第23話 最強の練習相手

 年が明けさらに一か月が経った二月の初旬、是川スポーツ科学センターでの練習を終えた常陽学院野球部のメンバーは、スケジュール確認のためにミーティングルームに集まっていた。


「今後の予定についてだけど、春季大会は出場しないんで、よろしく」

 唯の発した言葉に、全員が耳を疑う。

「是川さん。正気しょうきなのか?」

 真っ先に声を上げたのはキャプテンの雅則だった。


 彼がおどろくのも無理はない。四月の下旬に開催される春季大会は、夏の地区予選のいわば前哨戦ぜんしょうせん。三月から解禁される練習試合もふくめて、実戦経験を積むための貴重な舞台だった。


「失礼なこというな。アタシは正気だ。公式戦に出たらうちのチームが分析される可能性があるんだ。それをさけるのは当然だろ?」

 相手を油断させるために無名の弱小チームとして夏の本番を迎える。それが唯の考えであることは全員が理解していた。しかし、実戦経験のとぼしさを不安に感じているのもまた事実だった。


「是川さん。夏の地区予選にぶっつけ本番で挑むのは、さすがに無謀むぼうだよ」

「僕もそう思う。練習試合だって、たくさん組めたわけじゃないし……」

 遼太郎と歩の意見に、ほかの部員たちもうなずく。

 常陽学院野球部は、近隣きんりんのいくつかの高校と練習試合の約束を取りつけていたものの、無名校であるため強豪校からは相手にされず、夏の本番までにレベルの高い相手と戦う機会は作れていなかった。


「心配するな。練習試合の件は、ちゃんと最強の相手を用意したから」

 部員の不安を読み取るように、唯は自信に満ちた笑みをうかべる。そして、彼女の言葉に合わせて舞と剛が立ち上がり、他の部員に資料を配り始めた。


是川重工これかわじゅうこう野球部……。社会人野球の強豪チームじゃねえか! お、お嬢。まさかこれが俺たちの練習試合の相手なのか?」

 資料を手にした恵一が、おどろきの声を上げる。


「そうだ。うちのじいちゃんをとおして依頼したんだ。本番までに毎月数回、練習試合の相手をしてもらうが、不満か?」

「いやいや、レベルがちがいすぎるだろ。それに社会人チームとの試合は高校野球の協約違反にならねえか?」

「いや、二年前に協約が改訂かいていされたから、違反にはならないはずだよ」

 恵一の質問に答えたのは遼太郎だった。彼はそのまま唯に疑問を投げかける。


「是川さん。カテゴリーがちがうチームとの交流は、事前に高校野球連盟への申請が必要だよね」

「ああ。そのとおりだ」

「だとしたらこれはマズい。社会人の名門と無名の高校が交流するなんて、誰がどう見たっておかしい。きっと申請した時点で噂になるよ。そしたら、うちの学校も他校からマークされないかな」


「それはちゃんと考えてある。申請はするが、スポーツ競技における情報技術活用の研究のため、ってな感じに理由をぼかしてあるんだ。うちみたいな有名進学校がこんな申請をしたら、普通はどう思う?」

「校外学習の一環いっかんってとこかな。少なくとも、野球部が本気で練習試合にのぞんでいるとは思わないだろうね」


「だろ? そもそも常陽学院の野球部が甲子園をめざしてること自体が、常識から大きく逸脱いつだつしてるからな」

「なるほどね……」

 遼太郎は納得した様子を見せたが、そんな彼の横から晴人が唯に問いかける。


「それにしても、いくらおじいさんのツテがあるとはいえ、よくこんなすごい相手が練習試合をうけてくれたね」

「うちのじいちゃんは、是川重工野球部にでっかい貸しがあるからな。ダメもとでたのんでみたら、すんなり協力してもらえたってところだよ」


「たしか、もともとは五洋電機ごようでんきの野球部だったんだよね。廃部のニュースが出たときは大きな話題になってた」

 晴人の言葉どおり、数年前、日本有数の家電メーカー五洋電機は、経営不振によるリストラの一環として野球部の廃部を決定した。そして、消滅の危機にひんしていた彼らを助けたのが、唯の祖父である是川銀治だった。


「廃部の話が出たとき、うちのじいちゃんが是川重工野球部を創設してチームごと引き取ったんだ。練習試合をうけてくれたのは、その恩返しってとこだろうな」

「なるほど。そんな裏話があったんだ」

「まあ、実際にアタシが助けたわけじゃないから、単なるじいちゃんのコネだ。ただ、甲子園に出るためなら手持ちのカードはすべて切らないとな」

 唯が説明を終えると、今度は雅則から質問が飛ぶ。


「たしかに、これ以上ない練習相手だとは思う。ただ、さっき恵一もいったが、うちと是川重工とじゃレベルがちがいすぎる。9月から是川さんが練習環境を整えてくれたおかげで、チーム実力は着実に上がってると思う。けど、練習試合で惨敗を続けたら、本番までに気持ちが折れてしまわないか?」

 真剣な表情の雅則に、唯は落ち着いた口調で語りかける。


「レベルに大きな差があるのはわかってる。でもな、アタシらの本番の舞台は、全国でも最難関の激戦区、東東京大会なんだ」


 東東京大会を突破して甲子園に出場するのは、甲子園で優勝するよりも難しい。そんな言葉が存在するほど、毎年この地区では激しい戦いが繰りひろげられていた。


 とくに今年は、松沢恒翔を擁する聖陵学舎、全国でもトップクラスの強力打線を持つ東都第一とうとだいいち、三人のエースピッチャーと堅実な守備が評判の日本橋学院にほんばしがくいん、走攻守ともにハイレベルな赤羽国際あかばねこくさい。この四強はもちろんのこと、急速に力をのばしてきた新興勢力しんこうせいりょくや甲子園出場経験が豊富な伝統校など、錚々そうそうたる顔ぶれが予選に名を連ねている。


「無茶な相手を選んだことは百も承知だ。ボコボコにされ続ければやる気も失せるだろう。でも、なんとか食らいついて欲しいんだ。失敗しても敗北しても、そこから学んで本番につなげてほしいんだ……。どうかたのむ!」

 唯がチームメイトにむかって深々と頭を下げる。彼女がこんな姿を見せたのはこれが初めてだった。

 ミーティングルームを沈黙が包むなか、恵一が全員によびかける。


「たしかに、東東京大会を勝ち上がって甲子園をめざすこと自体、イカれた話なんだよな。だったら練習相手もイカれてなきゃ釣り合わねえだろ。それに、ここまでさんざん世話になったお嬢に頭まで下げられて、嫌だとはいえねえよな?」

 恵一に賛同する声が次々と上がる。そんななか、立ち上がって雄弁に語り出したのは大吉だった。


「相手が強い? 大いに結構じゃないか。是川さんが発掘した僕の才能を、弱い相手にお披露目ひろめしたところでなんの面白味おもしろみもないからね。相手が強ければ強いほど、僕は歓迎するよ!」

 彼の言葉に、舞も追随ついずいする。


「大吉君のいうとおりだよ。わたしもさ、是川重工だろうが聖陵学舎だろうが、やるからには負ける気なんてサラサラないんだよね。兄さんもそうでしょ?」

「当然だ。やるからにはすべて勝ちにいく!」


 いつもは冷静な剛が発した熱い言葉に、ミーティングルームが大盛り上がりになったのはいうまでもない。

 目の前にはとてつもなく大きな壁が立ちふさがっている。それでも進む。そんな強い気持ちを、ここにいる全員がしっかりと共有していた。



「それにしても、剛の口から全国制覇宣言が聞けるとは思わなかったな」

 ミーティングを終えて自宅へ帰るリムジンの車内で、唯はからうような口ぶりで剛に言葉をかける。


「自分は、一戦一戦に全力でのぞみたいと思っただけで、そんな大風呂敷おおぶろしきをひろげたつもりはないんですが……」

「でも、すべて勝ちに行く。ってのはそういうことだろ? 東東京大会もすべて勝って、甲子園でもすべて勝つ。ほら、全国制覇宣言じゃないか」

「いや、それはですね……」


 唯からのツッコミにめずらしく狼狽ろうばいする剛を見て、舞も便乗びんじょうする。

「さすがの兄さんも、みんなの熱気に当てられちゃったのかな?」

 いつもは冷静な兄も、妹の自分にまでおちょくられればムキになって反論するだろう。彼女はそう考えていた。

 しかし、剛の反応は意外なものだった。


「どうだろうな……。ただ、まったく影響されていない。といったらウソになるかもしれない。本気で甲子園をめざしている気持ちは、一緒に練習していればひしひしと伝わってくるからな」

 率直そっちょくすぎる剛の言葉。これには舞もおどろかされたが、野球部のメンバーに対する気持ちは彼女も同じだった。


「ああ、それはわかるかも。練習は相当ハードなのに、みんな弱音一つ吐かずにがんばってるもんね」

 二人の言葉に唯もうなずく。

「そうだな。みんな本当によくやってくれてる。だが、東東京大会は強豪チームがひしめいてるからな。まだまだ課題は山積みだし、アタシの仕事も終わりが見えない。まったく、忙しすぎて心を落ち着かせる暇もないよ」

 肩をすくめてうんざりした表情をうかべる唯を見て、舞がクスクスと笑う。


「なんだよ。なにかおかしいか?」

「だって、唯ちゃんが本当に楽しそうだから。投資ファンドの仕事のときよりも、ずっと充実して見えるよ」

「そ、そうか?」

 舞からの指摘にとまどいながらも、唯は彼女の言葉を否定しなかった。


「まあ、たしかに、いまのほうが楽しいかもな……。投資は一人の戦いだったけど、野球には仲間がいるしな。うまくいえないけど、みんなで協力して大きな目標に挑むってのは悪くない。できるだけ長く、あいつらと一緒に突き進みたいよ」


 高校生のいましかできないことをする。そんな祖父からの課題をクリアするために野球部に入部した唯だったが、その目的はすでに過去のものになっていた。

 野球部の仲間と甲子園に挑み必ず勝利を勝ち取る。それこそが、いまの彼女の目標であり、なによりもかなえたい夢だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る