あのホームランを忘れない

らくだ物産

プロローグ

 今年のプロ野球日本シリーズは、開幕前から史上空前しじょうくうぜんともいえる盛り上がりを見せていた。

 あらゆるメディアで勝敗予想やスター選手の動きが報じられ、SNSも日夜にちやこの話題でもちきり。たくさんのファンが、試合開始の瞬間を心待ちにしている。


 そこまで注目を集める理由は、その対戦カードにあった。


 セ・リーグチャンピオンのタイタンズは、自他共じたともに認める球界の盟主めいしゅだ。ファンの数はダントツの日本一で、所属選手の人気や知名度も、ほかのチームとは比べ物にならない。


 実力についても文句のつけようがなく、今年はフリーエージェントによる有力選手の獲得と若手の育成がこうそうし、圧倒的な強さでセ・リーグを制覇せいはしていた。

 いまのタイタンズは、プロ野球史上最強なのでは? そんな意見もあちこちから聞こえてくる。

 

 対するは、パ・リーグチャンピオンのシルバーウルブズ。数年前まで万年Bクラスだったこの弱小チームは、大手IT企業に買収されたことをきっかけに、大胆に改革され注目を集める。


 とくに話題になったのが選手の獲得手法で、生まれ変わったチームは、データにもとづいて、無名の新人や全盛期をすぎたベテランなどから可能性のある選手を発掘していった。


 若手の成長とベテランの復活。この二つを原動力にかつての弱小チームが勝ち上がっていく姿は、多くのファンから熱狂的な支持を集める。

 そして、着実に人気と実力をつけていったシルバーウルブズは、この年ついに念願のリーグ優勝をはたしたのだった。


 史上最強のエリートチームと、底辺からはい上がってきた弱小チームの頂上決戦。王道か下克上げこくじょうか。明確かつ熱いテーマに、多くのファンが魅了みりょうされていた。



 それと同時に、両チームのスター選手たちも注目を集めたが、とくに話題になっていたのが、タイタンズの不動のエースピッチャー松沢恒翔まつざわこうしょうとシルバーウルブズの最強の二番バッター鬼塚剛おにづかごうだった。


 松沢恒翔まつざわこうしょうは、リトルリーグのころから注目され、中学、高校と栄光の道を歩んできたエリートちゅうのエリートだ。

 高校卒業後に物入ものいりでタイタンズに入団した彼は、プロの世界でも華々はなばなしく活躍し、キャリア五年目にして日本球界のエースとよばれるまでに成長していた。

 今シーズンの成績は前代未聞ぜんだいみもんの25勝0敗。来年はメジャーリーグに挑戦することが決まっており、水面下では激しい争奪戦そうだつせんがスタートしている。


 対する鬼塚剛おにづかごうは、高校二年の秋から野球を始めたというわりだねだ。

 シルバーウルブズはそんな彼を育成選手として獲得したのだが、その当時、無名の高卒ルーキーに注目する者は誰もいなかった。

 しかし、彼は地道な努力を積んで球界の底辺からはい上がり、いまでは走攻守三拍子そろった名選手としてその名をとどろかせていた。


 人気選手とはいえ対照的な二人だが、ここにシルバーウルブズのチーフストラテジスト是川唯これかわゆいを加えた三人にまつわる因縁いんねんもまた、大きな話題になっていた。


 五年前、松沢恒翔をようする聖陵学舎せいりょうがくしゃと、是川唯が指揮し鬼塚剛が主力に名をつらねる常陽学院じょうようがくいんは、甲子園の予選、東東京大会で激闘げきとうを演じていたのだ。



 ただし、世間で話題になっているのはここまで。


 是川唯と鬼塚剛。それまで野球にまったく縁のなかった二人が、なぜ高校二年の秋という中途半端な時期に、この世界に足を踏み入れたのか。

 高校時代に天才ともてはやされ、無意識のうちに自らの能力を過信していた松沢恒翔は、なぜ自分を見つめ直してさらに成長することができたのか。


 きっかけになったは、ある二人の高校生だった。


 病室のベッドで、うつむいて小さく肩をふるわせる少女。涙は彼女のほおを音もなくつたってこぼれ落ちていく。


 少年は心を決め、少女に告げる。


「――俺が甲子園に連れていくから」


 その瞬間、すべてが動きだした。

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