加護に守られている。勢いのままにメネスへ再び平和を!」

「世界の調和を乱す根源を刈り取れるいい機会だわ。世界を、お兄ちゃんを私達の手で救いましょう」

 ルイとアメリの覚悟を受け取ったビノは満足げに微笑んだ。

「ふむ。聞くまでもなかったか。では勇者、我れらの命を使って借りを返しに行こうぞ」

 ルイが頷き返す。ビノも勇者と同様の心持ちのようであった。

「行きましょう!」

 今度はアメリが先に動き出した。勇者が追従する。

 待ち受ける真の運命も知らず、一行は邪神が浮遊する王都中央へと向かった。

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