運命開花
「う……」
いつのまにか五体に感覚が戻っていたアメリは瞳を開けていた。視界に現実が広がる。
「ホント、最悪」
赤く泣き腫れた瞳を手の平で覆う。まさしく悪夢だった。ずっと考えないようにしてきたのに、無意識の世界とは残酷な景色を見せるものである。
アメリは感傷に浸る暇はないと心に聞かせると、頭を摩りながら慎重に起き上がった。
破られたステンドグラスからは神秘的な月明かりが指している。
もう夜だ。あれから、随分な時間気を失っていたようである。
「結構のびちゃってたか……って、そうだ! あの変な仮面の男はどうなったの」
ふいに思い出し辺りを見渡した。
あの仮面の男が介入していなければ、アメリはとっくの昔に死んでいただろう。
月明かりはあるものの、教会の奥は確認できない。アメリはカンテラを取り出そうと革袋をまさぐった。
「あ、そっか。ぜーんぶ、外にほっぽリ出してきたんだっけ。ははは、はは」
顔が引きつりながらも、もはや笑うしかなかった。己の愚考を受け入れて俯いた瞬間、
「カンテラならここにあるぞ」
低いが良く通る声と一緒に、落としたはずの照明器具がアメリの首の真横へとつき出された。
「わひゃあっ!?」
突然の出来事にアメリは驚愕して飛び上がり、すぐさまカンテラを持った声の持ち主から距離をとった。
そこには仮面の男が立っていた。カンテラに灯った明かりが、生きているのか死んでいるのかわからないくらいに存在感が気薄な彼をぼうっと照らしており、不気味さに拍車がかかっている。
だがそれだけではない。仮面の男はアメリが落としてしまったものを、全て手に持っていた。
アメリは安堵と一緒に気も取り直し、意を決して話しかけようと口を開いた。
「あなた、それ拾ってきてくれてたの?」
「そうとも、この霊護符に食糧と水筒もな。これだけボロボロ落としていたのは何かの策だったのか? だいぶ見ていたがそうには思えなかったが。荷物を軽くするのにも霊護符まで捨ててしまったら、元も子もないぞ」
見た目とは裏腹に口は回るようだ。図星を突かれてアメリは顔を真っ赤にする。
「ぐ、焦ってて何もわからなかっただけよ。面目ないわね……。ともかく、ありがとう」
仮面の男から落し物を受け取ったところである点に気がつき、わなわなと拳を振るわせた。
「ん、どうした? 手が震えているが」
彼が訝しげに覗き込むとアメリは怒りの視線を返した。
「ちょっと待ってよ。あなたねぇ、もしかして私が追われてたの知ってた?」
「それどころか、君が街に入っていくところからな。それにしても、ヴァルの霊魂と対話できるような実力者が、こんなそそっかしい奴だったとはな」
「じゃなくて! 私が葬民に取り囲まれているのに何で助けてくれなかったのよ!」
「葬民の群れがいるであろう街の中にわざわざ入りに行くような者だ、どう見ても怪しい者だろう。まずは様子を見させてもらった」
アメリの憤怒の疑問に仮面の男はしれっとした口調で答えた。アメリの怒りは増すばかりである。
「ふざけないでよ! 怪しいのはあなたでしょ、何よその変な仮面は!」
「うぐ。こ、この仮面は。その、あの」
「何よ?」
「むむむ……」
仮面の話題を出した途端、ひょうひょうとした態度だった男が突然動揺し始めたのだ。
そして、アメリが引っ掛かった点はそれだけではなかった。
「煮え切らないわね。まぁいいわ、仮面はどうだっていい。そんなのより一番聞きたいのは、その格好に剣の事よ!」
「今度はなんだと言うんだ? 鎧とっ、け、剣がどうかしたのかっ?」
完全にペースに飲まれた仮面の男が声を上擦らせた。アメリは碧色の双眸をいっそうに鋭くして男を指差す。
「白蛇の紋章がついた蒼色の鎧はエリオット王家のものだわ。それにこの触らなくても分かるくらい尋常じゃない霊位を持つ透けた剣は、世界に一つしか存在しないはず!」
霊位とは霊的な加護の強さを示す言葉だ。聖霊術士のような神と通じる者は霊護符をはじめとする、霊位の高いものを感じ取る能力を有している。しかしその場合、実際に対象となるものへ触れてみないと霊位を感じる事はできないのだが、男の持つ剣は触れずとも理解できるまでに高い霊位であるのだ。聖霊術士は本人の技量により神々から借りれる加護の大きさが変動するのだが、仮面の男の持つ透明な霊剣は、そのような加護の力の差を考えるのが嫌になるくらい霊位が高く、通常では有り得ない。
これを「かの霊剣」と言わずして、何だというのだろうか。
「そんな高い霊位の剣はこの世に一つしか存在しないはずよ……!?」
そして疑惑は確信に変わる。アメリは本人を建国祭等の祝事、そして王都から討伐へ向かう勇者を見送る勇者出立の儀で拝見した記憶しかない。だが持っている剣が何よりの証拠。
目の前の男はエリオット家の一人息子であり、英雄フェンブルの再来と言われる稀代の剣技を持つ男、
「まさか、でもあなたはジーナと戦って戦死したんじゃ――」
フェンブルの役についたルイ・エリオット王子であるとしか考えれらなかったのだ。
驚愕を帯びた視線を受ける仮面の男の返答は、
「違う!」
不自然なまでに強い否定。いきなり大声を出され、アメリはびくっとたじろぐ。
「俺は、本物の勇者ではないよ」
続けて弱弱しい口調で付け加え、首を横に振った。
沈黙。割れた窓から入ってきた夜風が双方の身を冷たく撫でる。聖霊術士の少女は腕を組んで少しばかり考え込んだものの、やはり納得はできなかった。
「それじゃあ、あなたは誰だっていうの?」
勇者にしか見えないのに問われた本人は打ち消したのだ。ならば本人の口から説明してもらうしかない。アメリは仮面の中を覗き込むように、渋面を近づけた。
すると、仮面の男は息を整えるように何度も大きく呼吸し、
「いきなり大きな声を出して済まなかった。やはり、話すしかないようだ」
決心を固めたように語り出したのだ。
「まず自己紹介を。俺の名は……」
「名は?」
ごくり、と思わず唾を飲み込むアメリ。
「ミ……」
何故か喉の奥につっかえているかのように名を言えない仮面の男だったが、
「ミ?」
アメリが訝しげな視線を寄せた瞬間、ようやく時が動き出したようだった。
「お、俺の名はミック。この鎧に剣は君がもしやと思っているもので間違いない。フェンブルの霊剣に王家の鎧だ。託されたんだよ、ルイ王子本人にね」
「――ッ!」
ミックと名乗った男が、しどろもどろな口調で語った衝撃的な内容に、アメリは口を半開きにしたまま咄嗟の言葉さえ出なかった。
そして少々の落ち着きを取り戻した次の瞬間には、血相を変えて猛牛のような勢いで詰め寄ったのだ。
「託された、ですって!? 勇者を、どこの馬の骨もわからない人に!?」
「おわッと!」
ミックは多少面食らいながらも、興奮するアメリの両肩を抑えた。
「君が取り乱すのもわかる。順を追って説明するから、どうか落ち着いてくれ」
「これが落ち着いていられるもんですんか。ミックって言ったわね。何がどうなってるのか、とにかく洗いざらい話しなさい!」
「う、うぅ」
全て暴かんとする眼差しにミックは何故だか酷く圧倒されていたものの、それからやれやれとため息を吐いてから会話を再開させた。
「実は……俺は壊滅した剣士隊本隊の一員なんだ。唯一の生き残りのな」
「え!? そ、そうだったの」
目を見開いて驚いた後、しゅんと肩を落とした。
仮面はともかく彼の身なりに納得もした。彼女は周りの友が剣士隊に所属していた各々の大切な人を例の戦いで亡くし、悲壮感に包まれていた様子を見ている。
仮面の男は説明を続ける。
「あれは北部地域での戦闘だった。俺は葬民に吹き飛ばされた仲間を受け止めようとしたが、そのまま共に川岸へと倒れ、頭を打って気を失ってしまったんだ。情けないものだよ、それからどのくらい経ったかわからない……気がついたら周りは数えきれない骸の山々で葬民共の姿もなかった」
凄惨な光景を思い出したのか男はわなわなと身を震わせる。
「剣士隊の全滅には街中の皆が悲しんでいたわ。家族を、友を失ったと」
アメリにはその喪失感が理解できた。碧色の双眸が涙で潤む。
「目の前が真っ暗になったよ。ただ俺もこのままではやりきれんと剣を取り、状況もわからず怒りのまま無我夢中で走っていた」
仮面の男が霊剣を自身の目先へ掲げる。
「そんな時だったのだ。森の中、大樹の根本で倒れたルイ様その人を見つけたのは」
勇者の名前が出た途端アメリは驚きに目を見開き、
「ルイ様が!?」
そして顔をこわばらせた。ルイは頷くと、俯いたまま語った。
「俺が見つけた時、ルイ様はすでに息絶える寸前だった。何故そこにいたかわからないが彼はジーナとの戦いに敗北したのだとはわかった。そして満足に話す時間もなく有無を言わさず全てを俺へ託し、逝かれたのだ」
「そんな……。でも、あなたはそれだけで全てを承諾したっていうの?」
「あぁ。死の間際だ、無念の想いを誰でもいいから引き継いでほしかったんだろう。それに俺だって国の危機を見過ごすだけしかできない現状が許せなかった。ルイ王子と出会った時に感じたよ、これは運命なんだと」
「運命……」
真剣な声色からして真実だとアメリには思えた。
「仮面も被っているのは余計な混乱を招かないためさ。おいそれと事情を飲み込めんのは承知だが、本当に起こった話だ」
むしろ、人を信じさせる不思議な説得力が感じられた。
アメリは押し黙ったまま視線を逸らし、思考する。
不明瞭な点もあるが、彼が剣士隊の者ではあるとは先に見た剣技より理解できる他、何より霊剣と鎧が実際に目の前へある。
つまり現状、仮面の男の話は事実だと考えてもおかしくない。
しかしそうならば、
(この人が本当に勇者代理というのなら――)
最悪の懸念事項が一つ生まれる事となる。
アメリの目じりに涙が浮かんできた。男が託された使命が意味する残酷な未来が予想できたからだ。
「俺は遺志を継いで絶対にジーナを倒すと、ルイ様に誓ったんだ! 奴は邪神を完全に復活させようとしている。それを防ぐため勇者の補佐、フランク・トローマンを――」
「わざわざ言わなくてもわかるわよ。倒すんでしょ? だって、体をジーナに乗っ取られたんだから助かりようがないものね」
そこまで聞けば十分だった。アメリは無理やりに会話を遮る。
「王都が落とされた時、私はそこにいたの。ジーナが街の皆に聞こえるよう、ご丁寧に説明してくれたのよ。だってフランク・トローマンは、死霊術師に体を奪われた聖霊術士代表は私のお兄ちゃんなんだからッ!」
堰止めていた思いを吐き出さずにはいられない。
ベロムの流れを継ぐ聖霊術士代表として勇者ルイ王子と共に戦ったのは、アメリの実兄だったのだ。
「…………」
しかしミックは衝撃の事実に驚くでもなく、まるでその反応を予想していたかのように無言を貫く。
仮面の下の表情を探る余裕など今のアメリにはなかった。
「教皇様も戦いの果てに輪廻の輪に逝かれて、私は生き残った人達と逃げたわ。それで北東部のレドナの街に着いたの。皆はそこで、お兄ちゃんは悪魔に魂を売った男だって触れ回ったのよ! お兄ちゃんの体は良い様に使われてるだけで何も悪くないのに!」
皆が驚き慄いただろう。ジーナではない、勇者と共に死霊術師に挑んだフランクその人が葬民を率いて王都を陥落させに来たとしか見えなかったのだから。
「私はそれが現実として受け止めれなかったし耐えられない。だから安全なところから飛び出したの。方法なんて思いつかないけども、お兄ちゃんを助けたい一心で葬民が少なかった北のルガナ盆地を通って、ジーナの支配領域まで入ったわッ。奴は王都を邪神復活の祭壇にすると宣言したからッ」
ここまでの軌跡を激情のままに明かすアメリ。無理もないのかもしれない、十代の少女には到底抱えれない出来事だ。
最後にアメリは、懇願するようにミックの腕を掴む。
「お願いミック。あなたの事は信じるわ。でも私が直接会って話すまでは、どうかお兄ちゃんを殺さないで!」
依然として無言のままアメリの話に耳を傾けていたミックは、
「成る程。こんな危険な場所にいるのは、そういった理由があったのか。まさかフランク様の妹だとはね」
少々わざとらしさを感じさせる口調で言った後、アメリの肩に手をやった。
「だが順を追って説明すると言っただろう。俺はジーナを倒す役割をルイ王子から担ったとは言ったけど、フランクを倒すなんて頼まれていないよ。助けるんだ、フランクの体からジーナの悪しき魂を追い出す方法があるのさ」
そして彼女の心をポジティブな方向へ揺り動かす言葉を言い放ったのだ。
「へ?」
聞き終えたアメリが間の抜けた声を出して、ミックを見上げる。
「そんな方法なんて存在するの? 奴がいくら邪悪な存在でも魂は内側にあるし、アルターの加護を受けた武器でも追い出すことはできない。不可能にしか思えないわ」
「この霊剣はただ悪しき存在を成敗するだけじゃない、肉体に入り込んだ邪悪な魂のみを切る事が可能なんだそうだ。ルイ様は失敗した事をとても悔しがっていたよ」
ミックが霊剣を翳す。すると刀身が瞬く間に眩い光で包まれ、青白く点滅しだした。
(凄い。そんな効力があったなんて)
アメリの心の中に確かな信用と光り輝く希望が生まれる。期待の色を宿した視線をミックに向けた。
「本当? 本当にお兄ちゃんを、この国を救えるの?」
ミックは頷くと胸に手を当てて、深々と頭を下げた。
「ジーナを切り裂いてフランクを元に戻す。それでこの国蔓延る葬民も全滅する。全てを救うと、勇者を託された者として約束しよう」
もはや迷いはない。アメリは涙を拭うと、右手を差し出した。
「アメリ。私の名前はアメリ・トローマンよ」
差し出されたその右手をミックは感慨深そうにしっかりと握った。
「アメリ……いい名前だ。ではさっそくだが、君の今後について話そう」
「なんと言おうがついて行くわよ。ここまで来たんですもの、今更帰るものですか。兄に変わって私が聖霊術士代表の代理を勤めるわ、勇者さん」
声色は揺ぎ無い意思に溢れていた。泣き晴らした顔も完全に晴れていたのだ。
そしてミック。彼の返答は――
「最後まで人の話を聞かないな、君は。そう言うつもりだったさ。少々心もとないが後ろは任せるぞ、アメリ・トローマン」
アメリの期待通りとなった。彼女の決意はより断固たるものとなる。
だが、希望を含んだ笑みを返す聖霊術士の娘に対し、仮面の下に隠された黒く細い双眸は陰りに満溢れていた。
(アメリ、俺は……)
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