第16話 皇帝と少年

 殴られる鈍い音がテュイルリー宮の廊下で聞こえた。


 そこににはボロボロになりながら皇帝へと立ち向かう少年の姿があった。


「ここで諦めたら!!何の為にボクは犠牲になったんだ!!!!」


 彼は悲痛な叫びを上げながら、戦うことを選ぶ。


 全ては数時間前。パリに響き渡った一発の砲声から始まった……



1804年5月18日。午後3時。

 一発の砲声がパリの空へと響き渡った


 それはナポレオンをフランス人民の皇帝として認めたことを知らせる合図だった。


「皇帝陛下ばんざーい!!」


 民衆が浮き足立つ中。セーヌ左岸に立っていたエミールには無いはずの心臓に絶望が響き渡っていた。



 エミールが最初に思い浮かんだ言葉は『なぜ?』だった。


〈なぜ私たちを殺してまで取り戻したかった主権をこうもアッサリと手放させる?どうしてだ…そのために市民だってたくさん死んだ。なのにどうして?!〉


 市民は民主主義を貫くと、そう信じていたものが壊された。


 いや、本当は気づいていながら目を反らしていた現実が逃げられない形で突きつけられただけにしか過ぎない。

 母も……父も……自分さえも殺したこの世界フランスを赦せなくなってしまうから。


『人々は主権を民衆の手に取り戻すだの平等だ博愛だ耳障りが良い言葉を口にはしますが実情は自分たちの暮らしや地位を良くすることしか考えていません』


 かつてピシュグルに言われた言葉が頭の中で過った。


〈貴方の言うとりだ………ピシュグル……彼らは歓喜の中に包まれている。最初からどうでも良かったんだ民主主義も…ボク達のことも………

こんな事になるなら最初から戦わなければ良かった…〉


 いっそ、あの時に力を貸してさえいれば良かった。そう思うほどに後悔した。


 空を仰ぎ自らに問う。


そもそも、どうしてこんな事態になってしまったのか?


皇帝を求めるようになってしまったのは何故なのか?


 答えは簡単である。


 誰も彼に逆らえないからだ。異なる意見を排除し今日までやってきた。自分はそれに荷担し彼を押し上げてきた。


滑稽だ…


では?コレからどうすればいい?


〈玉座につく者を殺せばいい……〉


だが……


〈ダメだ!!コレは民意だ。人民の皇帝を殺すことは赦されない…〉


そう思うとほぼ同時に自らの考えを否定した。



違う……違う…違う!違う!!違ウ!!チガウッ!!


繰り返した。

殺すのが間違いか受け入れるのが正しいか苦悶を瞳に宿し頭を抱え


そして、一つの答えへ行き着く。


〈私は民を赦した。赦しは大切なことだからだ……愛すること受け入れることが何よりも重要だからだ〉


ならば……


〈これから私がすることも



 エミールはテュイルリー宮殿の前までやってきたが門番に止められた。

 美術館員の証のバッチを見せるも子供の見た目を理由に信じてはもらえなかった。


〈またコレか…なんのために身分証明を見せているか判らないな〉


 心の中で悪態をつきながら懐から正義の手マン・デ・ジュスティスを取り出して言った。


「今日は皇帝陛下に祝辞と戴冠式に使用される王錫を届けに来た。通して貰おう」


 門番が出された品を見せられ「本物か?」と聞いてきた。


「ナポレオン美術館員として保証いたします」


「では、後ほど陛下にお渡しするのでコチラでお預かりする」


 門番の一人が手を伸ばしてきたが渡さなかった。


「手柄を横取りする気か?これは、この時を見越して皇帝陛下がかねてよりお探しになられていた品だ。直接 私の手でお渡しする」


「そんな話。初耳だ」


「当然です。玉座を最初から狙っていたと知れては共和制主義者が黙っているハズがありません。ですからコレは本来極秘任務の成果報告です。最も晴れてフランス人民の皇帝となったいま隠す必要はありませんがね」


 もちろん嘘だ。しかしこうも堂々と嘘をつかれては門番も陛下に確認を取らざる得なくなる。


「では陛下に確認を取りに…」


「物、一つ渡しに行くだけに陛下に余計な時間を使わせるのですか。多忙な方なのは知っているでしょう。不安であるなら誰か一人、同行者を着ければいいだけの話ではないのですか?」


 暴論は百も承知の上だ。だがナポレオンに会えれば強引だろうがなんだろうが別にいい。


「わかった。同行者を一人つけて中に入ることを許可しよう」


 そうしてエミールは中に案内される。



 宮中の廊下でナポレオンを見つけた。

 彼を中心に兵や政治家と共に歩きながら会話しているところに先の同行者が声を掛ける。


「失礼したします陛下。陛下にお会いしたい人物を連れて参りました」


 そう聞くとナポレオンはエミールを見て言った。


「君か……呼んでいない帰れ」


「コチラには聞きたいことがあります」


 エミールに同行していた兵士は何の話をしているのか解らず困惑した様子だったが正直どうでもいい。


「なぜ皇帝になられたのですか?」


 エミールが質問するもナポレオンは落胆の表情でなにも答えなかった。


「おい!お前!陛下に…」


 同行者が何か言おうとしたがエミールは肘で胸板を叩いてやり魔術で剣を作り出し右手に握りしめると兵士たちは銃を構えていた。


「アラベスク」


 術の発動と同時に発砲音が響く。


 兵士が床や壁から生えた太いツタになぎ倒される中で弾丸は飛来しエミールの体を貫く。

 だが、とうに死んだ身には痛みもなく致命傷にもなり得なかった。


 兵士以外の政治家たちは慌てふためく姿を見せナポレオンは言った。


「諸卿は下がっていろ」


 非戦闘員である彼らが下がり兵もなぎ倒され、彼らがツタに引きずられ端に寄せられるていくとツタが絡み合って通路を分断しエミールとナポレオンの二人だけとなった。


 エミールは切っ先を向け言った。


「なぜ皇帝となった?」


「人民の意思だ」


「コレを民主主義だと言うのかっ!?意見の食い違う者を排除し同じ思想を寄せ集めてそれを民意だと言うのか!?」


「何をいまさら。君だって同じことをしてきただろう。一度でも王室主義を認めたか?」


「今は後悔している……」


「なら私を受け入れないことは正しいというのか?矛盾しているな」


「共和制国家は独裁者を持たないことが理想だ君臨せずとみ統治せずならいざ知らず。貴方は民意すら操れる。とうてい認められる者ではない玉座からは降りてもらう」


 切っ先がナポレオンを突こうと動くとエミールの右手側に避けながら言った。


「それは困る」


 ナポレオンの右腕がエミールの突き出した腕を掴み引っ張る。

 剣を突いた方向と同じ側に引かれたために前のめりになっていた体が体勢を崩すと

そこからナポレオンはエミールの背中を左手で殴り彼に床を舐めさせる。


「君は判ってないようだが民衆からすれば帝政か共和制など些細な問題でしかないのだよ」


 ナポレオンは見下ろしながらエミールに言い放った。


「そんなこと……判ってる…」


 皇帝に背を向けながら彼は立ち上がると振り返り反撃に移ろうとする。


ディギン…


 言うよりも早くナポレオンの拳が鳩尾みぞおちを打ちエミールは声が出なくなる。

 それでも立ち向かおうとするエミールに再度 問う「なぜ戦う?」「なぜ抗う?」と


そんなのものは決まっている。


「ここで諦めたら!!何の為にボクは犠牲になったんだ!!!!」


 心臓もない血も流れていない体に涙が落ち抑えつけていた感情が堰を切って吐き出される。


「返せよ!!母も!父も!ボクの日常をっ!!!!犠牲にしてまで得たものを捨てるというのなら!!全部返せよ!!!

返せないと言うなら絶対に赦さない!!!どんなことがあろうと共和制を維持してやる!!!」


 感情のせいで聞き取りにくい叫び声を響かせながらナポレオンへと向かっていく

全てを終わらせるためにエミールは正義の手マン・デ・ジュスティスを握り雷を引き起こす。


 そうして辺りは白い光に包み込まれる。


 空気中に青白い光の線が音を鳴らし光の幕が開けると何事も無かったようにナポレオンは屹立し正義の左手マインゴーシュ・ジュスティスを見せつけて言った。


「驚いたか?君の持つ正義の手マン・デ・ジュスティスの版画を基に左右反転して作った私のための王錫だ

君の魔術は私が振るう力で制御し相殺させて貰った」


 唖然とするエミールに続けていった。


「君の両親の死は決して無駄ではない。革命は私を皇帝にしてくれた。その栄光はこのヨーロッパに希必ず望を与える。約束しよう君が革命の犠牲を尊ぶのならば私に力を貸すことで報われると」


「希望……」


 力強い彼の言葉にはエミールは噛み締める。


そして


「他国を侵略し蹂躙することでか?それを貴方は希望と呼ぶのか?!

望まぬ対価を支払わされ!ささやかな幸せも与えられず!!誰かに不幸を押し付ける!!それを救いというのか!!?」


 受け入れなかった。

 もはや皇帝から見れば いっそ死こそ安らぎとすら思えるほどに痛々しいく憐れであった。


 そうしてナポレオンは王錫を振るう。


正義の左手マインゴーシュ・ジュスティス


 その攻撃にエミールも同じように制御することで相殺しようとする。


 強大な力のうねりに魔術を行使すると正義の手マン・デ・ジュスティスに亀裂が走った。


 目を見開いた彼にナポレオンは言った。


「なぜ?と言った表情だな。同じ力なら制御できると思ったか。残念だが昔から右は慈悲の象徴。左は裁きの象徴と相場が決まっている」


 そのまま正義の手マン・デ・ジュスティスは砕け続けた。


そして……


 完全に破壊された時。彼は雷撃によって崩れ落ちた……


「〝右手〟が〝左手〟に勝てる道理などなかろう」


 握りしめた王錫を床に倒れたエミールに向けると電流が空気に再び走り裁きが下る。


 そうして全てが終わることを示すように辺りを覆っていたツタが消えていった。


 周囲が皇帝陛下の無事を確認すると安堵の声が聞こえナポレオンは言った。


「死体は丁重に片付けておけ」


 黒く焼け焦げた死体に兵が近づこうとした その時だった。


一月ヤヌス・ウィズ・スォード&キィ


 誰もが死んだものだろと思っていたエミールが魔術を使い姿を消した。


 これには皇帝も驚きを隠せず身構え、兵たちがナポレオンのそばに集まり護衛に務める。


 だが襲撃の気配は無かった。


 戦いは終わりを告げ、あの状態からでも生きていることにナポレオンは最早、同情することしかできなかった。




 彼の心はタンプル塔に幽閉されたあの日のまま、救われることなくパリの街をさ迷う………

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