第25話 運命の抽選会

 関東地方の梅雨入りが発表された六月の中旬、組み合わせ抽選会を翌日にひかえた常陽学院野球部は、是川スポーツ科学センターでの練習後にミーティングルームに集まっていた。


「みんな聞いてくれ。いよいよ明日は東東京大会の組み合わせ抽選会だ。アタシらの運命は、これにすべてかかっているといっても過言かごんじゃない」

 立ち上がって全員に語りかけた唯が、キャプテンの雅則に力強い視線を送る。


「雅則。たのんだぞ。明日は最高のクジを引いてきてくれよな!」

 唯から激励げきれいをうける雅則。しかし、彼の返答は意外にも弱々しかった。


「こ、是川さん。その件なんけど。その、俺、昔からクジ運がなくてさ。で、できれば誰かにかわってもらえないだろうか……」

「バカいうな。キャプテンのおまえ以外に誰がクジを引くんだよ。もっとビシッと気合を入れろ!」

 めずらしく弱気な雅則に唯はげきを飛ばしたが、彼の態度は煮え切らない。その様子を見て、遼太郎がフォローを入れる。


「是川さん。じつは、雅則ってありえないレベルでクジ運が悪いんだ。おみくじを引けばいつも凶だし、ほかにもいろいろ……」

「そんなのただの思いこみだろ? 運が悪かったときのことを、嫌な思い出として記憶してるだけだ」

 確率的にありえない話を、唯は即座に切り捨てる。


「いいや、思いこみじゃない。遼太郎が話したとおりなんだ。だから、クジだけは勘弁してくれ。たのむ!」

 両手を合わせて懇願こんがんする雅則を見て、さすがの唯も考えこんでしまった。


「じゃあ、実際に試してみようよ」

 声を上げたのは舞だった。彼女はカバンからルーズリーフを一枚取りだすと、カッターナイフで器用に切り分けて人数分のクジを作り、それをビニール袋に入れた。


「ハズレを引いた人は、みんなにジュースおごりね」

 彼女にうながされ、全員が順番にクジを引いていく。

「みんな引いたね。それでは確認してください」

 それぞれが手元のクジをひらき始めたが、真っ先にため息交じりの声を上げたのは雅則だった。


「ほら見ろ。やっぱり俺だよ……」

 彼はハズレと書かれたクジを指でつまみながら、自虐的じぎゃくてきな笑みをうかべていた。

「でも、たかだか10パーセントの確率じゃないか。普通にありえる話だろ?」

 まだ納得できない唯に、雅則が提案する。

「じゃあ、もう一回やろうか?」


 二回目も雅則はハズレを引き、なおも食い下がる唯のために行われた三回目でも、結果は変わらなかった。

「ま、雅則……。イカサマだよな? い、いったいどんな手を使ったんだ?」

 目の前で起きたありえないできごとに、唯の声はふるえていた。


「バカいわないでくれ。ジュースをおごらなきゃならないのに、イカサマを使ってまでハズレを引くメリットなんてどこにもないだろ?」

 ため息をついて投げやり気味に雅則は答える。1000分の1の確率で最悪のケースを引き当てた彼の運の悪さは、誰の目にも明らかだった。


「おまえ、父親の後を継いで政治家になるっていってなかったか? 政治家としてやってくのに強運は必要不可欠なんだが、これはシャレになってないぞ……」

「そのことには、ふれないでくれ……」

 唯からのとどめの一言が飛んできたが、肩を落とし意気消沈いきしょうちんしていた雅則は小さく返すのがやっとだった。


「僕は、雅則が運が悪いとは思わないけどな……」

 ここまで不運なキャプテンにクジを引かせるのは、さすがにリスクが大きい。誰もがそう考えていたなか、いつものように遠慮気味に発言したのは歩だった。

 皆の注目を集めたことで、彼はやや緊張した面持おももちちをうかべたが、そのままはっきりと意見を述べる。


「本当に運が悪かったら、廃部寸前の野球部に僕と遼太郎を誘って入部しても、それっきりだったと思う。けど、甲子園への夢を語った部活紹介の演説を聞いて、恵一君と晴人君が野球部に入ってくれた」

 名指しされた二人が歩を見上げる。


「そして、去年の夏には虎徹君が入部して、是川さん、舞さん、剛君、大吉君の四人もそれに続いてくれた。その後だって、木内先生が顧問になってくれたし、是川さんが準備してくれたおかげで、僕たちは練習環境にも恵まれて本気で甲子園をめざすことができてる。これってすごいことだよ。すごい強運だよ!」

 それまでうつむいていた雅則が顔を上げる。


「だから僕は、雅則がクジを引くべきだと思う。ほかにふさわしい人なんていない」

 いつもは控えめな歩の熱い言葉に反論する者はいなかった。そして野球部全員の気持ちを唯が代弁する。


「結論は出たな。雅則。明日はたのんだぞ!」

「わかった。やるからには、最高のクジを引いてくる!」

 それまでの弱気をかなぐり捨てた雅則は、気合をこめてそう誓った。



 抽選会の当日は、虎徹、遼太郎、歩の三人が、雅則と共に会場の青海学園大学あおうみがくえんだいがくの大講堂へとむかった。

 彼らが到着したとき、すでに会場は大勢の高校球児たちで埋め尽くされており、ピリピリとした緊張感がその場に充満していた。


 会場前方の巨大スクリーンにはトーナメント表が映しだされており、それぞれのわくには1から132までの番号がふられている。

 また、シード校の配置はすでに決定していたため、1番の枠には第一シードの聖陵学舎の名前が表示されていた。


「雅則。たのむから、聖陵学舎のとなりの2番と3番だけは勘弁かんべんしてくれよ」

 かたい表情をうかべる雅則をリラックスさせるために、遼太郎が軽口をたたく。しかし、小さくうなずいた雅則の顔は強張こわばったままだった。


 抽選会は定刻ていこくどおりにスタートし、もろもろの挨拶のあと、ついに組み合わせ抽選が始まった。

「各校の代表者は、ステージに集合してください」

 司会者がよびかけると、会場のあちこちで人の動きが起こる。

「じゃあ、いってくる!」

 雅則も立ち上がり、足早にステージへとむかっていった。


 抽選会はとどこおりなく進み、トーナメント表の枠に一つまた一つと学校名が記入されていく。

 そんななか、最悪の番号である2番のクジを引いたのが糸色高校いとしきこうこうだった。会場中から同情と安堵あんどの声が上がったが、さらに不幸は連鎖する。


 糸色高校の次に抽選にのぞんだ才南学園さいなんがくえんが、あろうことか3番のクジを引いてしまったのだ。最悪の枠が連続して埋まるというまさかの展開に、会場のどよめきはしばらく収まらなかった。


「よし!」

 喧騒けんそうにまぎれて、小さくガッツポーズをしたのは遼太郎だった。

「遼太郎。不謹慎ふきんしんだよ!」

 歩が小声でとがめたが、彼の顔にもかくし切れない喜びがうかんでいる。

「とりあえず、最悪の事態は回避できたか!」

 笑いをかみ殺しながら虎徹が声をかけると、遼太郎と歩は何度もうなずいた。


 一回戦から試合があり、順調に勝ち上がっても三回戦で聖陵学舎と当たる。そんな絶望的な枠が埋まったことは、雅則の抽選を待つ三人につかの喜びをあたえた。

 しかし、そんな幸せな時間もそう長くは続かなかった。



「すまない! 本当に申し訳ない!」

 抽選を終えて席にもどってから、雅則はひたすら三人にあやまり続けていた。

 彼がステージ上で引き当てたクジは8番。順調に勝ち上がった場合、四回戦で聖陵学舎とぶつかるという、最悪ではないにしろ限りなく最悪に近い番号だった。


「まあ、気にするな。いままでの雅則なら絶対に2番か3番を引いてた。ある意味これは大きな進歩だろ」

 遼太郎がかなり無理のある言葉で励ましたが、雅則の表情は暗いままだ。


「そうだよ! 勝ち上がれば、聖陵学舎とはいずれ対戦するわけだしね!」

 歩も遼太郎の言葉に乗っかるが、見え見えの空元気が雰囲気をさらに重くさせる。


「とりあえず、組み合わせのデータを是川さんに送らないとな。一秒でも早く分析してもらって勝利につなげないと!」

 虎徹もわざと明るくふるまったが、効果はうすかった。


 雅則のスマホに唯から着信があったのは、組み合わせデータを送信してすぐのことだった。

「是川さんから電話だ……」

 彼はしばらくスマホの画面を見つめていたが、意を決して電話にでる。


 雅則の様子を、三人は固唾かたずを飲んで見守っていたが、彼の様子に目立った変化はなく通話自体もあっさりと終了した。

「よくやった。そう、いわれたよ……」

 雅則は、唯の言葉を三人に伝えたが、その表情には明らかなとまどいの色がうかんでいる。


「意外だね。てっきりキツイ言葉が飛んでくると思ってたんだけど……」

「ああ、俺もそう思ってた。けど、是川さんがいうには、この組み合わせは最高なんだそうだ。どういうことなんだろう……」

 遼太郎に答えた雅則は、そのまま黙って考えこむ。


「是川さんのことだから、雅則を元気づけるためにウソをついたとは思えない……。最高の組み合わせっていうのは、きっと正直な意見だよね?」

 歩の問いかけに三人がうなずく。しかし、うまく勝ち進めたしても四回戦で聖陵学舎とぶつかる状況を、ポジティブに解釈することはできなかった。


「とりあえず、次のミーティングで彼女から詳しい説明があるだろうから、それを待つしかないか……」

 独り言のように雅則が口にした言葉に、三人も同意するしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る