追うゲームバカ vs 逃げるゲームバカ⑤


 ――パチっと目が覚め、むくりと起き上がる。

 寝ぼけ眼のまま、もぞもぞと近くに放っていたスマートフォンを手に取り、ロック画面に表示された現在時刻を確認し、ギョッと目が丸くなった。


 ……やば、午後三時…………、寝すぎだっつーの……


 ハァッ、と陰鬱いんうつなタメ息を漏らしながら、ぐぅ~~っ、とベヒモスの唸り声……、ではなく自身のお腹の鳴る音に思考を奪われる。


 ……お腹、すいたなぁ……、お母さん、お昼ご飯作っておいてくれたり……、してないんだろうなぁ……


 よっ、とベッドから起き上がり、トタトタと洗面所に向かう。諸々の雑事を済ませた私は、脱ぎ捨てたパジャマを洗濯かごの中に放り込み、部屋に戻って床に放られていたジーパンを履き、黒いパーカーに袖を通す。――フッと立ち鏡が目に入り、何の気なしに自身の全体像を舐めるように見やった。


 「やっぱり私、子供っぽいのかなぁ……」

 ――うん、まぁ少なくともハタチには見えないよね――


 「……うるさい、変なタイミングで出てこないで」

 ――ハハッ、ごめんごめん、でも事実を言ったまでだから――


 「……それがムカつくんだっつの――」


 ぶすーっ、と子供みたいに頬を膨らませた私は、二度目に聴こえたベヒモスの唸り声に、自身の胃袋の中身が空っぽなのを思い出す。むぅっ、と眉を八の字に曲げた私は、口元に手を当て、これからどうするべきなのかをシミュレーションすることにした。


 ……冷蔵庫の中、空っぽだよね。昨日の夜確認したし……、まだお小遣いは少しあるから……、外に食糧を調達することさえできれば、夕ご飯までなんとかなりそうだけど……、家を出るには、『店の中』を通らなきゃいけないし、そうなったら、絶対にお母さんに怒られる……、「アンタ、いい歳してまた昼まで寝こけて――」、って調子で。まぁ、悪いのは私なんだけど……、うん、よしッ――


 何かを決心したかのように、私は一人で、力強くうなづいた。


 ――もしかして、また『あのやり方』で行くつもり……?――

 「……フッ、私には、これしかないのッ――」


 ――シャッ、とカーテンを開け放ち、寝ぼけ眼を襲った眩い光に私は思わず目を閉じかける。太陽の光が、腐りかけた私の身体を表面から浄化していく。

 ぐぐっと背伸びをした私は、ガラッと窓を開け放ち、近くの枯れ木に向かって、スッと手を伸ばした。


 「――よっ、と……」


 手慣れた手つきで、枯れ木にひょいと飛び乗った私は、木の幹を掴んでいない方の手で器用に窓を閉める。そのまま手足を使って、枝から枝へとひょいひょい地上に向かって降下していった。


 ――『コウメ』ってさ、もちろん容姿が幼いのもあるけど……、そもそも行動が子供っぽいんじゃないか? ハタチ超えた女性が、『木登り』するか? 普通……――

 「――うるさい、おさるさんだったら、いくら歳とったって木登りくらいするでしょ? ……人間がハタチ超えたら木登りしちゃいけない、って法律なんてないんだからっ」

 

 ――どういう理屈だよ……――


 心の中に響く『アイツ』の声を華麗にスルーした私は、「ほっ」と声をあげながら、コンクリの地面に向かって勢いよく飛び降り、両手両足ですちゃっと着地した。……商店街を歩いている何人かの人がギョッとした目つきでこっちを見やっているが、この街の人達にとってはそこそこ『見慣れた光景』であるので、殆どの人は生暖かい目でスルーしてくれる。


 「……ふぅっ…………」

 ムクっと立ち上がり、パンパンと掌についたゴミをはたき落としている私の目に――


 ギョッとした表情で、

 ポカンとこっちを見ている、

 『あの人』の姿が映る。


 「――えっ?」

 「――あっ?」


 マヌケな声が漏れ出て、マヌケな顔になっている私の、一切の思考が停止した。


 ――『なんであの人がこんなところに居るんだろう』、という疑問を一旦頭の端においやり……、自分でもよくわからないけど、その場に居るのがどうしても耐えられなくなった私は――


 「……お、オイッ!!」


 くるっときびすを返し、私のことを呼び止めようとする『あの人』の声を一切無視して、猛ダッシュで、商店街の大通りを駆け抜け始める――





 ……オイオイオイオイッ!?

 ――なにが、どうなってやがるんだッ!?


 混乱と混迷と混沌を極めた俺の脳内が、グルグルグルグル、スピニングバードなんちゃらも真っ青の勢いで大回転をおっぱじめる。

 ――とりあえず俺は、わけもわからないまま、勝手知ったる商店街の大通りのど真ん中で、何百年か振りの全力疾走を強要されていた。


 「……まッ……、待てって……、オイッ!!」


 走りながら大声を出すというのは、否が応でも『疲れる』。

 ゼェゼェと大仰な呼吸を繰り返しながら、俺はただただ目の前の背中……、揺れる『黒髪おかっぱ』の姿をひたすらに追っている。


 ――走りながら、俺は頭の中で、今の状況の整理を試みた。

 『柏木小梅』=『ゲーセンで遭遇した黒髪おかっぱ娘』、……さらに、『バーバー柏木』=『柏木小梅の住まい』……、という図式は成り立った。何故なら、バーバー柏木の店舗の二階から、アイツがひょっこり顔を出したからだ。


 ――俺の疑問は、主に二つ。

 アイツがなんで、店の中からじゃなく、二階の窓から飛び降りてきたのかってことと……、アイツはなんで、俺の顔を見るなり、猛ダッシュで逃げ始めたのか……、ってこと――


 ……とにかく、今アイツを逃がすのはまずい……、あッ――


 フッと、黒髪おかっぱの姿が見えなくなる。……なんてことはない、目の前の曲がり角を右に曲がっただけだ。悲鳴をあげる両足にムチを打ちながら、俺は柏木小梅と同じ軌跡をたどるべく、同じ曲がり角をグイッと右に曲がり――、はた、と、その足を止める。


 ……あれっ――


 ゼェゼェと肩で息をしながら、キョロキョロと周囲を見回す。……俺は、柏木小梅の姿を、見失ったことに気づいた。


 ……バカな、この道はしばらく直路が続いている、さっきの角を曲がってからの短い時間で、俺との距離を一気に引き離したとも考えにくい……、ともすれば――

 俺は、道に面した近くの店舗に、順繰りと目をやる。

 ――『コンビニ』、『薬局』、『スーパー』、『ゲームショップ』――


 ……アイツはたぶん、この内のどれかの店の中に逃げ込んだ……、そうとしか考えられない、クソっ、『どれ』だ――


 俺の脳内で、グルグルグルグル、スクリューパイルなんちゃらも真っ青の大回転がおっぱじめられる。酸素が欠乏しているのか、若干意識がもうろうとしてきた。


 ……って、いうか、こんなヒントもクソも無い四択……、考えてもわかるわけねぇじゃねぇか……、ええい、テスト前日に一夜漬けすらしない、『ヤマカンキング』の桝田大輔様をなめんなよッ――


 ――ダッ、と再び走り出した俺は、近くの『ゲームショップ』に向かって猪突猛進し、ガラス製の押し扉をバァンッ! と勢いよく開け放った。


 「オラァッ! 『柏木小梅』!! 居るかッ!?」


 がらんどうの店内で、カウンター越しに突っ立っている、メガネをかけた細身の男の身体がビクッと震える。


 「……うわぁぁぁぁぁぁっ!! い、命だけはお助けを~~ッ!」


 ブルブルと震えるメガネ男にドカドカと詰め寄った俺は、ズズイとカウンター越しに身体を突き出して、自身の顔に向かって必死に指を指す。


 「――強盗じゃねぇって、よく見ろ! ……大介だよ! 『桝田大介』!! ……ったく、この店が潰れないの誰のおかげだと思ってんだよ……、店長っ――」


 蒼白の面持ちで身を縮こませていたメガネ男……、ゲームショップの『店長』が、ズレたメガネをくいっと指で上げ直しながら、俺の顔をまじまじと見やる。


 「あ、なんだ……、大ちゃんか……、って、いやいや! 大声で怒鳴りこんできたのそっちじゃないかっ!?」


 「……い、いや、それは悪ぃって……、ってそんなことより店長、この店に今しがた、『黒髪おかっぱ』のガキみたいな女の子、入って来なかったか?」


 しおらしく謝りながらも、俺はギロリと、店長の目を射抜く様に睨みつける。店長の目線が、俺から逃げるように、ツーーッとあさっての方向に移動したのを俺は見逃さなかった。


 「……い、いや…………、そんな子、こ、来なかった、ケド――」


 「…………ホントウか?」


 「…………ホ、ホントだよ。」


 「…………最近キャバクラに大金つぎこんでること、奥さんにばらすぞ」


 「――ッ!! そ、それは勘弁……、っていうか何で知って――」



 ――グルルルルルルルッ――


 ――血肉に飢えた巨獣、『ベヒモスの唸り声』。

 ……ではなく、どこか聞き覚えのある、空腹に限界を迎えた『腹の音』。


 音が鳴った場所――、『カウンターの裏っ側』を確認しようと、俺はガバッと身を乗り出し、「ヒッ……」と声を漏らす店長を押しのけて、グッと見下ろす様に目を向けた。



 「…………ガキじゃないもん」


 ――見ると、涙を目にいっぱいに浮かべながら、真っ赤に顔を紅潮させている、見覚えのある『黒髪おかっぱ娘』が……、頭上から見下ろす俺の事をギロリと睨みつけながら、ふくれっ面の面持ちで、膝を抱えながらちょこんと座りこんでいた。

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