夢の海、夢の世界

 ある朝目覚めると、夢の記憶がやけにハッキリ残っていた。


 深夜にふっと目を覚ましたときは覚えていたのに朝目覚めると記憶がないとか、目覚めた瞬間は思い出せるのにあっという間に記憶が消えてゆくとか、そういうことも多いのだが。


 その日も、起き上がると夢の記憶は淡くなった。

 でも記憶は残っているので書き留めておくことにした。





 夢の中で私は、海水浴場のような所にいた。

 波打ち際の近くで、水面から顔を出している。


 私の左側に海が広がっていて、そこから波がきている。

 前方には遠くまで波打ち際のラインが続き、その奥に太陽、右側には砂浜。

 そのイメージが強く残っていた。



 海の中ではたくさんの人が遊んでいるが、全員、小学生くらいの子どもだ。

 自分も子どもなのかもしれない。


 そのうち日が暮れだす。

 空は赤色。


 子どもたちは「そろそろ帰ろうか」と海から上がってゆく。



 そこで私はなくし物に気づいた。

「タイマーを持っていない。」

 あれがないと……。



 それはオレンジ色の小さなタイマーで、私が現実の世界で何年も前に捨てたものだった。あれがないといけない、と思った。


 海に来る前にトイレで着替えてきたから、そこに置き忘れたんだ。

 私は観光地のような街へと向かい、私が着替えた「白い扉のトイレ」を探し始めた。



 ところが道に迷ったのか、白い扉のトイレにたどり着かない。

「おかしいな、ここを通ったはずなのに……。もう少し向こうだったかな?」


 進んでゆくと、茶色い木の扉の、立派なトイレならあった。

「あれっ、ここ? じゃないよなぁ……。」

 なんだか自分の記憶に自信がなくなり、「白い扉のトイレ」の記憶が薄れてゆく。



 その後私は鳥になって空を飛び、なくし物を探した。

 風が強いのかバランスが悪いのか、後ろに流されそうになるけれど、なんとか前に進んでいった。



 そして気づくと現実の自分の部屋に戻ってきていた。

 黒い棚の扉を開けると、探していたのと同じものがそこにある。

 オレンジ色の小さなタイマーだ。


「あれっ、同じものがもう一つ家にあったのか……。」

 そこで夢は終わった。





 夢について書き記していると、以前夢の中で見た光景や、空想の中で見た景色が重なってきて、どれが今日の夢だったか分からなくなってくる。

 普段は思い出さないのに、夢を見た時の感覚に繋ぐとたくさん浮かんでくるから不思議だ。



 家のまわりを歩きつつ、見晴らしのいい場所から夜景や花火を見たり……。

 お店のような建物の中でキーホルダーを眺めたり通り抜けたり……。

 自転車で森に囲まれたような道を走ったり……。

 山の中の公園や神社のようなところを通ったり……。

 暗い道で蛍をたくさん見かけたり……。

 家のまわりが遊園地や広い公園になっていたり……。

 夜空が急にスクリーンのようになって、様々な天体が飛び交うのが見えたり……。



 空を飛ぶ夢はよく見る。

 ぐいっと引っ張られるように後ろに行ってしまったり、流されて思ったような方向に進まなかったりするけれど、それでも飛ぶのは楽しい。


 今回の夢の探し物がオレンジ色のタイマーだったことは、部屋の中で見つけてから分かったのか、最初からしっかり覚えていたのか、分からない。

 夢の中では「こうしよう」と強く思っていることでも、途中で目的がすり替わっていたり、やろうとしたこととちょっと違うことになっていたり、あやふやだったりする。



 この、夢の中の感覚や情景を絵に描いてみたい。

 そんなことを前から思っているけれど、なかなか難しい。



 起きている時は基本的に現実の世界を見ているけれど、思い出そうとすると夢の世界を覗けたりする。


 他にもふとした瞬間に半分「夢の中」にいる気がする。

 なんだか最近現実感がない。





 ここからは、夢を見た「後」に思ったことなので、私の解釈であって、本物の夢の世界の感覚とはズレているかもしれない。


 出来事にしても夢にしても、後で自分で解釈を付けたことというのは多少偏っている気がする。



 私の夢の中にはあまり「意味」がない。

 夢ってみんなそういうものかもしれないし、意味は自分で見つけることもできるのかもしれないけれど、私は意味のない「夢の世界」が好きだ。



 湖を見たいと思ったら湖に向かって歩いていく。

 泳ぎたければ海の中で泳いでいる。

 飛びたくなったら飛ぶ。

 帰りたくなったらどこかへ帰る。


 そこに「思考」は特にない。

 あるのは赤ちゃんのようなシンプルな好奇心と直感だけだ。



 現実に帰れば、何かをしようと思った時「それをどのくらいやるのか? 時間は?」と考える。

 思いつきでちょこっと遊ぶくらいなら「たまにはそういうのも良いかもね」と夢のように自由な発想で過ごせるかもしれないが、続けるとなると大抵「それに意味はあるのか? 何の役に立つのか? お金は?」と考えざるを得ない。



 休憩する時、美味しいものを食べたり楽しいことをしたりする時でさえ「頑張ったから休憩してもいいよね」「たまには美味しいものや楽しいことでリフレッシュも必要」と誰にともなく説明しないと気が済まない。


 まるで、ずっと気分次第で過ごすのは悪いことみたいに。



 私の「やりたいこと」は「気まぐれに過ごすこと」だ。


 泳ぎたくなったら泳ぐ。飛びたくなったら飛ぶ。

 そこに理由や方法はいらない。


 役に立つとか立たないとかいう概念も存在しない。

 みんないるだけ。あるだけ。そうしたいからするだけだ。



 そんな夢の世界が好きだ。

 夢の世界で生きたいと願っている。





関連エッセイ「夢の魚」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054896019060/episodes/1177354054896134087

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