分かっちゃいるけど、二~三十兎追いたい!
ある日、扉を開けたら尻尾の青いトカゲの子が目の前にいた。
トカゲはこちらに気づいたようだが、脱兎のごとく逃げるでもなく、けっこうのんびりとくつろいでいる様子だった。これなら撮れる。
しかしカメラを持ってきて写真を撮ることはできなかった。私の左手にヒメマルカツオブシムシの幼虫を持っていたからだ。
私は後悔した。
あのときヒメマルカツオブシムシの幼虫を持っていなければ……。
いや、それよりトカゲと別れたあと、ヒメマルカツオブシムシの幼虫を庭に逃がすんじゃなかった。そのへんの室内の壁紙にでも引っ付けといてあげれば良かった。最近庭にクロヤマアリが沸いていて、特にアジサイのまわりを小型のハチ類と一緒に嬉しそうにウロチョロしているし、ヒメマルカツオブシムシはああいうありんこに簡単にさらわれてしまったんじゃなかろうか。
とにかくやってしまったことは仕方がないので、次に生かすことにする。
それにしてもシャッターチャンスがなかなかない。
いや、ないわけではないのだが、写真を撮れないことが多くてモヤモヤする。
たとえば道路を自転車で移動中。鳥たちが楽しげに集っているのが見えても、足を止めることができない。というか余所見してはいけない。自分が電柱に激突するのは自業自得だが、ボーッとメルヘンの世界に耳を傾ければ、人を巻き込む事故を起こしかねない。
そしてやっと幅の広い道にたどり着いても、そこに都合よく生き物がいるわけではないのだ。公園も生き物より人間の方が多かったり。
ある日、自転車で広い歩道を走っていると、前方に一心不乱にエサをついばむキジバトの姿が見えた。
うちのまわりのキジバトは警戒心が強く、少しでも近づくと逃げる。けれどこのときキジバトはエサに夢中でこちらが目に入っていない様子だった。
これはチャンスとまずキジバトの全体像を写真に撮り、次にお顔を撮影させていただこうとしたが、エサをついばむのが速すぎて追えない。仕方がないからまず美しい羽を撮らせてもらった。
撮影中、私は完全にまわりのことを忘れ、キジバトと私、二人だけの世界に入っていた。
するとそのとき自転車の上に、最近家に沸いているクロヤマアリがいるのを見つけた。
クロヤマアリたちはやたらと私の足に登ってくる。気づけば足の上にいる。このときも足を伝って上に来たのだろう。しょうがないアリだな。
私は
そして今度こそキジバトのお顔を撮影しようと前方を向くと、そこにキジバトの姿はなかった。前方から歩行者様が向かって来たため、私が目を離している間に飛び立っていたのだ。
私は呆然とした。ありんこを雑に逃がした罰だろうか。歩行者様が来る気配などまったくなかったのに。滅多にないシャッターチャンスだったのに。
……そう、ここが道であることを忘れていた。
そんなこんなで町は、サル目ヒト科の社会的動物「ヒト(ホモ・サピエンス)」や、ハチ目アリ科の社会性昆虫「クロヤマアリ」で覆われている。
やっと生き物のいるところを見つけても、他の人間が近づいたり、クロヤマアリに気を取られているうちに撮影対象の生き物が逃げていってしまったりするのだ。その影響は計り知れない。
しかしそれはホモ・サピエンスやクロヤマアリが悪いのではない。道や公園で生き物写真を撮ろうとする私が間違っているのだ。道で撮影なんて下手したら往来妨害罪だ。
写真を撮りたければ人のいない所へ散歩に行き、穴場を見つけるべきである。
人間はどこにでもいるため、近所で見つけた穴場といえば入っていいのか立ち入り禁止なのかよく分からない怪しい場所だけだけれど。それでも探せば天然のフォトスポットはあるはずだ。
……分かっている。道は歩くためのものであって立ち止まるためのものではないと。撮影したいなら撮影メイン、移動したいなら移動メインで、自分の行動を改めるべきだ。
でもどーしても場当たり的に二~三十兎追いたくなる!
だってチャンスは道端に転がっているのだ。
この先いつどこでチャンスに出会うか分からないんだ。
チャンスがあったら素早く拾いたいのだ。
なのにそれが叶わない。
移動中にラッキーを見つけて立ち止まるのは悪いことだろうか。立ち止まることすら許してくれない、この社会が間違っているのではないか。
……と、社会に喧嘩を売るのも程々にしておこう。
しかし、もし歩むべき道が用意されていなければこの世界はどうなるだろう。
そこには自由があるはずだ。私は妄想した。このアスファルトで覆われた道を、道なき道に変える方法を。
でも思いつくわけなかった。
結局、生き物を撮ることが人生のすべてだと思うなら、そういう環境の場所に移り住むのがいいのだ。それしかない。
しかし私は今日もこの場から動かなかった。だって追いたい夢は一つじゃなく、二~三十兎あるから。
上下左右に散らばる夢を、努力せずに得るにはどう動けばいいのか?
それが分からないまま今に至る。
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