法律に関する想像

和泉茉樹

法律に関する想像

 僕が接した世界では、違法でなければ裁けない、と平然と口にする人間がいる。それも普通の良い年をした大人が。

 これは僕の中では議論の一つのテーマで、つまり法律とは悪を定義し、禁止事項を設けることに終始する仕組み、としか思えない。

 これはしてはいけません、という姿勢が法律の基本で、これをしなさい、という姿勢の文言は極端に少ないのでは。

 この、禁止と推奨と関係性は、根本的に両者の性質が真逆だということも示すと思う。禁止は正しい行為を逆説的に浮かび上がらせるけど、推奨は逆説的に悪を定義できない。推奨は方向性を定めるが、その勢いや限度を定義しない。

 ここで僕の言いたいことをはっきりさせると、あなたは生きていく指標をどうやって定めるのか?という問いかけが、本題です。

 大抵は、正しい人間でいたい、と思うはずだけど、正しい、とは、違法行為をしない、ではないはずだ。もしこの二つをイコールで結んでいるとしたら、それは違法ではないが、ずる賢い生き方、というレッテルを貼って差し上げよう、となる。もしくは卑怯な生き方だろう。もちろん、ずる賢くても良いし、卑怯でもいいのだが、僕は不愉快な人間とは共存したいとは思えない。

 この、違法でなければ許される、という立場は、実は極端な責任放棄ではないか、とも思う。話が途端に遠回りになるが、基本的に現代日本の法律は政治家が決めるし、その政治家を選ぶのは我々で、要は法律を作っているのは我々ということになる。

 不思議な話になってくるが、最近のトレンドとして、児童虐待が問題になった。少し時間を遡ると、個人情報を守る手法も議論になった。この二つには法律が作られたと思われる。

 では、法律がなければ、児童虐待は許され、個人情報がそこら中に広まっても許されたのか?

 不愉快なことながら、今ほどの問題にはならなかった。その理由は我々が注目しなかったという一点に尽きるし、それはそのまま、無責任にも、他人事と思っていた、となるのではないか。法律ができたのは我々がそれに注目したから、となる。

 法律はこのように悪に光を当てることで、その影を浮かび上がらせる性質がある。しかし一部の人間は光が当たらないところで自由に振る舞い、何をしても良いと思うようだ。そして我々は敢えてそこに光を当てようとしない。

 ただそんな立場を無責任だと断じなければいけないのは、その闇の中で害を受けた人間が確かにいるのに、見えないふりをするその姿勢にある。法律という光は、何故か多数が集まらなければ生まれず、そして多数が、光が当たらなければ大抵は知らないか、知らないふりをしている。

 ここからは空想に近くなるが、法律で善悪を決める人間は、おそらく現代日本の自由に浸りきって、法律とは自由を保障する、と思っているのではないか、と僕は考えている。

 人間はそもそも自由だし、自由では立ちいかない要素、もしくは整理と目安が必要な要素があるから、法律という形に必要性が生じる。

 例えば言論の自由は保障されているが、もし誰かが法律を変えて、言論の自由を我々から取り上げたら、我々はおそらく、その改悪に反発するだろうと思う。しかしここで逆転が起きているのは明らかだ。法律に反さなければ全て自由という主張が暗に示している「違法ではない」の範囲が、全体が置き換わることで、致命的にずれていることに気づく。

 古い法律では「内閣総理大臣はクソ野郎だ」と言うのは違法ではないが、新しい法律では、それが死刑になるとすれば、違法ではなければ許される、と主張する人間は、法律が変われば「内閣総理大臣はクソ野郎だ」と口にしなくなるのだろう、と予測するが、ここにも無責任さが現れる。つまり法律が善や自由を定義しない、むしろ悪を定義する、場合によっては無制限に悪を定義するという性質は、違法でなければ許される、という間違った法律の解釈を持っていると、法律の手綱を手放しているのと同義な現象を招く。

 おそらく法律が暴走する、端的に言えば独裁じみた形になる前に、我々は声を上げるだろうが、そこではあるいは速さ比べになるかもしれない。声が高まる前に法律を作れば、我々の声を封じるのは容易い。何せ、法律が善悪を決める、と考えて責任を放棄している人間が確かにいるためだ。

 結局、法律とは共有されている幻想に過ぎず、何かの前提のように一般的に理解されるが、本当の前提は、正しいことは何か、を求める人間の思考の一部と思われる。正しさを求めてさえいれば、おそらく全ての法律は用をなさない。しかし人間は必ず悪をなすために、法律で予防線を張るのだろう。

 未来のことを考えると、法律はどんどん増えて、どんどん窮屈になると思う。法律がなければ何でも許される、という姿勢がある限り、その闇の中の悪徳がいずれは光を当てられる対象になる、という仕組みだと思う。

 もし何十年か経って、禁止事項ばかりだな、と感じることがあったら、それは遥か前から、禁止されてないから問題ない、という姿勢の無責任な人間がいたからだ、と思うしかない。

 法律は政治家や一部の特権を持つ人間が作っているのではなく、我々、国民や世間がそれを生み出す土壌を作り、悪徳という種を蒔いているから、出来上がると僕は思っている。

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