第6話 ここで終わる

「..............!」


 声すら出せず、呼吸は安定しない。まるで地面に向かって凄まじい力で引っ張られているような感覚だった。


 とにかくこのままではまずいと思った僕は、懐にしまってあった小さなナイフで壁を突く。しかし、壁に突き刺さることはなく、ガリッ、ガリッ、と断続的に壁に傷をつけるだけだった。

 そうしている内にナイフは弾かれ、僕より先に地面へと落ちていった。


 その落下音の反響で、あることに気がつく。それは、すぐそこに地面が迫っているという事実だ。


 もう、ダメだ.......!


 僕は自身の死を悟った。瞳をギュッと閉じ、いつか来る衝撃を待つ。

 そして、ついに僕は、奈落の底へとたどり着いてしまった。






 グシャアアア!!!






「ぐ、ああ.......!!!」


 内蔵がうち震えるほどの衝撃が僕を襲った。骨が軋み、肺から全ての空気が押し出される。筋肉は痺れ、視界は一瞬ブラックアウトしかけた。


「くっ、うう.......。はぁ.......!はぁ.......!」


 必死に呼吸をして、脳に酸素を送り込む。すると、だんだんと視界が鮮明になっていき、思考もハッキリしてくる。


「............生き、てる?」


 息をしてる。血液が流れてる。体が動く。夢幻ではない。信じられないことに、自分はここに生きている。

 背中から自由落下した僕は、本来なら地面と激突した瞬間、四肢が砕け散るはずだった。

 けど、そうはならなかった。原因はおそらく、僕が落ちた場所だ。そこは、固く平たい地面ではなかった。


 なんだか、生温く、ぬめりがある巨大な何かに向かって落下したのだ。


「うっ.......!」


 意識が鮮明になっていくと、嗅覚が異臭を感じ取った。鼻がもげそうなほどの腐臭と血臭。嗅いでるだけで気が遠のいていきそうだった。

 僕は慌てて上半身を起こす。


「一体何の、にお、い..........」


 体を起こしたことで、視界が開ける。そして、ようやく僕は自分の体を受け止めたものがなんなのか、知ることが出来た。


 地面から5、6メートルほどの高さに積み上げられた、肉片の集合体。紅き血肉と白い骨により作り上げられた、小さな丘。


 ───端的に言えば、人の死体の山だった。


 思考が止まり、呼吸することすら忘れてしまう。僕は無意識に、自分の手のひらへと視線を落とした。誰のものともしれない血がねっとりとへばりつき、指の先まで浅黒く染め上げられていた。


「.......うわあああああ!!!」


 脳は半狂乱に囚われ、その山から一刻も早く離れようと四肢を動かした。しかし、ぬめりにより上手く走ることができず、あっさりと転倒してしまう。そして、そのまま死体の山を転がりながら落ちていった。


「う、く、.......いってて....」


 神経をひた走る痛覚に顔を歪めながら、何とか腕を立てた。


 そして、再度その山を見やる。


「これは.......」


 老若男女問わず、様々な人間の死体が乱雑に積み重なっている。腐りかけのものから、まだ死して間もないものまで。命が消え、死というものだけがそこに息づいている。

 まさに、現し世に出でた地獄そのものだった。悪趣味にも程がある。


 一体、なんなんだ、ここは......。





 ズシン、ズシン!






 頭に疑問符を浮かべていると、遠くから地鳴りのようなものが響いてきた。


「............?!」


 普通の地鳴りじゃない。これは、足音だ。その証拠に、地鳴りの音と揺れは段々と近づいてきている。


 とにかく、どこかに隠れないと.......。そう思ったのだが、体が思うように動かない。凄まじい落下に続き、死体の山を見てしまった衝撃で、今になって体がすくんでいるのかもしれない。


 クソ、うごけ、うごけ.......!


 そんな訴えも虚しく、足音の主は姿を現してしまった。


「───ん?なんだ、人間か?」


 低く鈍い声が響き渡る。優に20メートルを超える赤き巨体。体の筋肉は隆起し、手には巨大な棍棒が握られている。

 生物として圧倒的な迫力と存在感をもつそれは、僕が今までに出会ったどんな魔族よりも強大だった。


 あれは、中級魔族のゴブリンロード.......?いや、違う。あれは、ゴブリン族の頂点に立ち、A級冒険者と同等の力を持つと言われる魔族。ゴブリンオーガだ.......!


「どこからか迷い込んだのか?」


「くっ.......!」


「まあいい。俺の晩飯に加えるだけだ」


 ゴブリンオーガは牙を剥き出しにしながら、ニタリと笑った。

 そうか。この死体の山は、こいつの餌の備蓄だったのか。ゴブリン達が出入りしているとは聞いていたけど、まさかゴブリンオーガがいるなんて.......!


「とりあえず、死んどけや!」


 ゴブリンオーガは棍棒を高々と振り上げた。あんなものをくらえば、確実に命を落とすだろう。


 どうにかしなければ.......!


「オラッ!」


 ゴブリンオーガは巨大な棍棒を僕に向かって勢いよく振り下ろす。その瞬間、魔力を込めてスキルを発動させた。


遅鈍スロウ.......!」


 スキルにかかったゴブリンオーガは、ほんの僅かだが動きを鈍らせる。


「う、ああああ.......!!!」


 僕は強引に固まりきった体を動かし、何とか横に飛び退いた。

 その数瞬後。棍棒は僕が先程までいた場所にめり込み、凄まじい衝撃波を生み出した。


「ぐわぁ.......!!」


 その豪風を受けきれるわけもなく、僕の体は軽々と吹き飛ばされた。

 体を壁に打ち付け、肺の空気は全て押し出される。かきむしられるような痛みが周り、脳が痺れるような感覚に襲われる。腕を上げることも、足を曲げることも出来ず、ただその場に力なく倒れることしか出来なかった。


 ダメだ。格が、違いすぎる。


 喉から胃液とは違う何かが込み上げ、そのまま吐き散らした。それは、死体の山にあったものと同じ。濃い色をした、鮮血だった。


 いよいよ、体の機能の停止が近づいている。


「外したか。なんだか体が鈍ったような気がしたが.......。まあいい。次で最後だ」


 ゴブリンオーガは棍棒を地面から抜き取り、引きずりながらこちらへと歩みを進める。


 体が満足に動かない。スキルもほとんど意味をなさない。まともな武器も持ち合わせていない。こんな状態で、抗える手段など存在しない。

 .......いや、そもそも無理な話しだ。ただのゴブリンですら一人で討伐できないのに、ゴブリンオーガを倒そうなどと。荒唐無稽な御伽噺なのだ。


 なぜ、こんなことになってしまったのだろうか。


 あの時、ジェイロとゴードをもっと警戒していれば。

 あの時、ちゃんとリィナに想いを告げていれば。

 あの時、冒険者になる話しを受けなければ。


 こうしていると、様々な後悔が毒のように身体中を蝕んでいく。

 僕は、本当に弱い。未熟で、臆病で、無力で、無能で。何も守れず、何も為せず、何も残せないまま、こうして命を終えるのだ。


 僕がもし、無黒インフェリアじゃなければ。人として、立派に成長できたのだろうか。自分の存在を、もっと肯定していられたのだろうか。幼なじみのリィナに、見放されることはなかったのだろうか。冒険者として、強くなれたのだろうか。僕に、せめて人並みに力があれば、何もかもが違っていたのだろうか。


 十数年間、絶え間なく虐げられ、蔑まれ、差別されてきた。そんな僕の希望だったリィナも、他の男に溺れて、その上で僕の死を願った。唯一最後まで僕に味方をしてくれた少女も、僕の無力のせいで男の慰みものとなった。

 ───絶望しかない。こんな人生、何の意味もなかったのだ。無駄な時間だったのだ。


 意識が薄らいでいく中、今までの記憶が泡沫のように頭に浮かんでは消えていく。みんなの笑顔が、涙が、哀れみが、蔑みが。絶え間なく降り注ぐ。


 これが、走馬灯というやつなのだろうか。


「そら、終わりだ」


 気づけばゴブリンオーガは目前に迫っており、棍棒を再び振り上げていた。


 僕はあまりの虚無感に、一筋の涙を流した。


 ああ、本当に僕の存在価値なんて───無かったんだ。


「うらあああ!!!」


 絶命必至の一撃が迫る。長いようで短かったユーリスの人生は、ここで終わるのだ───。







 ────本当に、それでいいのか?




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