06.マッサージ
「おじゃましまーす」
玄関を開けて、今日もスーパーの袋を下げた愛を迎える。
その向こうの、ドアの隙間から見える外は薄暗く、おまけに雨が降っていた。
初めて一緒に料理をしてから数日、こうして愛が買い物をしてうちに来るのが日課になっている。
袋を受け取って、愛が畳む傘に違和感を覚えた。
「その傘男物?」
「彼氏の、って言ったらどうする?」
「軽蔑する」
「えぇ……、予想外の反応」
「いや、どんな反応を期待してたんだよ」
「無関心を装いつつも嫉妬してるような表情をしてほしかったかな」
「そりゃ悪いことしたな」
期待に沿うような反応をやろうと思えばできるだろうけど、やりたくはない。恥ずかしいし。
「まあいいけどねー。ちなみにこれは、家に置いてあったやつを持ってきただけ」
「そうか」
家にあったのなら父親のかな?
なんて考えながら部屋に入り、冷蔵庫に食材を仕舞っていてふと思う。
「買い物の荷物重くなかったか?」
愛が買い物してくる食材はさほど多くはないが、今日はそれでもちょっと重くて女性の体力的に負担になっているかもしれない。
「もし重いって言ったら、一緒に買い物行ってくれる?」
「俺が起きてる時間でいいなら」
「ほんと?やった」
と、なぜか嬉しそうな反応をする愛。
「じゃあ重いもの買うときはお願いするね。お米とかジュースとか」
「お手柔らかにな」
どちらか片方なら困らないけど、同時に両方持てと言われたら流石に辛い。
そのまま食材を入れ終えてパタンと冷蔵庫を閉じると、立ったままこちらを見ていた愛が質問をする。
「優、もうお腹空いてる?」
「そうでもないかな」
「それじゃあ先にシャワー浴びてくるね」
「今日はまた、一段と早いな」
「湿気でベタベタするからさっぱりしてくる。あっ、寝る前にもう一回入るから大丈夫だよ?」
何が大丈夫なのかはわからないが、まあいいか。
「ってなんでクローゼットを漁る」
「だって着替え一回分しか持ってきてないもん」
なるほどそれじゃあしょうがない。
いや、しょうがなくはないけど、どう抗議しても結局服を使われる未来が変わらないのがわかったからしょうがなかった。
「そうだ、あとでタブレット貸してくれる?」
「何に使うんだ?」
「乙女の秘密」
「なるほど」
乙女なんて歳じゃないだろ、という意見を飲み込んだ俺は偉い。
「それじゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい」
機嫌良く、洗面所へ向かう愛を見送ってふと思う。
下着は二回分あるんだろうか?
◇◇◇
「んんー……」
仕事を一段落させて体を伸ばす。
愛がシャワーから戻ってきて、食事も済ませてさらに数時間後。
今日はかなり仕事が捗って、その分いつもより集中していたようで体が強張っていた。
肩もすっかり固くなっていて、首を回すとポキッポキッと音がなる。
「おつかれー」
「うわっ!?」
急に耳元で声をかけられて椅子の上でバランスを崩す。
「そんなに驚かなくてもいいじゃん」
「急に近くで声かけられたら普通驚くだろ」
「これだと耳に息吹き掛けたら凄いことになりそうだね」
「やったら追い出すからな」
「まあそれはいいんだけど、仕事終わった?」
いや、よくないだろ。
「全部じゃないけど、とりあえず一区切りかな」
「それじゃあちょっとこっち来て」
急に手を引かれて、バランスを崩しながら立ち上がる。
なんだかいつもより愛のテンションが高い気がするのは気のせいだろうか。
そのままベッドまで連れられて腰を下ろすように促された。
「なにするんだよ?」
俺の質問を無視して愛がベッドに乗るので、振り向こうとしたところで肩を掴まれる。
「こっち向いちゃダメ」
「いったいなにするんだ?」
「うん。優がお疲れみたいだから、肩揉んであげようかと思って」
「なら最初からそう言えばいいだろ」
「別にいいでしょー」
と、愛が掴んだままの手を動かして肩を揉む。
その感触は柔らかくて、手を繋いで引かれた時も柔らかかったなと、今更ながらに思う。
肩に触れる温かさも手に残る温もりも、一人では感じない、感じられないもので、改めて自分の部屋に女の子がいるんだなと意識すると、なんだか少し顔が熱い。
「どう、気持ちいい?」
「あー……、もうちょっと強くてもいいかな」
平静を装ってそう答える。
聞いた愛が親指に力を込めて、だいぶ気持ち良い感じになってきた。
パソコン作業は肩凝りと腰痛が深刻な問題なので、マッサージしてくれるのは正直とてもありがたい。
「それじゃあ今度はベッドに横になって」
指示にしたがってうつ伏せになると、尻の上に愛が股がる。
その感触はやっぱり柔らかくて、結構重い。
「今重いって思ったでしょ?」
「思ってないです」
まあ愛は脚も腰もスラッとしているので、多少高めの身長の分を差し引いても平均体重以下だろうけど。
そもそも推定50キロくらい重量が掛かったら重くて当たり前なんだろう、なんて考えていると、愛が更にどすんと体重を掛ける。
「ぐえー」
「今なに考えてた?」
「確認する前に制裁するのはやめろと」
そんな冗談を交わしつつ、マッサージは続き、愛の指がツボをいい感じに刺激してくれて本当に気持ちいい。
「というか愛マッサージ上手いな」
「さっきまでYoutube見てたから」
「ああ……」
つまりタブレットを借りたのはそういうことだったのか。
「ありがとな」
「なんのこと?」
「……、なんでもない」
「ふふっ」
「……、ぷっ」
弛緩した空気と、クスクスと笑う愛につられて俺も笑う。
そのまま肩甲骨の下から始めて骨盤の上までマッサージをしてくれた愛が手を止めて、尻から重さがふっと消えた。
「それじゃあこれでおしまい」
ベッドの縁に腰をかけて一息つく愛の隣へ、体を起こして並んで座る。
「ちょっと手出してみ?」
「どうして?」
と聞きつつ差し出された片手を握る。
「マッサージで手疲れただろ?だからお礼」
「別に疲れてなんかな……、あだだだだだ」
「やっぱり疲れてるじゃん」
「わかったから!もうちょっと優しく!」
「はいはい」
そんなに強くしたつもりはなかったけど、相当凝ってたんだろうか。
優しく握って撫でるようにマッサージすると、愛が今度はくすぐったそうに身を震わせる。
「痛くないか?」
「うん……」
そのままマッサージを続けると、繋いだ手に視線を落としたまま愛が呟く。
「優の手大きいね」
「愛の手は柔らかいな」
それに小さくて、すべすべしてて、色が白くて、結構熱い。
これならずっとマッサージしていても苦にならない、なんて流石に直接言いはしないけど。
「このまま肩と腰もマッサージするか?」
「セクハラ」
「純粋な厚意だよ!」
だからそのジト目はやめろ。やめてくださいお願いします。
「ふーん……、じゃあえっちな気持ちはないの?」
「もしえっちな気持ちになっても、襲ったりはしないから安心しろ」
「なにそれ」
愛がひとしきりおかしそうに笑ったあと、腰をあげる。
「わかった、それじゃあよろしくね」
「あいあい」
背中を向けた愛の肩を揉むと、そんなに凝ってる感じはしなくて感触が柔らかい。
胸がデカいと肩が凝るっていうけど、愛くらいのサイズだとそうでもないんだろうか。
それとも若いから筋肉が疲労を蓄積しないのかもしれない。
いや、俺もまだ若いですけどね?
なんてことを考えながら手を動かし続けて、肩を揉むのを終えて今度は横になった愛の上に乗る。
「もっと体重かけていいよ?」
「重くないか?」
「全然平気」
言われて跨いでる太ももの力を抜くと、さらに体が愛の尻に沈んで密着する。
流石にここまで強く触れると意識してしまうので、無心に努めて手を動かす。
「んっ……」
「お客さん、変な声出すのやめてもらっていいですか?」
「変な声なんて出してないから!」
なら漏れる声に反応してしまうのは俺の心が邪だからだろうか。
とはいえ、そもそもお礼に提案したことなので、あまり邪心が混ざってても失礼かと思い直して真面目にマッサージを続けていく。
腰を揉まれた愛は心地良さそうで、実際その反応だけで結構な満足感があった。
愛が俺にしてくれた時もこんな気持ちだったのだろうか。
「じゃあ最後に」
と言って、愛が正面から視線を合わせる。
交代でマッサージを終えて、ベッドの上に座ってお互い向き合った状態から、愛が俺を抱き寄せた。
「なんで抱きつくんだよ」
「こうすると落ち着くでしょ?」
「まあ」
こうしてるだけで結構な安心感がある、なんていうと人肌恋しいみたいでちょっと恥ずかしいけど。
「抱き締められるとリラックス効果があるんだって」
「へー」
「落ち着く?」
「良い匂いがするかな」
「匂い嗅ぐの禁止!」
抱き合った格好のまま、背中をパンッと叩かれる。
「私のこと好きだからって興奮しないでよね」
「そもそも俺が愛を好きだっていうソースがないんだが」
「だってさっき好意って言ったじゃん」
「好意じゃなくて厚意な」
ノー好意、イエス厚意。
「あー」
納得したのか愛が声をあげる。
本当に好意だと、思っていたんだろうか。
いや、好意が無い訳じゃないんだけど、恋愛感情があるかはまた別なだけで。
「厚意って自分の行動には使わないんだよ?」
「まっじで」
「という訳で優は私のことが好き」
「論法が強引すぎる」
嬉しそうな声でそんなにぐいぐい来られると、本当に好きになっちゃいそうで、困る。
「というか、愛はどうなんだよ」
「私?私は……」
言いかけた途中で言葉が途切れる。
流れた沈黙は、何をあらわしているんだろうか。
「変なこと聞かないでよ」
バシンと再び腰を叩かれて、そのまま沈黙が流れる。
お互いの横髪が触れるくらいの距離で肩に乗った愛の顔は見えないが、感じる体温は少し高くなったような気がした。
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