2-14 観念

 数日後の夜。

 白米とインスタント味噌汁、値引きされていた惣菜をかっこみながら、俺はテレビを見ていた。

 ――ここ数日のローカルニュースを確認してみているが、獄原一味のことは一ミリも報道されていない。ゴミ清掃事務所に捨ててあった新聞も読んでみたが、載っていたのはつまらない詐欺集団が検挙されたという小さなニュース程度。

 大規模ではあったが、目撃者のほとんどいない郊外での潰し合いだ。報道する価値もないとされたのか、警察の預かり知らないところで全ての決着がついたのか、――実はまだ何も終わっていないのか。不安になって山瀬にLIMEで聞いてみたが、「間違いなくちゃんと終わってるし、再興の目処も立ってないよ」というそっけない返事が返ってきただけだった。

 ため息をつきながら食器を流し台に持っていくと、コンコンコンコンコン! とドラムでも叩くようなペースで部屋の扉がノックされた。

「誰だよ……」

 茶碗をうるかしてから、のろのろと扉に近づく。チェーンをつけたまま、ドアの向こうを伺う。

「……はい」

 部屋の前にいたのは尾花だった。

「お-、いたいた。オッスオッス、いやーよかった、カラスまで捕まらなかったらどうしようかと思ったぜ」

 あの日の深夜二時に帰ってきたその足で叩き起こして、寝ぼけ眼の尾花の胸に戦利品を押し付けて以来だった。

「こんな時間にどうしたんだ」

「へっへっへ。……じゃーん!」

 尾花は赤を基調とした紙袋を手渡してきた。

 袋の前面には大きく『トントン点心』のロゴが書かれている。

「これ……」

 紙袋の底面にはシュウマイの紙箱と――個包装の特上海鮮まん。

「……いいのか、こんなに貰って」

「あー……いや、なんかさ、もう無理だーと思ったものが取り戻せたんだなーと思ったら、CD見るたびにすっごく嬉しくなっちゃってさ。投げ銭しないとどうしようもなくなっちゃったっつーか。……マジで高かったんだからな、感謝して味わって食べろよ?」

「わかった、ありがたく頂く。……これ二人分だよな?」

「山瀬の野郎の分だよ。あいついなかったからさ、カラスから渡しといてくれよ。俺より会う確率高いだろ?」

「いや……俺も最近会ってない」

「あ? そうなの?」

「元々行動時間ずれてるんだよ。出勤時間も帰宅時間も。休日合わせない限りはまず遭わねーな」

「LIMEとかは?」

「ちゃんと返ってくる」

 ……俺が不安になって送ったLIME以外、やり取りは一つもないが。

 尾花が唸って腕を組む。

「お前らの関係ってなんなの? めっちゃ仲良しかと思ったら全然連絡取らなかったりするじゃん」

 同じアパートに住んでいるだけにしては共に潜った修羅場が多く。

 仲間や友人と呼ぶには、積み重なった確執が多すぎる。

「……何なんだろうな、俺にもわからねー」

「あっそ。……ま、俺は約束は守る男だからな、CDの報酬はこれでチャラってことで」

「約束を守る男を自称するなら、次からゴミ出しのルール違反はするなよ」

「こんな時までそれかよ!」

 尾花は苦笑した。

「……けどまぁ、気が向いたら守ってやるよ」

 気が向いたら、じゃなくていつも守れ。市民の義務だ。

「そんじゃ、ありがとな! ……賞味期限短いから、早めに山瀬捕まえろよ!」

 こちらの返事も待たずに去っていく尾花を見送る。背中にギターケースを背負っているから、今日もどこかでライブがあるのだろう。

 手の中に残された二人前の重みに、ため息をつく。

「お礼とか言っときながら、結局山瀬に渡すっていう面倒事は俺に押し付けるのか……」

 山瀬と顔を合わせづらいのは俺も一緒だった。あんなに山瀬の悪意に晒された後で、一体どんな顔をして会えばいいのやら。

 ……けれども、この先一生避け続けることは出来ない。同じアパートの隣人だ、どこかでは鉢合わせる。避けた期間が長いほど気まずさは上がるし――何より、今の俺には賞味期限というリミットがある。

「覚悟決めるか……」

 俺は尾花に押し付けられたきっかけを、しっかりと握り直した。

 

 山瀬が帰ってきているのは音でわかっていた。

 帰宅から一〇分は経っている。心の準備が万全とはいかないが、これ以上遅くなれば山瀬は風呂に行ってしまうかもしれない。寝てしまうかもしれない。今しかない。

 意を決して紙袋をひっつかみ、部屋着のまま外に出る。五歩も歩けば山瀬の部屋だ。少しだけ深呼吸をする。――大丈夫だ、何気ないフリでいこう。次に会う時に気まずくならない布石さえ打てればいい。

 勢いでドアをノックする。

「山瀬、俺だ。いるか?」

 そう聞いたのは決まり文句のようなものだった。少しの沈黙の後、「今行く」と壁越しに返事があり、一〇秒もしないうちにドアノブが内から回った。チェーンもかけず、無防備に扉が開く。

 山瀬は髪を下ろして眼鏡をかけていた。実用性と無難さ一辺倒の黒縁メガネ。当然カラコンは外していて、目の色はありふれた黒になっている。

「悪い、寝るところだったか」

「別に。どうかした?」

「尾花から預かりものをしたから、届けに来た」

 右手に握っていた赤い紙袋をを差し出す。

「ああ、シュウマイか。すっかり忘れてた」

「すっかり忘れてたって……それ絶対に尾花の前で言うなよ。海鮮まんまでつけてくれたんだから」

「すごい、大盤振る舞いだね」

 心の篭もっていない声で山瀬が紙袋を受け取り、袋の中身を検める。

 用事を無事に済ませることが出来たと安堵しかけて……ふと気がついた。第一関門は突破できたが、これでは本当にお使いを果たしただけになってしまう。……今後の気まずさが、何もしなかった時と殆ど変わらない。

 ありがとう、さよなら。そんな上っ面だけの言葉で終わらせないために、俺は必死に言葉を探す。

「お前の部屋って蒸し器あるのか?」

「ないけど。電子レンジでやれば十分かと思ってたよ」

「それでもいいけど、結構いいシュウマイみたいだからさ。折角だからちゃんとした食べ方したいだろ」

「カラスってそんなに料理に拘るタイプだっけ」

「中古で買った万能鍋セットのおまけだ。……活躍させる機会なんてそうないし、どうせなら使ってみたくてな。そうだ、蒸し器がないってならお前の分も――」

「――何考えてるの?」

 薄氷の上を踏むような日常会話が、途切れた。

 山瀬は冷え冷えとした言葉と眼光で俺を刺す。

「あれだけの事されたのに、何事もなかったかのような顔してまた仲良くしようって? 記憶力大丈夫?」

「……何事もなかったのように、なんて出来るわけねーだろ。何年も前のトラウマすら未だに悪夢に出るってのに」

 山瀬に負けじと、俺も山瀬を睨み返す。

「それでも着地点ってもんが必要だろうが。……それともあれか? お前、『全部水に流してまた仲良く』か『許さないし二度と遭わない』の二択しか世の中にはないとでも思ってんのかよ」

「自分のことを面白半分に破滅させようとした相手を許さない、けど距離を置くつもりもないって? 知らなかったなぁ、カラスって被虐趣味あったんだ」

「……山瀬。テメーはテメーを過大評価しすぎだ」

「は?」

「自分が近くにいると俺がダメージ喰らう? 自惚れてるにも程があんだろ。例え本当にお前が有害だとしてもだ、誰がお前なんかのために引っ越してやるかバーカ!」

「バ――――?!」

 小学生みたいな俺の悪口に、山瀬が顔を引きつらせる。氷のような偽悪が剥がれ落ちて、その下から困惑しきった表情が現れた。

「――勘違いしてるんじゃないの。この先また半グレ絡みの妙なことに巻き込まれても、自分だけは無事で帰ってこれるって」

「それだけはねーよ」

 力強く断言する。生まれてこの方、恵まれてたことの方が珍しいし、ツイていたことなんてさらに稀だ。

「山瀬も近くで見てただろ、俺の不幸体質。次から次へとトラブル引っさげて、この短期間で二回も殺されかけてんだぞ。お前から離れたところで、またどデカいのが来るに決まってる」

「それなら尚更だ。どうして自分からトラブルの側に寄るような真似をするのかな」

「……んだよ。隣近所と親睦深めてどうにか円満にやってこうってのが、そんなに悪いことかよ」

 沈黙。

 ――真顔を維持できず吹き出したのは、ほぼ同時だった。

「くっ……あははは! そんなさぁ、拗ねたみたいに言わなくてもいいじゃん」

「ふへへへ、うっせーな、他に思いつかなかったんだよ」

 さらにひとしきり、笑いの波が収まるまで腹を抱えて二人して笑う。

「……あーもう、ふふ、バーカって。そんなストレートなの超久しぶりに聞いたよ」

「いつまでも笑ってんじゃねーよ、勢いに任せてアホみたいなこと言ったの俺だけどさぁ。……次、夜開いてるのいつだ」

「……明日だね。元々休みの予定なんだ」

「決まりだな。七時からでいいか?」

「大丈夫だよ。飲み物だけ持ってカラスの部屋に押しかけるね」

「結局また俺の部屋かよ」

「誘ったのカラスなんだから当然でしょ」

「……まぁ、そうだわな。俺の分は烏龍茶で頼む、仕事の前日は飲めないんだ」

「そうなの? 了解、じゃあまた明日」

「おう。……また明日」

 軽く手を振り、扉を閉める。

 大きくため息をついて――ため息をついた自分に気づいて苦笑する。

 ……山瀬が引っ越してきたとわかった時はあれだけビビりちらしてた俺が、『また明日』と言えたことに安堵している。それが、妙に面映ゆかった。

 

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