血濡れ姫

瓦礫の街の一角。全面が白と青で装飾された、壮麗な宮殿があった。

 庭師のいなくなった庭園は手入れがされていないが、他の建物のように荒らされた形跡は一つもない。生命の輝きを失った街の中、まるでここだけは砂漠に囲まれたオアシスのようだ。

 何故この宮殿は無事で済んだのか。

 それはジーナがこの街を滅ぼした際に、率いていた配下の者が宮殿を気に入ったため破壊を中止したためだ。

 その者は前所有者の諸侯に変わり宮殿に居を構えていた。そして現在、宮殿内の高級感ただよう調度品に彩られたある一室で「娯楽」に興じていたのだ。

  艶やかな黒髪を後頭部で一つにまとめ、上衣と下衣が繋がった露出度の高い紫色の衣服を着たうら若き女の姿をしている。

 しかしどう見ても普通ではなかった。瞳の色は赤色で、何より肌の血色が死人のそれだった。彼女は彫刻のように整った顔を邪悪に歪ませて、手に持ったナイフを楽しそうに回す。

 獲物を狙う捕食者のような視線の先、薄汚れた衣服を着た痩身の中年男性が口から血反吐を垂らし、苦悶の表情を浮かべていた。

 壁に磔にされた挙句、膝や脇原にナイフが貫通しているからだ。

「いい加減吐いちゃいなさいってば。このまま続けたって痛いだけでしょう、せめて最後は楽にイかせてやるって。こっちも温情きかせてやるってのになぁ」

 女は猫なで声で煽り、ナイフの先を舌でチロチロと舐めたが、男は精一杯の強気の姿勢を見せた。

「誰が、貴様なんぞ邪神の手先に仲間を売るか」

 が、どう見ても強がりなのは見透かされていた。

「あなたにとっては邪神でも、あたしにとって今も昔もアルター神なんぞよりよっぽど神様してるわ。今のメネスを見れば嫌が応にも本当の神様か判別つくでしょ」

「今に見ていろ。聖なる神々は霊魂になって、今も見守られておられるのだ! 勇者が死すとも神々が舞い戻り、必ずこの国に神風を吹かせてくれるわい!」

「神風ねぇ。その聖なる神々は復活する兆しなんて全然ないんですが。それより本題をさっさと喋ってくれない? 悪あがき部隊の根城って奴をさぁ」

 嘲る女。豊満で白色そのものな胸を揺らしながら、男の下へと歩み寄った。

「だいたい、あんた達有象無象じゃ太刀打ちできないから勇者と聖霊術士の代表っていう国一番の猛者二人が挑んできたんでしょ。その二人が一緒になってもジーナの旦那に勝てなかったし、聖霊術士の方は体を奪われちゃった。それに外の葬民共は見せたよね、アレはじきにこの国どころか世界を飲み込むよ」

「…………」

「いいから喋ってよ。どう考えたって意味ないし逃げれやしないんだからさ――」

 女がナイフを男の顔ちらつかせようとした瞬間、男は血交じりの唾を飛ばした。

「うぅ、きったな」

 女は花柄のハンカチで唾を拭うと、切れ長で赤い瞳を更に鋭くする。

 そして次の瞬間には、

「ッ!?」

 男の目にはとまらぬ速さで首を狩る。手織りの絨毯と女の衣服が鮮血で染まった。

「手癖悪いんだよ、あたし……あっといけない、服汚しちゃった。ま、いっかな。血の模様も乙なもんよね?」

 からからと笑いながら視線を寄せたのは、開放された窓。

 桟には一羽の鴉がいた。それは頭部分が人間の老婆の顔をしており、まさに異形そのものであった。

 女は特に驚くでもなく愉快そうに鼻を鳴らすと、鴉に話しかけた。

「何の用。幽体投射をするからにはそれなりの理由があるんでしょ、ジーナの旦那」

 異形はジーナの分身だ。彼は幽体投射という聖なる力ではない邪悪な霊術の一種を用いた。術者は自らの魂を分離させ、自由に動かすことができるために遠く離れた拠点からここまで来ることが出来たのだ。使用には並外れた技量が必要だがジーナには造作もない事である。

「相変わらずのようだな、殺人狂」

 ジーナの分身がしゃがれた声で笑う。

「おかげ様で。旦那がアタシを甦らせてくれた日から今日まで、生きてた時よりも絶好調にイマを謳歌してますよん。身体だって随分と軽くなったしね」

 女はうっとりした様子で言うと、愛おしそうに自分の上体を抱きしめた。

「驚いたよ。死んだとこまでは覚えてんだけどねぇ。目が覚めたら世界が壊れちまってたんだもん。そんで突然現れた旦那が街一つくれるっていうんだ。夢でも見てたんだと思っちまったよ」

 現世を彷徨っていた女の怨魂は突如、大いなる悪意の奔流に飲み込まれた。結果、人智を超越した禁忌の存在として現世への再臨を果たしたのだ。

 それこそが邪神と契約したジーナが手に入れた死霊術の力である。

「我が勇者を滅ぼしたのも、その後異教徒討伐を本格化させていた最中、現世で漂っていた貴様含む資質ある怨魂らを発見したのも全ては予め定められし運命。シュマ様の導きなのだ」

 ジーナの幽体が口角をつり上げる。対して女は肩をすくめた。

「はいはい。で、本題を早く教えて。まさかただあたしの様子を見に来ただけじゃないでしょ」

 女の問いへジーナの幽体は力強く首肯すると、不気味な含み笑いを漏らした。

「シュマ様の完全復活まであと僅かとなった。いよいよだ、審判が始まるぞ」

 興奮した口調で語られたジーナの話を聞いた女は、赤色の双眸を白黒とさせた。

「穢れなき世界がどうたらこうたらってやつだっけ?」

「あぁ。我らの魂を献上すれば、シュマ様がアルターの作り出したまやかしの世界から解き放って下さる。清浄土へと昇れるのだ」

 清浄土とはシュマが創ったとされる清涼で何一つ苦しみのない安楽の地である。

 通常、現世を終えた者は輪廻の輪に組み込まれ、長い時を隔ててまた世界に生きる生物として転生する。だが悪行を重ねた者、度を超した強い未練や深い憎しみ、悲しみを現世に残した者は輪廻に組み込まれる事なく現世を漂った後、いずれは煉獄という空間へ取り込まれる。 

 輪廻の輪に加われはしない穢れた魂は炎に焼かれ、苦しみながら無に還っていくのだ。これがアルターが創生した世界の基本原理である。

 しかしシュマはその魂の循環へ自在に介入できる力を持っているのだ。

 ジーナはある目的のため、その世界への道をシュマに開いてもらおうとしていた。

(清浄土ねぇ。平和でつまらなそうだなぁ。暗くて寒くて息苦しい怨魂の時よりはマシだろうけど。でもやっぱりずっと殺しを楽しみたいかな、アタシは)

 ジーナはシュマを信仰すれば清浄土に逝けると躍起になっているが、女は正直興味は薄かった。生き返らせてくれた件には感謝しているが、死後の事なんてどうだっていい。自分の快楽をいかに満たせるかが彼女にとっては重要だった。

「楽しみにしておくよ。じゃ、儚い抵抗を繰り返す人間達はどうする?まだ結構いるみたいだけど誰も根城を教えてくれないの」

「放っておけ、もはや一切の懸念は消えた。他の連中も煮るなり焼くなり好きにしろ」

「はいはい、かしこまりました。でもさ、不安材料がまだ一つあるんだよね」

 女が何気なく放った一言にジーナの幽体が反応する。

「何?」

「街に侵入してきた人間がいるんだよ、今は教会堂にいるみたい。葬民が近づかないって事は大方結界になるようなもんでも置いてるんだろうけど」

「大方街に紛れ込んだ生き残りの聖霊術士だろう。どこに臆する要素がある?」

「葬民の報告だと、まず聖霊術士が一人。こっちはそこそこの霊護符を扱ってるけどまぁ問題なし。けどもう一人の方、白蛇の紋章が描かれた蒼い鎧を着てる奴がやっかいな代物を持ってるみたいなんだ」

 報告の後半部分にジーナの幽体の表情が余裕を失って不安に歪んだ。

「むん、白蛇の蒼い鎧にやっかいな代物だと?」

「青白く透き通った剣だって言ってた、それでみーんなやられちゃったんだって。それって旦那が言ってた勇者の霊剣じゃん! もしや霊剣は一つだけじゃなかったとか……使ってる奴も勇者に負けず劣らずの手練れだろうなぁ」

 女は感激しているのか赤い瞳を狂気に輝かせた。打ち震えてさえもいる。

 だが一方で結果を聞き終えたジーナの幽体は女の反応とは対照的だった。何に怯えているのかガクガクと身震いすると、譫言を呟き始めたのだ。

「葬民を滅ぼす剣など一つしか存在しない……いやまさか、そんなハズが」

「どーしたのさ。急にしおらしくなっちゃって」

 女は能天気な様子で声を掛けるが、ジーナの心境は鬼胎に満ちていた。

「殺せ! そいつも殺すのだ! 必ず殺せ、殺すんだ! これは命令だ!」

 突如発狂して金切声をあげる。女は豹変に驚いてのけ反った。

「いきなり大声出さないで。ヤル事はちゃんとやるよ。ちゃんと調査してみるってば」

 ジーナが激昂した理由がわからず女は首を傾げた。ジーナは羽をせわしなく動かして、正気を失ったように慌てている。

「確認を! 勇者の遺体の確認をせねば……ッ」

 そして一刻の猶予もないと、ジーナの分身は姿をすぐに消した。あまりにも唐突な展開に女は口を開けて唖然としてしまったもののすぐにやれやれと肩をすくめる。

「ったく何だってんだか、ホントにビビリだなぁ、確かに勇者を殺したなら堂々としてればいいのに」

 言って窓から身を乗り出し、彼女のモノとなった瓦礫の街のある一点に注目する。

「でもまぁ、久しぶりに刺激が出来たなぁ。どんな人だか知らないけど、もてなす準備くらいはしなきゃ」

 彼女を高揚させる相手の力の源は、街の中央へ位置する教会堂にいるのだ。

 女は器用に回転させたナイフを口元に持っていくと、蛞蝓のように舌を這わせた。

 

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