「読まれたい」のでなく「読みたい」

 おはようございます、このはりとです。


 わたしの書く動機は、自身が読みたいものを書き表せるのは、わたし自身をおいて他にないから、です。「読みたいから書く」と、こうして見えるようにすると、おかしな感じがしますね。本エッセイも、わたしとつながりのある「あなた」を思って書いているはずが、その実、わたしがわたしの心を読みたいだけなのかもしれません。

 なぜそう考えるに至ったのかというと、ふと『読まれたい』の気持ちがほとんどないことに気づいたためでした。もちろん、読んでもらえるのをうれしくは思っていますが、読まれたいから書いてはいません。

 これはどうやら、わたしの「読む」にも通じるようです。わたしが「読みたい」と思っている作品からは、何ものをも寄せつけず、近寄れば容赦なく打ち砕いて進撃するような強靭な『読まれたい』の精神性を感じないのです。努力が足りない、と言われればそれまでです。だから大成しないのだ、と叱る声は、甘んじて受け入れるしかありません。

 ですが、それでも、わたしにとって「読みたい」と心を残せる作品であり、出会えたことをうれしく思っています。作品名がありふれていても、あらすじに興味を持てなくても、文体が拙く、物語がまとまりにかけ、おまけに更新頻度が低くても。そんなものは、わたしの読みたい気持ちと読んだ記憶をわずかばかりも曇らせはしません。

 本当なら、『読んでください』と命令するくらいがちょうどよく、『読んでもらえますか?』ではいけないのかもしれませんね。しかし、わたしが自身の時間を使ってふれたいものは、そんな“優しい気持ち”なのだと、ふいに浮かんできました。



 つづく

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