第11話 クリスとマシュー


「——アイリス、お待たせ」


 近くに住むクリスは、わざわざ馬車で迎えにきてくれた。


「わざわざお迎えありがとうございます、クリス兄さん」


 アイリスの笑みにクリスは顔を少し赤くする。


「い、いいんだよ。さあ、乗って」

「はい」


 クリスは手を差し出した。

 アイリスはその手を借りて馬車の段差を上がる。


 ——ふっ、俺、女の子っぽい動きになってきたな。レベッカ先生の指導の賜物だな〜。


「何かおかしいことでもあった?」


 対面に座るクリスは、含み笑いをするアイリスを見て不思議そうにしていた。


「いえ、久しぶりにゆっくり出かけられるので嬉しいのですよ」


 クリスは嬉しそうに笑みを浮かべる。


「そっか、僕も久しぶりにアイリスと出かけるから嬉しいよ」


 ——ちょっとニュアンスが違うような……?


「今日はどこへ行く予定ですか?」

「僕の別荘だよ」


 ——ほう……やっぱり貴族は金持ちだな〜。


「楽しみです!」

「そういえば、そこで行われたパーティーでマシューとアイリスは初めて出会ったんだよね。マシューは人見知りで誰とも打ち解けなかったのに、アイリスとはすぐに意気投合して……」

「そうでしたか?」

「あれ、忘れてる? 2年前くらいのことなのに」


 ——やばい、意外と最近だな……。


「最近は色々ありすぎて、ちょっと記憶が曖昧になってしまったのですよ……」


 アイリスは笑顔でごまかす。


「それもそうだよね。アイリスはアレックス様に憧れてたから。念願が叶ってよかったね」


 ——へー、俺って憧れてたのか。めでたく婚約者になってハッピーなんだろうけど……隠れBLなんだよなー。


 婚約を望んでないアイリスは苦笑する。


「はい……まさか、選ばれるとは思ってもみませんでした。こんな取り柄のない私が——」

「——そんなことないよ!」


 急に大きな声を出してしまったクリスはハッとする。


「……アイリスはとても素敵な女性だと思うよ。僕もマシューも保証する」

「ありがとうございます……」


 ——なんか……クリスってわかりやすいな。俺への恋愛感情、絶対引きずってるよ。叶わない恋って辛いよな。俺も今、立川さん……いや、イリアさんに片思い中だからな。BL婚約者いるのに……。せめて今日は——。


「クリス兄さん、今日は楽しみましょうね!」





 湖畔沿いの大きな別荘に2人は到着した。


「——マシュー、待たせた?」

「大丈夫、さっき到着したところだから」


 先に到着していたマシューは、テラスで湖を見ながら紅茶を飲んでいた。


「ごきげんよう、マシュー……さ……ま」


 どう呼べばいいかわからないアイリスは、マシューの反応を見ながら語尾をごまかした。


「アイリス、いつもみたいに呼び捨てでいいから」


 マシューは昨日と同じようにボソボソと言葉を発した。


「はい、マシュー」

「アイリス、俺にももう少し砕けた話し方に戻してくれる? 会話しにくいよ」

「あ……ごめんなさい」

「うん、それでいいよ」


 クリスは爽やかな笑みを浮かべた。


 ——クリスは優しいなー。なんか、本当の兄ちゃんに見えてきた。兄貴って憧れてたから嬉しいかも!


「これ、忘れてた小説」

「あ、ありがとう!」


 マシューは少し顔を赤くしながらアイリスに手渡した。


「——2人ともお腹が空いただろう? 今、食事を用意させるから」

「ありがとう」

「ありがとう、クリス兄さん」


 しばらくして、食事がテラスに運ばれてきた。


「——そういえば、アイリスはハミルトン家の人と最近会ったんだよね?」


 隣に座るマシューが話しかけてきた。


「え? ああ……」


 ——どこまで話していいんだ? あまり言わない方がいい雰囲気だったよな……?


「フランケが妹のイリアさんに友達ができた、って喜んでたから」

「え!? その人って……あの、イリアさんのお兄さんだよね? マシューはどこで知り合ったの?」


 マシューの言葉にアイリスは驚きを隠せなかった。


「同じ大学に通ってたから。時々、フランケの屋敷に遊びに行ってるんだよ」

「そうなんだ……。あまりハミルトン家とは交流しない方がいい、っていう噂があるけど……大丈夫なの?」

「僕は噂なんて気にしないから。みんな、なんで避けてるんだろうね。フランケはすごく優秀な研究者でいいやつなのに」


 マシューは首を傾げた。


「ハミルトン家の人に呪いとかけられたらどうしよう、ってみんなは考えてしまうんだよ。魔術は未知の能力だから、みんな怖いんだと思う」


 アイリスの正面に座るクリスがそう説明した。


「そう言うクリス兄さんは怖くないの?」

「怖いよ。でも、マシューと出会ってから考え方は変わったかな。何度か僕もフランケと話したけど、いい人だった。でも、イリアさんは結構怖い……よね?」


 アイリスはクリスの最後の言葉に思わず頷く。


「クリス兄さんもそう思う? すごく優しい時もあるんだけど、時々怖い時もあって……今は接し方を模索中だよ……」

「アイリスは誰とでも仲良くできる方だから大丈夫だよ。フランケの妹だからきっといい人だよ」

「だよね? 私もそう思いたい」


 アイリスはマシューの言葉を信じることにした。


 ——優しい時は、立川さんそのものだしな〜! 可愛くてね〜。


「そういえば、アレックス王子はどんな人なの?」


 クリスの質問はマシューもかなり気になっているようで、アイリスをじっと見つめる。


「んー。いつもニコニコしてて、何考えてるかわからないんだよねー。腹黒そう」

「え……大丈夫なの?」


 クリスは心配そうにアイリスを見る。


「まあ、なんとかなんるんじゃない? まだ数回しか会ってないから」


 ——もう婚約破談とかありえない雰囲気だし、そう思うしかないんだよ……。


「アイリス、何かあったら相談してね」

「ありがとう、マシュー」


 食事をしながらクリスの仕事の話やマシューの研究話などを聞かせてもらった後、湖の周りを馬で回ることになった。





「アイリス、僕の手を取って」

「うん」


 先に馬に乗っていたマシューはアイリスを軽々と引っ張り、自分の前に乗せた。


 ——マシューって小柄だけど……俺よりも意外と大きいんだな。力が強くてちょっとキュンとしたかも……。


「うわー、馬の上気持ちいいな〜」

「湖の周りだからなおさらだね」

「うん」


 耳元で囁くようにしゃべるマシューの声が色っぽくて、アイリスは顔を赤くしてしまう。


「——アイリスは王子がダメだったら、誰と婚約するつもりだった?」


 ——なにその質問……。


「え? うーん……考えたことなかったなー。マシューは誰が婚約者になってほしいの?」

「アイリス——」

「え?」


 アイリスは慌てて振り向く。


「——って言ったら困る?」


 マシューの顔は真剣だった。

 アイリスは思わずその綺麗な顔に見とれる。


「……もう、冗談が過ぎるよ、マシュー」

「ごめん、ちょっと困らせてみたかった。アイリスの反応が可愛いから」


 ——おい……BL勘弁だけど……なんか……自分が女だと思ったら、悪くないって思ってしまうのはなんでだ?





 あっという間に楽しい時間は過ぎ、帰る時間になった。


「——陰ながらアイリスの幸せを願ってるよ。今度会うときは、王室のパーティかな? 気が向いたら手紙ちょうだい」

「うん、マシューも手紙書いてね。元気で」


 ——理系研究者目指してた俺にとっては、マシューの研究話はまじ楽しかったー! 初めてこの世界で男友達ができたから、これからも仲良くしたいなー。


 マシューは最後にアイリスの手の甲にキスをし、馬車に乗った。


「アイリス、行こうか」

「うん」


 アイリスとクリスは馬車に乗り、出発した。


「——アイリス、何か困ったことがあったら俺にも相談してくれよな。アイリスの力になりたいから」


 クリスの顔に寂しさがにじみ出ていた。


「ありがとう。クリス兄さんは早くいい人を見つけて幸せになってね?」

「善処する……」


 ——クリス兄ちゃん……そんな顔すんなって。最後は笑顔でいようぜ……。


 気まずい雰囲気の中、馬車はアイリスの屋敷に到着した。


「アイリス——」


 アイリスは馬車の扉を開けようと取っ手に手を伸ばした時、クリスは腕を引っ張ってアイリスを抱き寄せた。


 ——うわわわあー! この展開は何!? 手の甲にキスするのと同じ習慣なんだよな!? それとも、俺を吹っ切るためのハグか!?


「アイリス、幸せにな。手紙出してくれよ?」


 クリスは耳元で囁いた。

 さすがのアイリスでも顔を赤くしてしまうシチュエーションだ。


「うん……クリス兄さんも手紙出してね」

「じゃあ、元気でな」

「うん、今日はありがとう。元気で」


 クリスの馬車は出発した。

 アイリスはその後ろを静かに見守っているが、頭の中はそんな状況ではなかった。


 ——クリスといい、マシューといい……アレックス王子もか……。際どいボディタッチが多すぎて、いつのまにか嫌じゃなくなってきてる自分がいる……。俺の体は明らかに男に反応してるよな……。いや待て……俺の気持ちは、イリアさんだけなんだぞ? 一体、この体はどうなってるんだー!?

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