本当の自分

八咫烏

第1話

よくYouTubeで殺人事件の考察の動画を観たりする。

その動画のコメントで殺人犯の事を罵ったり または可哀想な生い立ちに同情したりと色んなコメントをみかける。

遠い昭和の大殺人犯や現代社会のサイコパス的な殺人犯の動画を観て、その動画のコメント欄にある可哀想な生い立ちって何なのだろう…と思う時がある。そもそも偉大な学者さんかなんかが虐待は連鎖するっていってたのを聞いた事がある。全ての犯人にこれを当てはめて良いのか?

人は自分がされた事を人にするのは本能なのか?自分はどうなのか?

自分の過去を振り返ってみた…

本当の自分を…


私は長崎県長崎市に生まれた。

1番小さな時の記憶はお父さんが仕事に行く時にバイクの後ろに乗せてもらい近くの駄菓子屋さんに連れていってもらってアイスクリームを買ってもらった事。

それがとても嬉しくて歩いても大した距離でもないのに走って帰る。

走って帰りお母さんにアイスクリームを見せた途端、私の持っていたお父さんに買ってもらったアイスクリームをゴミ箱に捨てられてしまった。

「お父さんから買うてもらったもんやら捨てんね!お母さんが買うてやるけん」

これはその時に思ったのかその後に思ったのかは覚えていないけれど、アイスクリームの問題では無くて、お父さんに買ってもらって嬉しかった気持ちが問題であって、アイスクリームを捨てて新しくお母さんが買ってきたアイスクリームでは意味が無いのにと思った。

例えるなら、全く同じダイヤのネックレスがあって 大好きな彼氏から貰ったネックレスを捨てられてて 同じ物だからと他のネックレスを渡された時にどう思う?と、いう感じかもしれない。

父と母が離婚したのは私が4歳の時だったのだからその前3歳とかなのか…記憶ではお父さんが可哀想…そう思ったのを覚えている。

これが1番小さな時の記憶というか覚えている中で1番衝撃的な出来事で、その当時まだ水洗トイレじゃ無かった時に1人でトイレに入って用をたしていて蚊が足に止まりビックリして泣き叫んだらお母さんが飛んで来たとか色んな記憶はあるんですが…

次はどこか分からないが今思うと 市役所なのか家庭裁判所なのか。

多分、離婚が決まって両親が決別している場面。それと同時に両親から、どちらについて行くか聞かれて あのアイスクリームの事を思い出し「お父さん」と答えた事を。まだ赤ちゃんの妹だけお母さんが連れていくと聞いて父に何故か訪ねて「まだ赤ちゃんやけんお父さんでは面倒をみれんから」と聞かされ「私はオムツも替えてやれるし私が面倒みれる」と言った事。もちろん当時の私は本気だったのでしょうが無理に決まっている。4歳ですから。その時はまだ自分よりも小さくて可愛い赤ちゃんの妹が好きだったのだと思う。

その時は…

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