第57話:僕の本当の気持ちは

「マルムさまはどこへ行かれたんだ!」

「院長さまは、私たちをお見捨てになったの!?」


 ほどなく。町の人たちが目覚めて、混乱の声が上がった。

 わけも分からず意識を失って、起きたら指導者が居ない。訊ねれば「町を出て行かれた」と老人が答える。

 それは、さぞ驚くことだろう。毎日が急流下りのような世界で、これほど安全な街を拵えた人だ。その陰に非情の独断があったなど、この人たちは知らない。

 ――終わったんだ。そしてこれからも、この町は続いていく。

 人が突然に凶暴な獣と化す、怖ろしい病。それはもう二度と起こらないと、伝えなくては。


「皆さ――」


 橋の高いところに立ち、真相を何もかも話そうと思った。向かう一歩を踏み出したところで、腕がつかまれた。


「おい、小僧」

「どうしたんです?」


 振り向くと、師匠が首を横に振っていた。


「お前さん、何て言う気だ? レティシア嬢ちゃんみたいに、心酔してる奴ばかりだぞ。下手をすりゃあ、殺される」

「そんな! だってマルムさんは――」


 反論しつつ、納得もしていた。

 全ての人、その家族が病に罹ったわけでない。一人や二人が死んでも、街の豊かなほうがいいと考える人だって。もしかしたら、居るのかもしれない。

 あの人の独断を許せないと思ったのも、僕の独断に過ぎない。


「俺は信じたさ。お前さんは、嘘が吐けるほど頭が良くねえって知ったからな。そうでない奴らにゃ、天使さまだってどうだか」


 マルムさんの去ったあと、いつの間にかホリィの姿も消えていた。頼るつもりも必要も感じていなかったけど、こう言われてしまうと不安になる。

 けれどもレティさんのように、天使さまよりマルムさんを優先する人も居るに違いない。

 ――何てことをしてくれる、って。袋叩きかな。でも、言わないって選択肢はないや。


「師匠、忠告をありがとうございます。だけど僕は言いますよ、起こったことを隠さずに」

「本当にいいのか。俺がどうにか言って、待たせることはできる。主だった連中から順番に伝えるか。それとも最悪は、お前さんも雲隠れするか」


 色々と話してきて、師匠の気質は知っている。きちんとすればできることを、ごまかしたり放置したりするのをとても嫌う。

 その人がここまで言ってくれる。シワだらけの顔を、ますますひしゃげさせて。


「ダメなんです。僕はここへ来る前に、ただ一つだけ両親に疑問を持った。ここで逃げたら、僕はそれを問えなくなるから」

「シン……」


 事実を言って、何が良くなるでない。知らずに居ても、時間の進み方は変わらない。むしろ落胆させるのが分かりきって、言わないほうが正解かもと強く思う。

 ――でも僕は、教えてもらいたかった。


「皆さん。伝えなければならないことがあります。修道院の院長、マルムさんのことです」


 名を出した途端、ざわめきがピタリ止まった。何百、何千という目が一斉に僕を見つめる。

 ざばざばと湧き出る温泉の流れ。それに川のせせらぎだけが、聞こえる音の全てだ。

 怖い。けど、僕が言わなきゃならない。唾をごくりと飲み込んで、僕は叫ぶ。


「この町を襲っていた獣化の病は、もう二度と起きません。あれはマルムさんの企てたものだからです!」


 しん、と沈黙が続く。

 ――聞こえなかった? それとも言葉が通じなかった? そんなまさか。

 などと考えていると、数瞬も遅れて静けさの底が破れた。


「まだ言ってるのか!」

「あなたが院長さまを追い出したの!?」


 どっと詰め寄る人たち。押し込まれては、話すことさえできない。

 両腕を広げて、師匠が立ち塞がってくれる。でも一人が二人になっただけで、みんな止まる気配はない。


「みんな待ってくれ!」


 大きな。大きな声。聞き覚えがあるのに、誰のものか分からなかった。主を探すと、脚を引きずりながらようやく歩いてくる姿が。


「ダレンさん!」

「みんな、待ってくれ。もう十分に殴ったろう。頼むから、シンの話を聞いてやっておくれよ。それで気に入らなきゃ、また俺を殴ればいい」


 服を引き千切られて、顔も身体も痣だらけだ。あちこち血が滲んでもいる。腕を押さえているのは、折れていなければいいけれど。


「そうだ。てめえの言いたいことだけで、こっちの話は聞かねえづくか? 俺はてめえに、てめえらの旦那に、そんな仕込みをした覚えはねえ!」


 声を張り上げた二人。怒声というには、優しい声だ。ダレンさんは素より、師匠の懇願を住民たちは無視できない。

 多くの職人たちは、何かしらで師匠の世話になっている。この町に住んでいて、ダレンさんに頼みごとをしなかった人はほとんど居ない。


「どうか聞いてください。これは僕が勝手にやったことです。許してはいけないと、僕が思ったから」


 みんな渋々の表情で聞いてくれた。まあ座れと師匠が言っても、それには従わず。

 でも最後まで、野次の一つもなかった。僕がどうして原因を知り、マルムさんに否を突きつけるまで。全部を聞いてくれた。


「あの人に任せておけば、この町は国一番の大きな町になったのかもしれません。それも病気や怪我、災害で死ぬ可能性が最も低い街です」


 多くの人が頷いた。それがマルムさんへの信頼の高さ。正しいことが正しいとは限らないという証明。


「僕は嫌だった。僕が居るこの場所で、自分の知らない間に、勝手に生き死にの決まるような無法が」


 納得してもらえるのか。

 それは考えない。僕は正直な気持ちを見せるだけだ。間違っているなら、僕も去ればいい。


「僕は治癒術師です。薬を作ったり、作物をちょっとうまく育てられたりします。すると人を癒やしたり、お腹をいっぱいにできます。それが僕のやるべきことだと思っていたけど、違いました」


 正直な気持ち。たぶんマルムさんは、誰にも見せなかった。僕自身、彼とのやりとりで自覚した。


「僕は人を癒やすために。ヒーラーとして生きるために、ここへ来たんじゃない。誰かに報告するための、実績なんかになるためでもない。僕はこの町の、一人の住人になるために来たんです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る