第39話 希望
虎徹の放ったホームランをきっかけに、試合の
彼らは6回裏に4点をうばって松沢をマウンドから引きずり下ろすと、7回裏に3点、8回裏にも5点を奪取し敵に追いすがる。
対する聖陵学舎も、8回表と9回表に2点ずつを取り返し、必死に常陽学院を突き放す。彼らの表情からは絶対王者としての余裕は消え失せていた。
常陽学院の猛反撃にスタジアムは熱狂し、ジャイアントキリングを期待した観衆から大きな声援が送られる。
しかし9回裏、常陽学院の攻撃は2点に抑えられ、最終的なスコアは17対14。激戦の軍配は聖陵学舎に上がった。
試合終了後、帰路につくマイクロバスの車内は、水を打ったような静けさに包まれていた。
コールド負け寸前から猛反撃を演じた興奮と、それでも届かなかった敗北感。もっとできることがあったのでは、という後悔の念と、すべてが終わってしまったという喪失感。それらの感情が、全員の心のなかで複雑に絡み合っていた。
そんな静寂のなか、立ち上がって口をひらいたのは、唯だった。
「みんな、今日はよく戦ってくれた。本当にありがとう」
深々と一礼した彼女は、さらに思いを言葉にする。
「今日だけじゃない。この一年弱の間、みんなはアタシの無茶な方針に文句ひとついわずについてきてくれた。だけど……。アタシは、その気持ちにこたえることができなかった。敗北の責任はすべてアタシにある。本当に、すまない……」
唯はさらに深く頭を下げたが、それっきり顔を上げられない。彼女は、小さな肩を大きく震わせながら、声を上げて泣いていた。
「是川さん。そんなセリフはやめてくれ。君のおかげで、俺たちはここまで来れたんじゃないか!」
キャプテンの雅則が、涙をうかべながら唯に訴えかける。
「そうだ。お嬢は少しも悪くねえし、まちがってもいねえよ。実際に松沢はスタミナ切れを起こしたし、想定どおりこっちも反撃できたんだ。悪いのは――」
悔し涙が、恵一の声をつまらせる。
「――悪いのは、俺だ。5回表の大量失点さえなければ勝てた試合だったんだ。俺が田村の打球をしっかりよけていれば、こんなことにはならなかった。みんな、本当にすまなかった」
あふれる涙をぬぐいもせずに恵一は全員にむかって頭を下げたが、当然ながら彼を責める者はいない。
むしろ恵一の言葉をきっかけに、それぞれが仲間に感謝の言葉を述べつつ自分の至らなさを責めた。
そんななか、涙にくれる唯に、ひときわ大きな声で大吉が言葉をかける。
「是川さん。見てのとおり、みんな君には感謝の言葉しかないよ。とくに僕なんて、人生まるごと救われたんだ。あのとき是川さんに野球部に誘われていなかったら、僕はいったいどうなっていたか……」
大吉の言葉に
「とにかく、是川さんには心から感謝してるんだ。だから、もう泣かないでくれ。それに君らしくもない。いつもいってたじゃないか。失敗しても、反省して次に生かせばいいって!」
ありったけの感情をこめた大吉の言葉に、唯は涙をぬぐって静かに顔を上げる。
「ありがとう大吉。でも、次はないんだ……。高校三年の夏は、これが最後なんだ。だから、アタシは勝ちたかった。みんなと、もっと一緒に戦いたかった。甲子園に、いきたかった……」
唯は再びうつむいて肩をふるわせた。そんな彼女に、言葉をかけられるチームメイトはいなかった。
「もしも次があったとしたら、是川さんはどうする?」
野球部員が悲しみにくれるなか、声を上げたのは顧問の沙也加だった。彼女はポケットから一枚の名刺を取りだし、剛に歩みよる。
「試合が終わった後、プロ野球のスカウトに声をかけられたの。鬼塚剛君に興味があるから、一度話を聞いてもらえないかって」
「自分にですか?」
まだ状況を飲みこめていない剛に、沙也加は名刺をわたす。
「シルバーウルブズ編成部。チーフスカウト
彼はとまどいながら、名刺に記された名前を読み上げた。
「さっき少し調べたんだけど、シルバーウルブズは最近オーナー会社が変わって、マネジメントも一新されたの。新体制は、データ分析を重視するみたいね」
データ分析。その言葉を強調した沙也加が、唯を見つめる。
「是川さんは、その分野のエキスパートでしょ? 剛君とセットで売りこめば、むこうも興味を持つんじゃないかな。松沢君はメジャーリーグにいくみたいだけど、プロの世界に入れば、どこかでリベンジするチャンスはあると思わない?」
「唯様。やりましょう!」
剛が勢いよく立ち上がり、上気した顔を唯にむける。普段の冷静沈着さとは正反対の様子に、唯もふくめた全員がおどろかされる。
「今日は、たしかに負けました。けれど、リベンジの機会があるなら、みんなのためにも挑戦するべきです。それに、是川唯の辞書に敗北の二文字はありえない。そんなもの、自分は絶対に認めません!」
一気にまくし立てた剛の瞳は、涙でうるんでいた。
「唯ちゃん。めずらしく兄さんがやる気なんだし、やっちゃいなよ! もっと大きな舞台で松沢君をボコボコにやっつけてよ!」
舞が涙をぬぐって、唯の背中を後押しする。そしてそれに呼応するように、全員が次々と彼女に声援を送った。
「まったく。アタシの気も知らないで、おまえら、ずいぶんと好き勝手いってくれるじゃないか」
唯は瞳に残った最後の涙をぬぐって、共に戦ってきた仲間を一人一人見つめる。彼女の顔には、いつもの自信に満ちた表情と不敵な笑みがもどっていた。
「たしかに負けっぱなしで終わるのはアタシの
唯が高らかに宣言すると、マイクロバスの車内は拍手と歓声であふれかえった。
こうして、常陽学院野球部のひと夏の挑戦は、未来への希望を残しながら全員の笑顔と共に幕をとじた。
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