灰色世界の境界でカラスと蛇蝎は隣り合う

@pochi-e

灰色世界の境界で

0-0 半グレ

 人生のほんの一瞬。ほんの6時間だけ、俺は半グレだったことがある。

 中卒で最初に就いた仕事をイジメに耐えかねて辞めて、次のアテもなく途方に暮れていた時、中学時代の先輩達が仲間として俺を拾った。先輩、といっても、部活もやっていなかったので直接的な関わりはないに等しい。ただ、そのうちの一人が、やる気なく校風委員をやっていた俺に見覚えがあるとかで、からかいまじりに声をかけてきたのだ。

 戸惑う気持ちもあったが――それ以上に、俺は嬉しかった。帰っても何も楽しいことのない家、卒業してしまった学校、進学以来疎遠になるばかりの友達、逃げ出した職場。世界が俺を締め出す中で、唯一居場所といえる場所が出来たのだ。

 輪にいれてくれて、話を聞いてくれて、笑いかけてくれる先輩たちのためになら、俺はなんだってやった。単純なパシリも、先輩たちが冗談めかしてシノギと呼ぶ金儲けの手伝いをするのも、――先輩たちのやる、少し悪いことに目を瞑るのも。最初は俺だって先輩たちの悪事を止めた。けれども鼻白んだような冷めた目を向けられて……俺は怖くなって、何も言えなくなってしまった。この集まりを追い出されたら、今度こそ行き場がなくなってしまう。そう考えてしまって。

 いじり甲斐のある後輩を演じて、先輩たちがグレーな手段で稼いだお金で遊ぶのに頑張ってついていって、たまに先輩の気まぐれな施しを目一杯ありがたがって受け取って――そんな生活が続いた、ある日のことだった。

「すごい割のいいバイト紹介してもらったんだけどさ、お前も一緒にどうよ」

 どう考えても怪しかった。けれども俺の懐事情は常に苦しかったし、何よりも誘ってくれた先輩は、特に親身に俺の話を聞いてくれた先輩だった。最初から裏があると疑ってかかるのは申し訳ない。ここは先輩を信じて話だけでも聞きに行ってみようと、俺は先輩の誘いに乗ることにした。

 先輩に引き合わされた男は、不自然なくらいのフレンドリーさでこう宣った。

「やってもらうことはすごく簡単だよ。千羽駅の西口ゲーセン前にコインロッカーあるでしょ? その中にカバン入ってるから、丹頂駅まで運んできて。ね? 簡単でしょ? あっ、これ鍵ね」

 ……普通に裏切られた。

 会合場所である白いバンから降ろされた俺は、悔しさのあまり渡された鍵を強く握りしめた。絶対に断れない状況を作った上で確実にヤバいとわかる仕事を押し付けてくる先輩への怒りも勿論あったが、何よりもそんな先輩を信じてしまった自分に腹が立って仕方がなかった。

 ……本当はこの鍵を側溝に投げ捨ててバックレたかったが、そんなことをしたら後日どんな目に遭わされるかわかったものじゃない。

 だから今回一度きりだ。そしたら姿を晦まして二度と先輩達に関わらない。大丈夫、きっとなにもかもが上手くいく。だからこれが最後だ。


 ――――そうして先輩たちとの決別を後送りにし続けた結末は、未だに忘れることの出来ないものになった。


 俺は腰を抜かしてへたり込み、辛うじて荷物を抱えたまま、シャッターの前に座り込んで眼前の惨状を眺めることしか出来ないでいた。

 為すすべもなく漫画のように吹っ飛ばされる先輩。足蹴にされてアスファルトに転がる先輩。俺から荷物を受け取るはずだった男は、複数人に囲まれて断続的にくぐもった悲鳴を上げている。

 地獄絵図だった。頭が恐怖と混乱でパニックになるばかりで、何が起きているのか全くわからなかった。

 コインロッカーの中身を引き出すのも地下鉄で運ぶのも全部うまく行っていたのに、最後の最後でしくじった。待ち合わせ場所で受取人の男に話しかけた途端、横からひったくりにあったのだ。念のために通行人にまぎれて俺を見張っていた先輩達も、近くで待機していた相手方も、血相を変えて怒声を上げながらひったくりを必死に追いかけて――追い詰めたと思った途端、路地の影や屋根の上から湧き出てきた無数の人影の襲撃に遭った。不意打ち。人数差。総崩れだった。体格自慢の先輩も、明らかに堅気じゃない雰囲気ただよう仕事相手も、次々とやられていく。俺は奴らの視界に入らないように必死に縮こまって震えていた。

 何なんだ。こいつらは一体何が目的で。

「おい!」

 はっと顔を上げると、俺らの一人が血相を変えて駆け寄ってきた。顔に見覚えはないけれども、多分仕事相手の方だ。

「よこせ! 持ったままじゃ巻き込まれるぞ!」

 巻き込まれる? 顔面がひくりと引き攣った。……もうとっくに手遅れだというのに、コイツは一体何を言っているのだろう。

「早くしろ!」

 勢いに気圧されて荷物を抱える力を少し緩めたその時、必死の形相の男の背後で何かを振りかぶる人影が見えた。次の瞬間、鈍い音がして、男は地に倒れ伏した。

「全く、手間かけさせんなよ……おい✕✕、一番エラそうな奴とっちめたぞ!」

「とっちめることが目的じゃないって何度も言ってるんだけどな……まあいいや、ご苦労様」

 凶器の角材を放り捨てた男に名前を呼ばれて、一つの人影が近寄ってきた。

 襲撃者グループはみんなそれぞれに派手な格好をしていたが、そいつは特に華やかだった。金色に染めた長い真っ直ぐな髪で、端正な顔の片半分が隠れている。黒一色の服は独特の形をしていて、これが洒脱というものなのだと全身で語っていた。

 諦めきれずに俺の方に伸ばされた男の手の甲を、奴のゴツいブーツが容赦なく踏みしだく。くぐもった悲鳴を意に介すること無く、奴は俺を見下ろしながらにこりと、芸能人みたいに綺麗な顔を笑みの形に作った。

「そっか、運んでた君がそのまま持ってたんだね」

 敵から向けられるにしては、優しすぎる声色だった。

「痛い目に遭いたくなければさ、それ、渡してくれない?」

 遥か上から降ってくる言葉は理知的で、丁寧で。そのくせ涼やかなその目はどこまでも酷薄に、奴に逆らった末路を物語っていた。

 恐怖に震える手で、俺は荷物を抱え直した。また一つ、決断を後送りにした。

 長髪の男が一つため息を吐く。

「……あっそう、ならいいや」

 次の瞬間、男の髪がふわりと揺れて顔の残り半分とピアスだらけの耳が顕になった。側頭部に衝撃。全く無駄のない回し蹴り。俺の意思と関係なく、丸ごと揺らされた脳がブラックアウトして、そして――――

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