蛹の中身はチョコレート
朝霧
美しき芋虫
「芋虫は蛹の中で一度どろっどろに溶けてから蝶になるのよ」
コーヒーカップで温めた指先でチョコレートをドロドロに溶かして弄びながら、彼はそう言った。
「そうなんですか」
温めた牛乳を一口飲んでからそう答えた。
蝶のことなど興味ない、成虫の翅は確かに綺麗ではあるのだろうけど、それだけだった。
それに虫はそれほど好きではない、特に蝶は。
「あれ、まずいんですよね」
「……食べたことがあるような物言いね?」
「食べさせられたことがあるので……うえぇ……うっかり思い出してしまった……」
口の中にあの日の味が蘇る、きもちわるい。
「なんだってちょうちょなんて食べさせられたのよ?」
「綺麗なものを食べれば少しは醜さが和らぐんじゃないかって、妹に」
アゲハ蝶を私の口に押し込んだ妹の笑顔と、目の前の人に虫ピンの代わりに釘で留められた妹の表情のない顔を思い出して、口の中がさらにまずくなる。
「醜いって、そこいらの有象無象とさして変わらないじゃない」
チョコレートを行儀悪くこねくりまわしながら彼はそう言った。
そんな様子すら絵になる人の顔を見上げて、溜息をつく。
私のことは殺してくれなかったくせによく言う。
だけどそんなふうにむくれても仕方がない。
「そりゃああなたに比べたらどんな美少女でも醜女になるでしょうし、そうすれば
心からの本心を淡々と述べると、彼はあからさまにうれしそーな顔で笑った。
電波に乗って全国の茶の間のテレビに映れば、あちこちで救急車が呼ばれること間違いなしだと思う。
なんでこの人、殺人鬼なんてやってんだろね。
それでなんだって私みたいな醜女よりの一般人を飼ってるんだろうか?
スーパーモデルにでもなればよかったのに。
「あなた、時々本当に嬉しいこと言ってくれるわよねえ……ところで顔色が悪いけど、どうかしたのかしら」
「蝶喰わされたの思い出したら連鎖的に蚕蛾とか割れた花瓶の破片とか……猫ちゃんの尻尾の先っちょとかその他いろんなヤベェものを喰わされたのを思い出してしまって……うぅ……口の中が気持ち悪い……」
口の中がとてもまずい、牛乳を飲んでも紛らわすことはできなさそう。
というか余計口の中が悲惨なことになりそうだと思っていたら、唐突に彼が私に向かってチョコレートまみれの手をゆっくりと伸ばしてくる。
なんだろうかと思って口を開いた直後に彼の手が素早く動く。
同時に口の中に甘ったるいチョコレートの味が広がった。
「むごっ!!?」
何を血迷ったのか、彼は私の口の中にそのチョコレートまみれの指先を突っ込んだのだ。
口の中で彼の指がゆっくりと蠢く。
チョコレートを舌になすりつけるように撫でられて、甘ったるい味に目が回った。
少しして指先が口から引き抜かれる。
いつの間にか息を止めていたらしくその直後に咳き込んだ。
「……な、にを」
「んー? くちなおしよ。気持ち悪いのは治ったかしら?」
「……治りましたけど、普通にそっちのをくださいよ」
テーブルの隅っこに置かれた箱の中のチョコレートを指差す。
多分どれも一粒で3桁から4桁のお値段の高級チョコレートなのだろう。
「えー……だってあなたカフェオレすら飲めない甘党じゃない」
「それがなんです?」
「残りの、全部ビターなのよ。甘いやつはこれが最後だったってわけ」
彼はそう言いながら指に残った残りのチョコレートを綺麗に舐め上げて妖艶に笑った。
……………。
…………………………ぉぉぅ。
私の思考力がパージしている間に彼は箱から新しいチョコレートをつまんで溶かしにかかった。
「……なんだってそんな食べ方するんですか」
「みっともないのは分かってるのだけどね、楽しくって、つい」
子供みたいな笑顔でそう言われた、殺しの時以外にこういう笑顔をこの人が浮かべるのは稀だった。
「溶かすのが?」
「ええ。形あるものがドロドロにぐずぐずに崩れて面影一つ残さない何かになるのを見るのが好きなの。綺麗に整えられたものなら尚更に。このチョコレートとか、砂のお城とか……」
「見目麗しい女とか、もですかね?」
そう続けてみると、彼は『そのとおり、よく分かっているじゃない』と思っていそうな顔で嬉しそうに笑った。
「だから私『蛹』が好きなの。形あるものが一度ドロッドロに溶けて、全く新しいカタチになる……美しいとは思わない?」
「美しいかどうかは知りませんが……あなたの場合、蝶、蛹、芋虫の順で変態していった方が好きそうだなって思いました」
私がそう言うと、彼は一瞬きょとんとした。
だけど、すぐにその口元を笑みの形に整えて、目が喜色に煌めいた。
人殺しの時でも滅多に浮かべないくらい、嬉しそうな笑顔で彼はこう言った。
「そのとおりよ。ホントよく分かってるわねあなた」
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