第9話 雨天

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 復興暦一一〇九年/共和国暦一〇〇三年 霜雪しもゆきの月(二月)一八日。

 この日から、ロゼット達『殺戮人形さつりくにんぎょう』と、標的たるニーダルの奇妙な共同生活がはじまった。

 赤い外套を着た冒険者は、自分の命を狙う少年少女達を閉じ込めることもなく、詰め所に常備された武器すら隠そうとしなかった。

 自然、ロゼットと弟妹達によるニーダルへの襲撃は続く。

 彼が寝所に選んだ宿直室にトラップを仕込むなんて、まだ序の口。

 衣服を洗えばナイフが閃き、シーツを干せば矢が飛びかう、非日常の日々。

 夜討ち朝駆け、果ては色仕掛け等のからめ手に至るまで、あらゆる手段が試された。

 その全てをニーダルは受け止め、殴り倒して乗り切り、誰も殺さなかった。

 とはいえ、さすがの彼も七番ズィーベン一二番セバルツ達、男子に色仕掛けを受けたときは堪えたらしい。

 彼は男衆全員を集めて『ニーダル・ゲレーゲンハイトによる漢の約束三〇〇〇』という怪しげな講義を丸一日かけて行った。

 授業の内容はわからないが、以後、彼らがそういった行動を慎むようになったのは事実である。

 ……ロゼットからすれば、反動で若干おかしくなった気もしたが。


 霜雪の月(二月)二四日。

 六日目が過ぎたある日の朝、強い雨風を伴う嵐がウイツエト遺跡周辺へとやってきた。

 詰め所も例外ではなく、ニーダルは「もう着替えがないのに」などと洗濯物片手にてんてこ舞いだった。しかし……。


「おい。がきんちょ、ちみっこ。お前達、小屋から絶対に出るなよ」


 ニーダルはロゼット達にそう言いつけると、一人で小屋を出て行った。

 雹の混じった冷たい雨と風が真紅の外套にふきつけて、彼の体温を容赦なく奪ってゆく。


「つめて~。こんな日は、外じゃなくて、毛布の中で女といちゃいちゃしたいものだぜ」


 ニーダルの趣味はナンパだが、さすがにこんな森にまでやってくる物好きはいないだろう。

 彼が向かっているのは、遺跡の入り口だった。

 むせ返るような土と樹がかもす森の匂いに、刺激的な異臭が混じっている。

 動いている。ぞろぞろと、ずるずると、夜のように暗い森の闇を得体の知れない何かがうごめいている。


「おはようございまぁす! なんつってな。いい天気だ。すがすがしいぞ、空気もうまい、人生サイコーっ」


 悪天候もいいところ。氷雨ひさめに打たれて喜ぶ者は少ないだろう。

 けれど、ニーダルはその数少ない例外だ。なぜなら彼は、今生きていることこそが奇跡なのだから。

 ニーダルは草藪くさやぶをかきわけて、異物へと接近する。

 泥にまみれて蠢いていたのは、全長三メルカに達するだろう、巨大なあめふらしの出来損ないのような怪物だった。


「……封鎖結界ふうさけっかいが破られたか。偶然だか故意だかは知らんが、面倒な真似をしてくれる」


 通常の遺跡には、モンスターがはい出てこないよう、厳重な結界が張られている。何人もの魔術師を集めて魔法陣を整備し、儀式によって清められた要石かなめいしを使って、怪物の出入りを閉ざすのだ。

 けれど、封印の手間とは裏腹に、専門知識を持った工作者が居れば、結界の無力化は容易たやすかった。

 特定の方向に要石をずらすか、魔法陣に余計な絵図を書き込むか。そうなったが最後、地下から這い出てきた怪物たちが付近の村や町を踏み潰す。

 そういった怪物災害モンスターハザードを食い止めるために見張るのが、今、彼と子供たちが過ごしている詰め所の役割だ。


「自国内でテロ起こすとか、本気でイカれてるよ」


 無論、そんなことはめったに起こらない。

 起こらないが、必要とあれば起こしてしまうのが西部連邦人民共和国であった。

 ニーダルが、雨に濡れた手で魔術文字を描く。

 炎がまろびでて、ぷすんと消えた。


「いよおっし、絶好調」


 赤い外套を羽織った青年は、十文字槍を手に跳躍する。

 間一髪、あめふらしもどきが吐き出した酸が、彼が先ほどまでいた大地と草をドロドロに溶かしてしまう。


「……業だな」


 ニーダルは、三日月の穂を鎌のように振るって怪物の首を切り裂き、粘着質の皮膚を裂いて拳を突きこむ。

 あめふらしもどきの体内へ魔術文字が刻みこむや、ぐねぐねした巨体は炎に包まれて燃え尽きた。


「ギイイイイッ」

「ウオオオオンッ」


 ほぼ同時に、空からドリルのようなくちばしを回すからくり鳥が飛来し、茂みから鋭い牙を光らせた犬の首がついた鬼が飛び出した。


「はは。はははっ。あーっはっはっ」


 笑う。笑う。ニーダル・ゲレーゲンハイトは狂気じみた高笑いをあげて、犬の首がついた小鬼を、からくり鳥を、あめふらしもどきを狩り続ける。

 血の匂いと高い声に吸い寄せられるように、遺跡から彷徨さまよい出た怪物たちが、砂糖を前にした蟻のようにわらわらと集まってくる。

 ニーダルは小鬼を切り飛ばし、あめふらしに槍の穂先を突きこんで、わずかに槍を引き抜くのが遅れた。


「ギイイイイッ」


 ほんの一瞬の隙をついて、二羽のからくり鳥が飛来して、青年の喉首と背後を狙って嘴を突き出した。


「ちっ」


 ニーダルの首筋から、ゆらりと陽炎のような何かが立ち昇った。

 後方から遅いくる機械仕掛けのモンスターが、豪雨の中――決して消えない――禍々しい炎に包まれて消えた。


「あと一匹」


 ニーダルは前方からの攻撃に対し、回避からのカウンターを試みようと横っ飛びに跳んだ。


「ギイイッ」


 次の瞬間、からくり鳥の眉間に一本の矢が突き刺さった。

 魔像人形ゴーレムを動かしているのは、有人であれ無人であれ、多くの場合頭部に刻まれた魔術文字による回路だ。

 ここを破壊されたことにより、魔術仕掛けの機械鳥は、そのかりそめの命を終えた。


「……誰だ?」


 森の闇から、かすかな水しぶきをたてて人影が姿を表す。

 それは、黒褐色の髪を二本のおさげにわけた翠玉色の瞳の少女、ロゼットだった。


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